ちょいと戦争で暗い話が続きますね。どうしてもこの時期は仕方無い。
じゃ、ってのもなんですが戦勝国アメリカはどうでしたか…見ましょうかハイ。
というと、やはりこちらは日本の玉音放送などつゆしらず、勝利に湧いてました。
1947年、英国からニューヨークに渡って活動していた詩人ウィスタン・オーデンは
ロサンゼルスに住む作曲家、ストラヴィンスキーから「放蕩息子一代記」のオペラをやりたいので、台本を書いて下さい
という依頼を受けます。
「放蕩息子一代記」というのは、聖書ルカ伝15章にある、息子の改悛の話。
作曲家ストラヴィンスキーは、むしろ聖書を元ネタにして描いた18世紀の絵画から思いついたようです。
ウィリアム・ホガースの、ストーリー性のある連作です。
一攫千金を夢見て働きたくない男がいて、彼女がいたのに別の女と金目当てで結婚する
しかしやがて全てを失った中、元の彼女だけは愛してくれて…というあらすじ。
このオペラでは、全て失った後の放蕩息子が精神病院に送られ、しかも彼女から
「私がいるのに見えないの? 愛しているのは自分だけなのね」と言われるようです。
似たような話が小泉八雲の方にございますが、そっちは女性が幽霊となって出てきますね。おっと横道だ。
詩人オーデンは生涯1人の人しか愛しませんでした。同性愛者なんで相手は男です。
彼の経歴上の女性との結婚は、ドイツからの亡命の手助けが目的であり、書類上の偽装結婚です。
1939年、ニューヨークにある名門ブルックリン・カレッジでの詩の朗読会(今なら学園祭ライブですか)
に招かれたオーデンのもとを、学内文芸誌の編集をやっていたチェスターが取材で訪れます。
お互いが「運命」を感じるほどで、ドイツでそれなりに美少年を見つけては試食のような経歴を持つオーデンでしたが
チェスター以前は全て性的快楽の為のまやかしだと言ってます。
(こういうのが素で書けて今ていい時代ですよね。オーデンはホモだから逮捕されるので英国を出たのですよ)
詩人は真面目で律儀な性格です。出会った時は31歳。
なにせ、母親がホント今で言う「毒親」でして、過干渉で厳しく、責任感に満ちている反面
詩人の感性を持つオーデンには相当キツかったと思います。プレッシャーを与え続ける。
晩年になるまで「そんな事母が許さないかも…」とか言ってたとの証言があり、
どこまでも母親の顔色伺い、母親が監視しているようで逃げられないのです。
一方のチェスターの性格は、明るく派手で、社交的。とにかく常に話題の中心にいたいような。
常に冗談を言い、頭も良く。だから男からも女からも好かれるのだけれど、彼はずっとステイしてはいない。
ひとつの所に留まるのが苦手。出会った時は18歳。
彼は幼い頃病気で母親を失います。父親は若い女とすぐ再婚したのですが
チェスターはこの母親を嫌っていた。(なんかこのあたりは私、言わんでもわかりますわ…。実母とは頑張っても難しい所てあるのだよ)
ストラヴィンスキーからの依頼を受けた時、チェスターは大学を出て26歳になってましたが、まだ無職でした。
それこそオペラ放蕩息子一代記の主人公トムのごとく…。
「お前は何がやりたいんだ? いったい何をしたいんだ、自己って何?」
「だーもう、わかってるってばうっぜえ」「働きたくない!働いたら負けだと思う!」
「詩人になりたい気がする」「それでどうやって生活してくんだよ!」
でもとりあえず親がお金持ちですし…。ピューリッツァー賞受賞の有名人も側にいるもんね。
オーデンは、チェスターの詩才を認めていました。
ストラヴィンスキーすら唸らせるものを持っているのに、開花しない。
「運命的な出会いをし、真実の愛を貫こうとしても世間が許さない」
「それが自分の存在であると、そこに認めても、世間は金にならんと否定して許さない」
というのは今もよくある話。
チェスターは父親に「男が好きなんて病癖はいつか治る。どこぞの貴婦人と結婚したら、お前もマトモに働くさ」
とか言われていたのです。
詩人ウィスタン・オーデンは、チェスター・カルマンと出会った頃は、マルキシストでした。
つまり、共産主義者。思想というのは、左であれ右であれ、全体主義とそして「労働=社会」という概念が一体となっているものです。
芸術というのは時にその枠すら壊して、社会問題というものから一度「人」を切り離し、一対一の対話のみにしてしまう。
丁度二人の愛の関係の中に、仕事がどうのなんて社会が入り込めないように。
躾が厳しくて真面目でないと生きられないような人と奔放で常に何かを彷徨いさがす者という関係、
これってフランス19世紀末の詩人ヴェルレーヌとランボオの関係よく似ています。
しかし、オーデンとチェスターは破局しませんでした。
一生涯の友、一生の伴侶として本当に永遠の愛を貫いた。
なぜそれが出来たのか。
フラフラと出ていく、約束は守らない。そのせいで何度振り回されたかわからないでしょう。
それが精神的な本物の愛に変わるまで、これはひとえにオーデンの対応が大人であり、忍耐力あったとしか言いようがない。
「ダメな息子が自分は間違ってましたと気づき、改悛して戻った」
という意味にだけ捉えれば、結局ずっと放蕩息子はダメであり続けるのかもしれない。
ルカ伝ですからね…啓蒙思想につなげての解釈であれば、フリーメーソニズムもマルキシズムも
本人がどんな者でも「反省」しなきゃならない。
帰りを待つ年上の詩人は、ある時気付いた。
「チェスター、君になぜ約束を守らなかったか、とか、今まで何していたんだとか、反省したまえとか
そんな風に責めれば責めるほど、ここから離れていくのではないかと思う。
君が一つの所に留まれないのは、本当の居場所を探しているからだ。
---やらなくちゃいけない事をしなければ、ここにいてはならないとか
交換条件ではなく、無条件で受け入れてくれる
本当の父親、本当の母親を探しているからだろう。
死ぬまで君を縛り付けるのが愛ではない。
死ぬまで、帰る場所になり、傷ついて戻ったりしたなら誰よりも優しく抱きしめてあげる」
放蕩息子の帰還の絵は、いろんな画家が手がけていますが
私は今日ここでのこの記事に、あえてこれを。
ラファエル前派、尊敬するエドワード・ポインターの筆。
戯曲のテーマは献身と誠意。
ストラヴィンスキーは現実的で、幻想と逃避のワーグナーとは対照的なよう。
ワーグナーがオマージュ的であるなら、こちらはパロディ的とでもいうか
ネタ的なんだと思います。
戯曲のトムにはわからなかった。気付いた人は幸せでしょうね。
けれど、その水鏡の向こうにある価値観を求めても現実的にはなかなか生きられないシビア部分を描く、というあたりが
19世紀のものと、世界戦争を経験した20世紀の違いかもしれない。
根本的には政治思想という価値観をどこまで、実生活と切り離していいのかはわかりません。
とにもかくにも現代において現実的な生活全てを否定する事、ロマン的なものは「中二病」と呼ばれる。
けれども、その常識として徹底してすり込まれた思想以前に、あってほしいものがある。
それにしても、性別の壁も歳の差も、性格の不一致?というのも
超えてしまう愛ってあるのだなと思ってしまいました。
じゃ、ってのもなんですが戦勝国アメリカはどうでしたか…見ましょうかハイ。
というと、やはりこちらは日本の玉音放送などつゆしらず、勝利に湧いてました。
1947年、英国からニューヨークに渡って活動していた詩人ウィスタン・オーデンは
ロサンゼルスに住む作曲家、ストラヴィンスキーから「放蕩息子一代記」のオペラをやりたいので、台本を書いて下さい
という依頼を受けます。
「放蕩息子一代記」というのは、聖書ルカ伝15章にある、息子の改悛の話。
作曲家ストラヴィンスキーは、むしろ聖書を元ネタにして描いた18世紀の絵画から思いついたようです。
ウィリアム・ホガースの、ストーリー性のある連作です。
一攫千金を夢見て働きたくない男がいて、彼女がいたのに別の女と金目当てで結婚する
しかしやがて全てを失った中、元の彼女だけは愛してくれて…というあらすじ。
このオペラでは、全て失った後の放蕩息子が精神病院に送られ、しかも彼女から
「私がいるのに見えないの? 愛しているのは自分だけなのね」と言われるようです。
似たような話が小泉八雲の方にございますが、そっちは女性が幽霊となって出てきますね。おっと横道だ。
詩人オーデンは生涯1人の人しか愛しませんでした。同性愛者なんで相手は男です。
彼の経歴上の女性との結婚は、ドイツからの亡命の手助けが目的であり、書類上の偽装結婚です。
1939年、ニューヨークにある名門ブルックリン・カレッジでの詩の朗読会(今なら学園祭ライブですか)
に招かれたオーデンのもとを、学内文芸誌の編集をやっていたチェスターが取材で訪れます。
お互いが「運命」を感じるほどで、ドイツでそれなりに美少年を見つけては試食のような経歴を持つオーデンでしたが
チェスター以前は全て性的快楽の為のまやかしだと言ってます。
(こういうのが素で書けて今ていい時代ですよね。オーデンはホモだから逮捕されるので英国を出たのですよ)
詩人は真面目で律儀な性格です。出会った時は31歳。
なにせ、母親がホント今で言う「毒親」でして、過干渉で厳しく、責任感に満ちている反面
詩人の感性を持つオーデンには相当キツかったと思います。プレッシャーを与え続ける。
晩年になるまで「そんな事母が許さないかも…」とか言ってたとの証言があり、
どこまでも母親の顔色伺い、母親が監視しているようで逃げられないのです。
一方のチェスターの性格は、明るく派手で、社交的。とにかく常に話題の中心にいたいような。
常に冗談を言い、頭も良く。だから男からも女からも好かれるのだけれど、彼はずっとステイしてはいない。
ひとつの所に留まるのが苦手。出会った時は18歳。
彼は幼い頃病気で母親を失います。父親は若い女とすぐ再婚したのですが
チェスターはこの母親を嫌っていた。(なんかこのあたりは私、言わんでもわかりますわ…。実母とは頑張っても難しい所てあるのだよ)
ストラヴィンスキーからの依頼を受けた時、チェスターは大学を出て26歳になってましたが、まだ無職でした。
それこそオペラ放蕩息子一代記の主人公トムのごとく…。
「お前は何がやりたいんだ? いったい何をしたいんだ、自己って何?」
「だーもう、わかってるってばうっぜえ」「働きたくない!働いたら負けだと思う!」
「詩人になりたい気がする」「それでどうやって生活してくんだよ!」
でもとりあえず親がお金持ちですし…。ピューリッツァー賞受賞の有名人も側にいるもんね。
オーデンは、チェスターの詩才を認めていました。
ストラヴィンスキーすら唸らせるものを持っているのに、開花しない。
「運命的な出会いをし、真実の愛を貫こうとしても世間が許さない」
「それが自分の存在であると、そこに認めても、世間は金にならんと否定して許さない」
というのは今もよくある話。
チェスターは父親に「男が好きなんて病癖はいつか治る。どこぞの貴婦人と結婚したら、お前もマトモに働くさ」
とか言われていたのです。
詩人ウィスタン・オーデンは、チェスター・カルマンと出会った頃は、マルキシストでした。
つまり、共産主義者。思想というのは、左であれ右であれ、全体主義とそして「労働=社会」という概念が一体となっているものです。
芸術というのは時にその枠すら壊して、社会問題というものから一度「人」を切り離し、一対一の対話のみにしてしまう。
丁度二人の愛の関係の中に、仕事がどうのなんて社会が入り込めないように。
躾が厳しくて真面目でないと生きられないような人と奔放で常に何かを彷徨いさがす者という関係、
これってフランス19世紀末の詩人ヴェルレーヌとランボオの関係よく似ています。
しかし、オーデンとチェスターは破局しませんでした。
一生涯の友、一生の伴侶として本当に永遠の愛を貫いた。
なぜそれが出来たのか。
フラフラと出ていく、約束は守らない。そのせいで何度振り回されたかわからないでしょう。
それが精神的な本物の愛に変わるまで、これはひとえにオーデンの対応が大人であり、忍耐力あったとしか言いようがない。
「ダメな息子が自分は間違ってましたと気づき、改悛して戻った」
という意味にだけ捉えれば、結局ずっと放蕩息子はダメであり続けるのかもしれない。
ルカ伝ですからね…啓蒙思想につなげての解釈であれば、フリーメーソニズムもマルキシズムも
本人がどんな者でも「反省」しなきゃならない。
帰りを待つ年上の詩人は、ある時気付いた。
「チェスター、君になぜ約束を守らなかったか、とか、今まで何していたんだとか、反省したまえとか
そんな風に責めれば責めるほど、ここから離れていくのではないかと思う。
君が一つの所に留まれないのは、本当の居場所を探しているからだ。
---やらなくちゃいけない事をしなければ、ここにいてはならないとか
交換条件ではなく、無条件で受け入れてくれる
本当の父親、本当の母親を探しているからだろう。
死ぬまで君を縛り付けるのが愛ではない。
死ぬまで、帰る場所になり、傷ついて戻ったりしたなら誰よりも優しく抱きしめてあげる」
放蕩息子の帰還の絵は、いろんな画家が手がけていますが
私は今日ここでのこの記事に、あえてこれを。
ラファエル前派、尊敬するエドワード・ポインターの筆。
戯曲のテーマは献身と誠意。
ストラヴィンスキーは現実的で、幻想と逃避のワーグナーとは対照的なよう。
ワーグナーがオマージュ的であるなら、こちらはパロディ的とでもいうか
ネタ的なんだと思います。
戯曲のトムにはわからなかった。気付いた人は幸せでしょうね。
けれど、その水鏡の向こうにある価値観を求めても現実的にはなかなか生きられないシビア部分を描く、というあたりが
19世紀のものと、世界戦争を経験した20世紀の違いかもしれない。
根本的には政治思想という価値観をどこまで、実生活と切り離していいのかはわかりません。
とにもかくにも現代において現実的な生活全てを否定する事、ロマン的なものは「中二病」と呼ばれる。
けれども、その常識として徹底してすり込まれた思想以前に、あってほしいものがある。
それにしても、性別の壁も歳の差も、性格の不一致?というのも
超えてしまう愛ってあるのだなと思ってしまいました。