コメンタリー連載「雲よ、伝へて!」その3です
官軍の総攻撃が始まってしまいました
一方、高瀬の宿(記者用)
山縣さん、とは山縣有朋。福地源一郎は山縣の書記です。





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本日のページは犬養毅、木堂の記事の中に出てくる記述から
第八報の「戦地直報」
篠田鉱造の「明治新聞綺談」を参照にしながら
引用します。
時に官兵の傷を負うて退き来る者に会う
曰く誰ぞ
答えて曰く新聞記者なり、と
官兵予輩の神色自若たるに驚きかつ教えて曰く
子(君orお前)が服装に官の章なし、恐らく我党にうたれん
もしこれより一町を進まば両軍対戦の中央に出るの道なるゆえ
請う このところより退き別に本道より進んで官軍の背後に出よと
医者やってる友人が「ペニシリン無い状態で治療しろと言われても絶望しかない」
だそうで。我々は進歩した医療に生かされてるんですね…。
薩軍本営にたどり着くこともできず撃たれてしまった飛高
さてどうする
(続く)