完全にデジタルで描くようになって15年位になりますかね。
最初からデジタルだったという今時の世代が本当に羨ましいです。
アラフィフはというと、おそらくイラストとか描き始めた頃は水彩か色鉛筆程度しかなく、それから時代と共に
カラーインク、貼り直しきかないカラートーン、コピックと
ずいぶん変わってきて、
30も過ぎたカチカチ頭に「ついていかねば」の努力と根性で、デジタルを叩き込んだのでは。
また1からのツールスキル習得。
いつまで続くんだ、賽の河原か。
別にずっとアナログでも良かったんではと思う一方、それだと仕事にはならない昨今、なのですよね…。
そんなツールの変遷と果てしない努力もさることながら
「完成」ていつ完成するんだろう?
と思った事ありませんか。
例えば、完成の理想が高過ぎる場合の絵画。
小説なんかを「続く」で続けていく場合。
「ネバーエンディング」ですよ。
また、近代芸術には「未完成」こそが連続性という考えもあって、
描かれない部分から受け手が想像する事によって、作品世界をシェアしながら大きな完成を目指すものもある。
「完成」って何なんだろう;
締切があると、とりあえず納期守らないといけないわけで
まーこんなものか、とケリをつけますが。
後で反省会やって
「あーやっぱりこうすれば良かったかも」と思う事は多いです。
もう丸ごと描きなおしたい時もある。
鬱っぽい時なんかは、常に自分の方法に自信が持てずに
「これでいいのか」
「自分は良くてもこれではダメなんだろうな」
と迷ったりするので余計です。
理想が大きいと完成までの道程が長くなる。
のです。その分、苦労も努力も長くなる…;
19世紀末、フランスの画家ボナールは
すでに展覧会に展示された後、
会場に夜中に忍び込んで作品に加筆したそうです。
もしかしたら作品「完成」ってのは
1つの諦めかもしれない。
「もーこれはこれでもいい」
と、どこかで諦める事で完成するのかも。
いや、それは悪い「諦め」ではなくて
外に出すための勇気のGOサインでは。
いいかげんで終わるという事でなく
作品を一旦、そこで手放して鑑賞する側に預ける。
「完成」というのは、自分で決めるもの。
締切でももちろんOKで
「近場の理想」の遂行なのではと思います。