春以降、作り続けてきた、農業と農村の現場50年が番組にまとまった。
一緒に耕作放棄地巡りや大学での講義風景を撮影。
8月末に、1時間番組として、東北ローカルで放映したもの。
これ9月26日の夜10時からE-TVで、1時間半と1.5倍になって放送する予定とのこと。場合によっては、10月3日の日曜日になる可能性もあるという。
この番組、東北で放送された内容を紹介しておこう。農業関係者にはみてもらいたい代物。
東北特集のタイトルは「なしてだめになった」
ストーリーは、旧農水省官僚のインタビューと、その時々の農業の現実を山形市南沼原村の 農家佐藤さん達が作った7人の農家「バイタルセブン」の50年間をおいながら構成していくというもの。後に詳しいストーリーを書いておくが、9月26日は1.5倍の番組なので、若干異なるかもしれない。
半世紀にわたる、農家が農家でなくなるプロセスをクールに追った記録といってもよい。
もっと言えば、強い農業にする構造改革政策挫折の歴史でもある。
農業では儲からないが農地転用によって農家は豊かになった。その一方で、農業の構造改革が進まず、結果として農業が崩壊していった、という内容。
我が国農政が、農業参入を制限してきたのは、農地資源利用を農家に独占させたいから?
「金持ちは敵」と考え、農家の資産的利用を守るのは正義と考える農水省農政課の思想が如実に、それがまた改革派を放逐してきた。この場合の「金持ち」とは、農家のことではなく、企業のことなのだろう。
参入規制を続けることによって「農業をする人が農地を守る人であるべき」、とする60年代からの農水省の改革派の主張は、ことごとく挫折していく。
その時代時代で改革が挫折する理由も以下のように変わっていく。
①60年代は、河野一郎に代表される自民党の政治、、②70年代は生産調整政策、、③70・80年代は米価要求運動、、④80年代は宅地化(これは山形市を取材しているので通常より10年遅い)、⑤そして90年代は農水省内部の守旧派農政課、といった内容。
とすれば、、①から⑤までを、誰が推進させてきたか、構造改革にブレーキをかけてきた真因はなにかが問われよう。
①から⑤までには、共通のゴーストライターがいる、しかし、この番組は、そこに踏み込んでいない。NHKはそこに迫れられない宿命を持っている。
ちなみにタイトルだが、「なして」となってるが、仙台山形では「なぜ」を「なして」とはいわない。「なぜ」は「なぜ」か、「なんで」かどちらか、「なして」は、北関東から福島あたりか?。東京出身のディレクター、この辺も要注意か。「なぜこうなった」で良かった
ストーリーのディテールは以下の通り
1,60年代、農業基本法の制定
農業基本法の制定で、農家希望ふくらむ、若者熱気、
しかし、農水省 河野一郎大臣から、「誰が「農業基本法」を作ったんだ?」の批判がでる。
→森実孝夫、「2,65haが自立経営農家目標 半分の農家、農地手放す必要あったが、可能と考えていた、移住の動き、挙家離農、、、あったので、、」
山形では、離農おきず。養豚複合経営は失敗。佐藤さん結婚、むしろ家族労働力はそろい、、黄金時代となった
ところが、そこに生産調整。
→農家佐藤「せっかく買った農地に作付けできなくなった。まさかコメ余るとは、、」
→澤邊守、、「臨時措置だった減反は5年ぐらいの緊急避難という意識だった。いつまでもやるとは考えてなかった」
→森実孝夫、「過剰は予測されていた、38年頃から消費量の減少あり、それは恐るべきものだった。対策がなぜ講じられなかったのか?、代わって何を作るかがなかったから。」
2,農家70年代後半 米価闘争、
農家以外の産業は所得倍々ゲーム、農業は本来の性格からそれが不可能→だから米価あげるのは当然と考えていた。
→沢邊、、「コメ余っているのに米価あげるわけにはいかない。実際米価運動が実って米価あがった→このことがコメ農家を、離農させなくさせた。」「価格政策に頼らず、選別をもっとやるべきだった。」
3,80年代 宅地化により農家が豊かに
山形では根本的変化進んだ。農地が宅地へ転換することにより莫大な利益が上がった。
農家は都市計画を求める様になった。
山形市南沼原村は市街化区域と調整区域に二分されてしまったが、市街化区域編入希望者が圧倒的に多かったことから陳情した。
かつて、子孫のためにと耕地整理に励んだ人が、陳情して耕地を宅地に転用し非農業へ、、陳情は成功、、全てが市街化区域に編入された。
農民は優良な農地を望んだのではなく、優良な宅地に転用できる農地を望んだのだった。
→農家 武田さん、、ブドウ畑開墾したが、断念し、不動産経営へ
→農地売買の仲介が金になるというのがよくわかり、不動産資格を取得、、代替え地の仲介等の不動産業へ転身。
一方で、農地を買えるうまみのある農家の資格をなくさないようにし、農地を財産として確保する農家が多くなった。山形市内のアパート経営者の8割は農家。武田さんは、社員10人の不動産業へ。他方農業では、転用期待で大規模化は進まない。
山形農家佐藤さんにも転機がおとづれ、スーパーマーケットへ宅地化して貸し出す。
今や不動産収入に大きく依存する様になった。「バイタルセブン」の7人の内4人が農業以外の道。
86年(昭和61年)全米精米業者、コメの市場開放要求。
4,90年以降 農水省、農業構造の改善。
→高木勇樹、本業の農業が危ない。「危機意識をもっていた。後継者がいない、時間の経過が怖い。危機的ラインに達している。10-20haの規模拡大必要。農地制度の改革が重要と考えていた。農地法の基本理念を改革すること。現実に即した制度を作るべき、耕したい人に貸したい。ということで91年農地法改正の議論を行った。」
だが農水省の中の農政課が反対した。
なぜ反対したか?
→石井啓雄もと農政課技官、、「都会の金持ちが資産の運用にでてくる、、金持ちの資産運用の一形態として資産運用するのは絶対だめだ。農地の上で営まれる農業は工業とは違う、、」
→高木勇樹、、「農地は守られなければならない、守るにはきちんと農業がなされることが必要。ところが、92年1月4日 日経新聞にリーク記事が載った。意図的。所有権移転なんて言ってない。貸借だ。それ以降農地法の「の」の字もいえなくなった。報道の方が信用される。議論を深めても疑惑が増えるばかりで、自粛に追い込まれた。脳死状態、、考えることをやめた状態になった。」
5,2010年 18年がたっていた。
高木勇樹、耕作放棄地視察、、仙台。
50年たった山形農家:構造改善の試みは何度も挫折。
想像できなかった皮肉な事態がおきている。
大規模化の条件ができている。
「農地、集まってきてしょうがない、、作ってくれ、、、作ってくれ、、と」、
高齢者が高齢者の田んぼを引き受けるという、やむにやまれぬ構造改革が進む、これは未来なき構造改善、、。
戸別所得補償の農水省。佐藤、、50回目の田植え 60万円を得る。
終わり
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山形県出身宮城県在住
ロックマン
大学院生
Unknown
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