最近話してて気づいたこと。
20年くらい前、少なくともSNSができる前は
まだ、みんな自分の「失敗談」を笑って話していた、ってところです。
うちの義理の母は自虐ではないのですが
失敗したら自分でネタにして大爆笑します。
お盆で気づいてしまったのですが、とりあえず和歌山の高齢者は
失敗したらネタで爆笑。
ところがこの空気は少なくとも東京の若い世代にはありません。
東京の若い世代にとって、失敗とは「Go to Hell」なのです。
失敗談なんて空気は凍り、どん引きになり、あるいは嫌がられ迷惑がられ
「蔑み、叩きの対象になる」のかもしれません。
まあまさか「殺して可」とまではいかないでしょうけど。
とにかく、他者に対しての目が厳しくなった。
同時に、かつて謙虚でよかったはずのものは
自己申告なのにレベルやステータスを誇ってなんぼになってしまった。
すごく「カサ増し」した外箱にラッピングされてる気がします。
またそういう事言うと批判になるだろうけど。
「完璧に安全な土台を築いてからでないと何もできない」
(うちの息子からしてそういうとこあるんだなあ、これは)
やってみたら?やってみてダメなら修正とか
という「試行錯誤」は無駄に思えるらしく
社会の方もそうなのでしょうが、無駄を省くために
最初からあらかじめまとまった状態を希望する。
「インスタンス」とでもいうのか
だから、異質なもの、驚きに値するものが入って来られると処理できず
戸惑いが起きてしまうのかも。
昔の世代にとっての失敗談は
試行錯誤の中の1段階なので笑えるけど
今はあってはならないバグ。
何も無いところから構築できた世代と
もう全てがあって、選択しか無いという世代。
でも、人間って多分それで本当に生き辛くなれば
またどっかで戻るんじゃ無いかな。
私はもともとはどっちかというと、結構厳しい人に育てていただいたので、失敗を笑えない方ではありますが
おおらかな先輩方を見ていると、豊かさって
失敗しても不安だ、潰される、もうダメだと思う必要がどこにも無い状態、
かもしれないとも思います。
とりあえずどこかには「ドンマイ」の精神で
試行錯誤はしていきたい。
失敗を怖がらないでやっていきたいです。