2度目の北欧(^。^)y-.。o○ 前回はヒヨルド!!を、今回はバルト三国
フィンランド航空🛬直行便
関空🛬10:45発いつもながら少々遅れ気味で(^-^;🛬ヘルシンキ空港着14:40(現地時間)時差は6時間
ちょっとしたトラブルが。ヘルシンキ空港で成田組7人+添乗員と合流するはずが誰も??
ターンテーブルには関空からの私たち3人のスーツケースと1組の夫婦のとだけが残ってて
思わずこわばって(';')機内モード📱だった為解除したら旅行会社と添乗員から📨何通も
成田組、機上開始直前🛫トラブって5時間遅れでヘルシンキ空港着🛬の予定という
(ノД`)やっと現地案内人が来た、で空港から🚌でhotelに到着
白夜の北欧は何時までも明るくて3人で街に繰り出す
フィンランド(2度目の+空港乗り継ぎは4度目)の南に南北に並ぶ3つの国を指し!!初めての訪問で(エストニア/ラトビア/リトアニア)まずは
*エストニア(首都タリン)人口密度28人/㎢(総面積45,226㎢)日本の約9分の1の大きさだそう。ちなみに通貨は€
*ラトビア(首都リガ)人口密度36人/㎢(総面積64,589㎢)日本の約6分の1の大きさだそう。通貨は同じく€
*リトアニア(首都ヴィリニュス)人口密度55人/㎏㎢(総面積65,200㎢)日本の約6分の1の大きさだそう。通貨は同じく€
この国の 私の記憶はいつも紛争のnewsが(';')
でも世界遺産も素敵で紛争で失なわれたわれたもの(残念)もあるが
とにもかくにも旅は楽しみました(^^♪、がアップするにあたって時系列が整わなくて(';')
いつも💻教室で指摘される(^-^;
ヘルシンキの空港を🚌から、かなりガス(霧)がかかってて
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💒Churchの天井にもコウノトリの巣作りが
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⁂表作成の中に入れてるのに整わなくて次回教室で先生に聞く(';')こと!!に
ヘルシンキ空港到着。関空🛫10時間、時差は6時間ボッーとしてる('Д')
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旅の4日目「リトアニア/カウナスへ杉原千畝記念館」にも千
「命のビザ」とは、第二次世界大戦中、リトアニア・カウナス日本領事館の杉原千畝領事代理によって、ナチス・ドイツの迫害から逃れるユダヤ人難民に発給された日本通過ビザをいいます。
1939年9月、ナチス・ドイツとソ連のポーランド侵攻により同国が分割される中、中立国だった隣国のリトアニアへユダヤ人は避難民として逃げ込みました。 しかし、リトアニアもソ連併合が確実となり、彼らにはもはや日本通過ビザを得て、第三国へ再び逃れる道しか残されていません。1940年7月18日、ユダヤ人難民がビザを求め領事館へ押し寄せます。杉原は本国へ大量のビザ発給を打診しますが、本省からの回答はいずれもビザ発給の拒否でした。彼は悩み苦しんだ末、良心に従い、本国の命に反して独断でビザ発給の道を選択します。それは、人道・博愛精神に基づく「命のビザ」発給と言う大きな決断でした。の信念と決断
杉原千畝は第二次世界大戦の最中、東欧でユダヤ人に対する迫害からその命を守るヒューマニズムを体現した数少ない人です。目の前にいる難民に自らの身の危険を顧みず、ビザを独断で発給し、多くの人を助け、それは「命の贈り物」とも呼ばれています。後年、千畝はこう語っている 「私のしたことは外交官としては間違ったことだったかもしれない。 しかし、私には頼って来た何千人もの人を見殺しにすることは出来なかった。 大したことをしたわけじゃない。当然のことをしただけです。」
💻 観てもろておおきに(^-^;(^^♪
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