久々、猛烈に面白い本に出会いました。
今日も今日とてTwitterのトレンドに
「赤松小三郎ともう一つの明治維新」
著者 関良基
今日も今日とてTwitterのトレンドに
「反日」って上がっていましたが
いったいこの現代に何をもって愛国者というのか。
靖国神社に祀られていない人らで、この国を作ってきた人をどれだけ知っているのか?
この国が好きだが、全体主義は嫌だという場合は?
この本は
幕末に、坂本龍馬よりも早く、立憲民主主義を提唱した上田藩の学者、赤松小三郎の生涯と思想について書かれたものです。
赤松は日本で誰より早く議会政治と民主主義の思想を示した。
教育、人民平等、必要最小限の軍備、官僚でなく「民」の政治を目指していた。
英国陸軍「英国歩兵練法」を完全翻訳。
(体育の時の号令「右ならえ」とかは、この人のおかげです)
その兵学を学ぼうと薩摩に呼んだのが
野津道貫でした。後に日露戦争では陸軍元帥になります。
しかし、赤松は上田藩に戻れと言われた時、
薩摩の機密を握っていたかどで中村半次郎らに斬られました。
この実行犯、中村半次郎と
赤松を尊敬していた野津道貫
二人とも同じ薩摩藩で赤松の塾の門下です。
かたや、死の直前まで一緒に飲み
かたや、上から師匠を斬れという命令を受けた。
そしてさらに、西南戦争では
「菊池川」を挟んで北に官軍、第二旅団陸軍大佐となった野津道貫
南に、西郷軍四番大隊長、桐野利秋と名前を変えた中村半次郎…
相対するわけです。
ドラマかよ;
中村半次郎はずっと赤松を斬った事で悪夢に悩み、山縣有朋にも「斬る必要無かった」と話していたそうです。
桐野さんも大久保か西郷の命令だろうからさあ…
斬るの大好きサイコパスじゃねえのよ!
この本では後半から、現代日本、安倍政権と長州レジームに話を進めておられます。
うちのサークル田原坂46の「雲よ、伝へて!」其の三の巻末でもちょっと書きましたが、
マルクス以降って、とにかくすぐに
左右のイデオロギーで考えてしまいがちで面倒くさい。
時に反射的に右か左か認定したりされたりするんですが。
今、実際にもはや共産主義というのは
無くなりつつあるわけで、経済でいえば
いかなる国であっても経済活動をする限り、完全閉鎖的な共産主義はもう無理なのかも。理想自体まで否定しませんが。実践するには厳しい。
だからシステムとして、極右も極左もそうである「統制」という部分に目が行かざるを得ない。
誰でも意見を言える民主主義をやるか、中央政府がコントロールしていくか。
世襲化していて一党独裁、ほぼ君主制に近い「名義上」の民主主義をする場合
それで大丈夫なのは
まず、その仮の君主が、疑わしい事が一切無い人で
正直で絶大な信頼を寄せて良い場合と
その仮君主が「身勝手に憲法を変える」ような事をしない場合だと思いますが。
どうだろう。
一方で完全に民主主義をやる事のデメリットって、方向性が見えないと
どうしていいかわからず、右往左往しながら衰退するんじゃないかという
どうだろう。
この本で赤松と対比されていた
福沢諭吉らと「明六雑誌」を創刊した
西周(にし あまね)の見解。
「日本人全てが政治に詳しいわけではない」
という意味で、人々を「衆愚」と言うなら私はこれもあながち否定できないよなと思います。残念ながらそうです、バカです。
(経済や地域からくる格差を考慮し、その教育改革から入らないといけないという事です)
実際に今、投票率が高ければ話は別ですが。
赤松は身分制度などなく平等であって欲しい
平等だからこそ人は努力すると信じた。
じゃあもしも、人がその努力をあきらめる時があるとしたら。
私はそれは
「個人では何を言ってもムリ、届かない、庶民にそんな力などない」という諦観が蔓延した時だと思います。
それは絶望に包まれた安泰です。
あきらめて今に満足し、どんなひどい状況でも「良かった」「私たちはこんなに幸せ」と笑って生きるような状態。
または不満を訴えれば全員で叩き潰してしまうような。
日本で香港のようなデモが起きないのは
「どうせ何やってもムダ」
「やっても逮捕されるがオチだし、自分の得になるような事は何もない」
そう考えているからかもしれない。
現在、日本にはもう人斬りはいません。
ネットのアカウントが消される位でござる。
赤松が夢見ていた選挙もあって
女性にも参政権がある。
一応人に人権あって、法の下では平等であり、「上級国民」なんかいません。
彼の夢は時を超えておおかた、かなってはいます。そのはずです。
全体主義を愛国と呼ぶのなら
それが個々に与えるメリットを示して欲しい。
まさか全体の為に死ねるという個人的美学を押し売りはしないよね。
大声に怯えず、感情的にならず
学ぶものは学び考えていく
それが出来る自由はまだ持っているはずと思います。
赤松は2度は斬られない。
そんな悪夢は要らないだろうな。