ハニカム薔薇ノ神殿

西南戦争の現地記者の話他、幕末〜明治維新の歴史漫画を描いてます。歴史、美術史、ゲーム、特撮などの話も。

犬養毅と「新聞記者」のエピソード

2021年01月06日 | 文学・歴史・美術および書評
次回の新刊「雲よ、伝へて!〜明治報道奮戦記〜 其の五」

表紙は福地さんと犬養さん


今年の見出し画像の真ん中にも描いた。


なので今日はちょっと犬養毅の話をしておきます。


ご存知?犬養毅と言えば
5.15事件で暗殺された日本の首相。

犬養毅に「木堂」というペンネームを与えたのは
郵便報知新聞、主筆の栗本鋤雲で、
論語の「剛毅朴訥(ごうきぼくとつ)仁に近し」
から取ったらしいです。
史実では、戦地に行ったちょっと後からこの筆名になります。

明治14年、(西南戦争の4年後)の犬養毅が古い雑誌にあるんでちょっとお借りします。


こんな感じ。

犬養毅のいくつかのエピソードからキャラクターをイメージしたわけですが
参考にしたのは以下、あたりです。

・気取ってる金持ちエリートにバカにされ学食で喧嘩

・トップだったのにずっと2位だった人にたった1点負けて慶應を中退(プライド高…)

・困っている画家などには気前よく金を貸した

・西南戦争の時は「俺にはなぜか弾丸は当たらない」と発言(謎の自信)

・「英語を始めるのは幼児教育が大事だからお前はもう遅い」と言われたので
本当にそうなのか確かめに聞いて回った(遅すぎるなんてことは無いと言われた)

・政治的思惑のある人から金を借りたりは絶対しなかった

・服装がわりと無頓着(ダサいいうな…)

・お手伝いさんが愛用の硯の脚を壊したが怒りもせず「実用的ならそれでいい」

・バカ正直すぎるので逆に友人が少なかった


西郷隆盛に関しては、最初はあんまり興味なかったようですが
弟である西郷従道と知り合い、
「世間ですごいすごいと言われているが、やっぱりすごいと言わざるをえない」
という結論に至ったようです。

最初、「雲よ、伝へて!」企画案をぼんやりとやっていた頃
犬養を主人公で従軍記者モノ(実際ライバルは福地だよなあ)
とも思いましたが
より「中間」を意識して生まれたのが主人公の飛高です。
史実で語るのが難しいのも「中間」だと思うのです。


最後の言葉は有名な「話せばわかる」
(実は「話しておきたいことがある」だったそうですが)
でも相手は「問答無用」
5.15事件の前にも前蔵相暗殺、三井社長暗殺などテロが相次いだのですが
政治評論家の岩渕辰雄さんの見解に私も同意見で
犬養毅暗殺をもって、日本はファシズムになだれ込んだと思います。
これの問題って、なぜ暗殺されたかよりも
「なぜ誰もが黙ってしまったのか」なんでしょうね。


犬養は自ら新聞記者だった事もあってか
政治家になった時も、やってくる若い記者達には優しかったそうです。
面倒見が良かったり、会話を楽しんでいたり。

そういう所もイメージしつつ、描いてます。


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