ハニカム薔薇ノ神殿

西南戦争の現地記者の歴史漫画を描いてます。歴史、美術史、ゲーム、特撮、同人誌の話他

ミュシャ展「スラヴ叙事詩」に行ってきました

2017年04月23日 | 文学・歴史・美術および書評
木曜日、ミュシャ展に行ってきました。
金曜は横浜。

好きで描く、とか口では言いますけど
最近どうもね…やる気は今ひとつでしたよ。
私が頑張らなくてもいいだろ、浅田真央じゃないけど「今の若い子すごいんです」
そんで
以前のように体力も気力も無いような…

メインでやってるのは広告で、それはそれでなんとかそこにアイデンティティは見出そう、
喜んでいただくためには逃げずに頑張ろう(どうせ逃げ場無いし)
なんてやってやってたりするんですが
仕事はあるだけ涙出るほどありがたいものである一方で、でもどこかスムーズにいかない複雑なものもあります。
広告なんてどうせ、作者名も出ない、一段下に見られる、「自己」表現では無い作業が続く…(それでも最近はプロットのみで
シナリオも私がやってたりはするんですが…) コミックスなんざ永遠に出ない世界。

自分は本当にこれでいいのか?と迷う
迷うけれど、今さら二次にスッと戻れない理由もいくつもある。
昔と変わってしまったこと、表現することの困難さ、先回りして自分で
「どうせやったところで無駄か叩かれるかもね!あはは!自分は地雷屋だもんね!」って思ってしまったり
先に大丈夫そうな受け入れ場所を探したりなんて、20代ではやんなかった、
ただ好きで描いてたのになとか思います。
なんでただ好きにやっちゃダメなんでしょうねえ。


ミュシャが「スラヴ叙事詩」をやりはじめたのは50歳からだそう。
それまではパリで、広告、デザイン系のポスターイラストをやっていたわけで。
それが故郷のスラヴ民族の歴史を、デザインでなくテンペラ画だのを交えた油彩
いわば「ガチ絵」を、「今さら古いよね」って言われるだろうな、って中で向き合っていた。
1910年と言うと、もうパリではモンパルナスに若い世代が集まって、エコール・ド・パリとか前衛始まってるし。
故郷チェコの画家らは、「パリで有名になった」ミュシャにはちょっと嫉妬もあって冷たかったと高階秀爾だったかが書いてました。

でも、ミュシャに関して言えば
彼は別にそんなパリや、イラスト関係の仕事から「逃げて」やったのではない、とは思います。
ミュシャは相変わらず細々仕事は引き受けながらもスラヴ民族に取材したものを描き、リアルを追求していった。



で、まあとにかくでかい。絵のサイズが、とにかく大きい。
圧倒されます。
リアルと言いながら構図は象徴的なのもあったりします。
「それもアリ」です。




ミュシャ展の後、ナビ派展にも行き、三菱一号館美術館に行き
その後、仮面ライダーダイナーというコラボカフェに行き
翌日は私が今こっそり企画を進めている方の取材で横浜へ。
(まだ全然足らん)

確かにしんどかったり、こんなの描いたってなあ〜誰も読まんだろ〜と思う時もあったりします。
でも、自分もあんな風にとはいかなくても
もうちょっと、できる限りやってみたいです。
諦めずに目標たてて、改めて好きなもの描きたい。

そうそう、ナビ派の方で
「描いたけど、どうせ批判されるだろうなと受け取って、結局表に出さなかった作品」
というのもありました。
なるほどね。それでも形にしてみるのは大事だね。

作品て難しい。出したいと思ってもいろんな条件で、出せなかったりためらったり
逆に自分一人では描かなかっただろうものができちゃったりするし。


とにかく、衝撃と共にインスピレーションというよりは
もっと地味に、そして確実に深いとこで「前に一歩」コマを進めてくれた、そんな気がします。



んで、私の方は椎間板ヘルニアもそこそこに治り、コミケに出るのを断念した時期と比べたら
体調の方は万全でした。


1からになっても
夢中でやれそうならそれを描いて
できないならそれも受け止めて

なるべくは形にする方向で

「よし、やってみよう」ってなりました。
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