ハニカム薔薇ノ神殿

西南戦争の現地記者の歴史漫画を描いてます。歴史、美術史、ゲーム、特撮、同人誌の話他

京アニの事件後のツイッターの放火炎上

2019年07月22日 | 雑記
京アニの爆発テロ(あえて言うけどあれはテロ。シャルリーエブド事件をテロというならだけど)
あれの犯人というのは、誰がどう見ても悪の中の悪で「凶悪」だと思う。
何か特別な犯罪心理学か、反社会的であるとは何かを論考するために
善悪の基準を一旦外すという前提が無いならば。

ところが、事件後にTwitterで
犯人擁護の動画が出回る。
それに釣られて「いくらなんでもありえない!!」と怒りをぶつけりゃ
これこそ先方の罠であり「よくぞ釣られました」
「バズったので広告します」と来る。

今や、「炎上案件」
Twitterは脊髄反射によって釣られる「ガッチョ釣り」になってしまった。

ガッチョとは大阪湾で釣れるコチの一種で
餌が無くても自分から食いついてくる魚。
Twitterでいうと、フリーランスあたりで「自己顕示欲」によって生き残らねばならないと信じてしまったガッチョがうようよいて
そういう部分が釣り人には「入れ食い」なのかもしれない。

問題は、広告を「真摯」にやろうと思ってる者にとって
これはすごく悩ましいな、というところだ。
もはや、正攻法での広告は通用しない、
てっとり早く炎上案件、バズリを狙ってわざと
汚い言葉で罵ったり、ヘイトしたり、マナー違反をやったり
そういう事が日常的になれば、当面の仕事はあったとしても
本当にそれでいいのか?と思ってしまう。

京アニの事件ではあまりのひどさと
いろいろアニメを楽しませていただいたので、つい感情的になってしまう部分はあったのだけど

Twitterはとうとう、「言論コロシアム」になってしまった。
誰が嘘で誰が間違いでを吊るし上げ、全員で容赦なく攻撃する
集団リンチの道具として使い、それによって「自己宣伝」をしたいと
狙う人らの場所になり
更に今は、そういうリンチに群がるバカを利用して名を売りたいという
アモラルにアモラルを塗り重ねるソドムの市のようになってしまった。

これを緩和するために猫画像が貼られるけれど

SNSは使い方は未知のまま
何かを変えたとするならば
ユーザー1人1人は、変えたことに責任を持てるのか?

誰だって、無意識の加害者にはなりたくないはずなのだが。

アナログ的速度は、クールダウンとして見直されるべきだし
感情と反射と短絡的な叩きしか無くなった世の中から
「テロ」がなくなるとは到底、思えないのだ。

少なくとも、それは「表現」などには値しない。
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