ハニカム薔薇ノ神殿

西南戦争の現地記者の歴史漫画を描いてます。歴史、美術史、ゲーム、特撮、同人誌の話他

【遙か6感想】秋兵と「絆の虜囚」(※ネタバレ有)

2015年04月12日 | ネオロマンスゲーム
副隊長秋兵、コハクと前後してやるべきだったなあ…まあいいか。
やっとエンディング見ました。

「絆」という字は糸に半と書くから、心の糸を半分ずつ結んでだな…
というのは残念、もう半分をその他の人と結ぶと、自分の糸が無くなっちゃう。
実は「絆」は手綱であり、家畜をつなぎ止めるためのヒモらしいです。
けれど、最近はマスコミがやたらこの「絆」を強調いたします。
弱かったら群れるしかないし、なにせ絆、絆と言うと単独よりは儲かっちゃうからね。
広告業界にいると「つながろうよ、群れようよ」を主題にさせられるので安易だなと思ってしまう事があります。

なんてちょっとナナメな見方でもうしわけない。
今回の朱雀というのは、非常に難しいです。
軽々しく書けない。
攻略ルートが難しいのではなくて(まあ確かに3章のイベントラッシュで失敗しましたが)、
内容的に「私にとっては」なのかもしれません。

物を書く、という行為はあえて憑闇でありながら平常心を保つというのと似ています。
つまり、コハクも秋兵も、朱雀を語るには今回、「家族の絆」というものに触れねばなりません。
「それでも家族と幸せにやった記憶もあるんでしょ?」
なんて事について、軽く「そうですね」と笑えるならば、別に向き合わねばならない真実も葛藤も
最初っからそこには無いではないですか。

と思う程に、秋兵の父との確執は、機能不全家族でアダルトチルドレンを抱え悩んできた私と似ていました。
大草原の小さな家じゃあるまいし、そんなアメリカ人のパパみたいなのは期待できないよと。
だからこそ難しいです。客観的にでなくなると「お前と秋兵一緒にすんなボケ」なわけですが
そこを見つめて書かないとホントに上っ面だけであるのもまた確かでして。
というわけで、ひとつ理解を深める上で、多少は仕方無いとご理解のほどを。

世の中全てが家族の絆でガッチリで、親子仲良く円満で、ご両親健在で…なんてものならいいですけど。
その暗い部分を自分で知っている。そこに素直に在る事は、「けしからぬ」事であり、教えられる人としての美徳や理想があり
親は、認められる許される「良い子」を理想として、最初から望まれる人物像も決めてある。
それなら、それを演じたらどうだろう。

芝居じみた秋兵の言い方を「本当じゃない」というのは、あまりにも酷ですよ。
何をやってもどうあっても好きという関係に至るまでは、梓側ではなくて
秋兵の方に幾層にも連なる、超えねばならん山があるのですから。


「僕は、父には絶望しているのですよ」
と、いつそんな言葉が出てもおかしくない。
事実をもみ消し、隠蔽し、体裁を保っている軍の上層
そしてそこに秋兵もいるわけです。
知りたくても知らせてはもらえず、無視して盲目でいれば
「それなり」なんでしょう。


秋兵のルートでは、驚くほどに他の八葉と出会わないのです。
コハクに対しては「花びら模様のあった謎の青年」としてしか記憶無いし、話すなら僅かに有馬と、たまに九段ですか。
鬼の人等とは全くですし、村雨に対しては「読者の1人」なかんじ。

安易に読み解くととても危険なんだと思うのは、まさにそこにあるのです。
「コハクの場合は虐待とかされた事もあったかもしれないけど、親との絆が確実だった
だから明るく素直で裏表が無くてポジティブで人付き合いに長ける
秋兵の場合、親に優しくされた事もあったのにそれを忘れているのでうわっつらの人間関係しか築けない」なんて。

しかし! しかしですよ。

それだと「親子関係において絆のようなものを築けなかった人は、本質的にコミュ障だから
皆でワイワイ仲間~やりたい世界には来ないで下さい、本音を語れないなんてうさん臭いヤツは
一回死んで、恵まれた愛情溢れる家に生まれ直してくださいw
皆で絆を築ける人だけが正論・正解、正常、常識なのです」などと。
アホだと、物の見方がそうなってしまうのではないかと。

秋兵は「真実を見ようとしなかった自分にも罪がある」と言いました。
なんとなく誤摩化し誤摩化され、立ち向かえないものには立ち向かわず、なんやかや言いつつも
便利な立場だけは利用してる、そんな自分に気づきつつ。
もしも梓も、社交場にいる「セレブ」だとか「容姿端麗」とかだけで近づいてくるような女性達と同じなら
なんとなく誤摩化し誤摩化され、決められた相手と結婚し…というところで生きていたのかも。


秋兵は「言わぬ」のではなく「言えぬ」のです。
言わぬは意思ですが、言えぬは圧力です。
それを更に「言えぬのはダメ」なんて、仮にもし世間がそうすれば
「世間=自分を理解しようともしない親と同様」になりかねない。
帝都を守るという任務にありながら、実は帝都の人達に対しての「遠さ」「温度差」も抱えているのではないかと思うのです。


秋兵のルートの、そのなかなか難しい問題である家という絆「絆という名の鎖」「絆の虜囚」
なんですが、

今回クリアしてみて、その「言えぬ」彼に1つ、突破口というか、ご提案を示して下さってるなと感じました。
この提案は、秋兵と似た環境で育ち、しかももうどう頑張っても子供じゃあないという…そんな私も大いに
「それがベスト」と賛成できる提案です。
提案にすぎません。「こうしなくてはダメ」という方法論では、決してありません。

それは、梓のおばあちゃんの助言です。
家族とか絆というものは、閉じた円環にあるものではない、というものです。

仮に
「何がなんでも、世間で上手くやっていく為に
最初から親子関係は完全無欠に仲良しこよしで形成されていなくてはいけない」
というものを、世のキレイゴト大好きな人達が大安売りで押し売りしたとしても…

それは確かに理想です。
しかし、親を失った人もいるでしょう。
最初から親いなかった人、親の愛情なんかとはほど遠かった人もいるでしょう。
で、
「その過去のせいで人と上手くやれないんだ」と決めつけたとしてどうなんの?


それは一つの偏見なのです。努力して変えられない過去や環境を捕まえて否定するのは
他人がやれば人権侵害、自分でやれば壮絶な自己否定なのです。
家族は人間形成には「大事」であって「不可欠」ではない。
そのグレーゾーンをなぜ消去するんだろう、息苦しい。

一番「言えぬ」人であったのは、父の清四郎なのでしょう。
父の清四郎がなぜそんな存在だったのかそれとなく理解でき、
その上であえて自分はこうだという言葉を選べたら。
その時自分の道を選ぶのは、親子の縁を切る事とは違うのではと思います。
たとえ清四郎がアメリカ人のパパのようにおおっぴらにハグするタイプにはなれんでも
それはそれで、いいじゃないですかね。


心から落ちついていられる場所を探すのは悪い事ではないし
本来、絆とはそういうもの。与えられるものでなく、作っていくものではないかと思うのです。
そうする限り憑闇にはなりますまいて。



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