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ハニカム薔薇ノ神殿

西南戦争の現地記者の歴史漫画を描いてます。歴史、美術史、ゲーム、特撮、同人誌の話他

伊東甲子太郎先生への手紙

2007年11月17日 | 文学・歴史・美術および書評
(旧暦だと12/13なんですけど…)
一応、お命日という事で先生にお手紙をさしあげます。

昨日買った「中央公論」を読みました。さかんに「アメリカ的資本主義」というのが書かれています。
学歴のある偉いお方が言うのであればそうなのかとも思いますが、
先生はたしか、論ずるに身分の差別はいらないというのが先進的とおっしゃっていたかと思います。
ならば、私も訥々ですが、正直に感想を言います。
「アメリカ的」という言葉が安易に使われると、短絡的な人ほど「やはりアメリカが悪い」という攘夷思想になると思います。
しかし今、世界を見ますと「反日」は非常に多いです。インターネットという便利なものを通じてそれがわかってきます。
私自身は到底考えもしないような事が「日本人は皆…」と書かれたりするみたいです。
「アメリカ的」「日本は」などという抽象概念が、とても怖いです。

私が抽象ともうしますのは、一つ一つを熟慮せず、だいたいの枠の中に入れてしまう合理的なやり方です。
本来は、個々を見て、そこにある共通の真実、を見いだすものなんでしょうから別なものかもしれない。
まあとにかく、先に範疇が存在して、そこにひっくるめて入れられるわけです。
いれられる事によって生ずる、偏見と語られない命題が、私には怖いのです。
「悪いのはDQN親」「ニートは世間のクズ」「専業主婦は遊んでる」「アメリカが全部悪い」
何が「悪い」のかを決めたがる理由は、考えるの面倒だからです。
誰かが世間で1番悪い人になり、十字架にかけられてくれないだろうかなあ、という事です。

先生は、水戸学を修められたのですよね。天皇がどうのという話をしますと
あの、大きな戦争の後の日本ではすぐに「右翼」「危険」「ファシズム」などと言われてしまいます。
しかし、水戸学、そして国学をなぜ先生らが学ばれたのか、私にはとてもよくわかります。
それは別に、天皇万歳って思想とは関係無いと思います。

芸術に関して言えば、岡本太郎氏が芸術においての四民平等のようなものをもたらしてくれました。
しかし、現代芸術の現場は迷っているようです。
西欧的なやり方を追求し、新しいものは古いものよりよいはずだとしてきた
他ならぬ西欧人批評家が「芸術は死んだ」と申しているのです。


日本の美とは、「和」でしょう。
ヘーゲルという人が、正反合を唱えずとも、私達の国は古くからそれを知っておりました。
静かに、異質なものを受け入れた上で、新しいハイブリッドを導き出す手段を、です。
だから自然とも人とも調和する。

古いものや相手を粉砕してこそ力であるという考えは、はたして本当に先進的なのでしょうか?
先進的なのなら、とっくに地上から戦争は消えているはずですよね。
悪いのは別にアメリカ的なもの、じゃない。
合理的精神を取り違えているだけ。

先生が、長州の、奇兵隊の赤根武人を獄舎から助けた時、何を見ておられたのか。
もしかしたら、長州であるというカテゴリの中の赤根ではなく、
どう罵られようとも、高杉さんの奇兵隊を守ろうとした彼の、
彼の中にある犯し難い真実を見ておられたのではなかったのでしょうか?

さて、アメリカというものを外して考えるなら、見直さなくてはならないのは何か。
…マルクス、エンゲルスでしょうか。先生の時代のイギリスの学者。
フーコーやサルトルが言っていた社会主義って、私はもっと人に優しいものだと感じるのですが。

先日、ある人の書いた小説に
美しすぎる理想だけでは、世は生きられぬとありました。
だけども、美しすぎる理想は、時や場所を超えて生きれるという特権を与えられている。
それもまた真実なのではないでしょうか?

ま、私がこんな事をうだうだ書いてても、どうなるものでもないですよね。
だけどどうにかならなきゃあ無駄っていうのもなんだかな。

そのうちまた泉涌寺に行きます。
今日はここからの合掌で申し訳ないです。

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