ハニカム薔薇ノ神殿

西南戦争の現地記者の歴史漫画を描いてます。歴史、美術史、ゲーム、特撮、同人誌の話他

Q「時間かかった絵の方が偉いのですか?」

2018年04月13日 | 文学・歴史・美術および書評

「数時間かけて丁寧に描いたのに受け入れられない」
「むしろ5分で描いたのにウケた」

これよく最近聞きますね。
Twitterなんかは、あれはタイムラインとともにベルトコンベアー式に流れていくので
まるで作品の「回転寿司」の様相。
一方で短時間でどれだけ描けたかを自慢する大会になってて
どんどん作品がファストフードやファストファッション化していきます。
「ファストワーク」ですかね。


そして到達する
「手間ひまかけたのに!あんな落書きの方が人気なんて!!」
そしてその真逆の
「時間かかったからって良いわけじゃないでしょ?」
デジタルフィルターでどこまでも加工できたり、トレスできたりするから
手間かけてもWebなら意味はない。ただの自己満足。
でも、それでは「頑張る」とは何をどうするの?
最初から全部機械がやれば?

心折れますな。

まず手間かかってない絵の方が評価されるという
これにすごく憤りを感じる方、それはおそらく
「絵」をクラシカルに捉えてるのだと思います。
あ、古臭いのではないですよ。「古典的」てこと。

既にモダンアートが誕生した瞬間である、世に言うホイッスラー裁判で
何時間もかけて魂込めて描く絵こそが良い絵であるという価値観の上
「手抜き野郎は許さん」みたいな勢いで、当時の美術評論家、ラスキンが吠えてます。
ラスキンといえば、PRBの擁護者であり、PRBと言えば時代の反逆児ばかりだったわけで
そういうのを擁護した彼ですら、やっぱりまだ19世紀ロマン派あたりの枠からは出れなかったかなあ。
もしくは、彼の趣味かとも思いますが。

アカデミックで、丁寧で、手間ひまかかっているものは
そりゃあその分費やされた時間、精神、まさに長編ドラマ。
価値あるもの。

けど、それが作品評価の全てではないと思います。

また、一方の合理化を受け入れた方
極端に言えば
「時間をかけた絵なんて。結局自己満足の時代錯誤」
これもだな。

合理化の最先端、その先に何があります?
絵なんてもうイメージから直接、機械がアウトプットする時代はすぐそこですよ。
いや、人のイメージなんて所詮、情報ソースのチョイス、分析、無意識からの表象
だったとするなら、AIが全部やりゃいいし。
でも、そもそもAIは賢いから「絵画なんて無駄」て答を弾き出すに違いないです。


タイトル「時間がかかった絵の方が偉いのか?」
答えは「ノー」です。


ヒエラルキーはいつも、つけたがる愚か者が存在するだけで
どっちが偉いかなんてないです。
美しいとか、面白いとか、心揺れるとか、考えさせられるとか、なんかあればいいなというだけで
20世紀の前衛が「消す」だの「描かない」だのも芸術にした理由は、
コンピューターと違って、「我々はそれをゴミとして扱わない」ことができるからです。

どっちが偉いなんてことは無いです。
まあ、「自分にとってはどうでもいい」はそりゃああるでしょうけども。

それよりも、SNS化しすぎる世界、
ファスト化の世界は、文脈あって成り立つ、長くて壮大な物語は、ダイジェストでもお断りになってくる
その「時間の無さ」の方が心配です。
デジタルを合理化だと捉える時代はもう過ぎようとしていて
これからはデジタルスキルで、どう意味を示していくのか
置いてけぼりになりがちな「人」をどうしていくのか

古典が大切にしてきた「時間」の価値が
そこに生きてくればいいのでは無いかと思います。
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