年末になると、「喪中につき」の書状が届く。城谷 豊先生のお嬢さんの亜代さんから「2月に父が84歳で亡くなった」という知らせが届いた。14~15歳年上である。
東大建築学科卒業、建設省建築研究所を経て福井大学教授に就任、それらの過程で色々と世話になった。建研(けんけん)では、既に亡くなった古川 修さん(京大教授歴任、東大卒)、お元気な巽 和夫さん(京大名誉教授、京大卒先輩)と同じ建築経済学分野の牽引車の一人だった。
東大の卒業だが京大の西山夘三先生の考え方に共鳴しておられた。
民主的考えの持ち主で科学者会議福井支部の代表もやられたのではないか。福井原発問題でも住民の立場で頑張られたと思う。
建築学会の大会の折など会うと、あれこれ議論に乗っていただいた。
既に亡くなった京大先輩の玉置伸吾さん(福井大教授歴任)などと共に一緒に今頃、越前海岸に蟹を食べに出かけ、談論風発を楽しんだことも懐かしい思い出である。
福井大学を辞めてから秋田(?)の実家の会社の経営にも携われた。
御苦労さん、安らかに眠って下さい。
東大建築学科卒業、建設省建築研究所を経て福井大学教授に就任、それらの過程で色々と世話になった。建研(けんけん)では、既に亡くなった古川 修さん(京大教授歴任、東大卒)、お元気な巽 和夫さん(京大名誉教授、京大卒先輩)と同じ建築経済学分野の牽引車の一人だった。
東大の卒業だが京大の西山夘三先生の考え方に共鳴しておられた。
民主的考えの持ち主で科学者会議福井支部の代表もやられたのではないか。福井原発問題でも住民の立場で頑張られたと思う。
建築学会の大会の折など会うと、あれこれ議論に乗っていただいた。
既に亡くなった京大先輩の玉置伸吾さん(福井大教授歴任)などと共に一緒に今頃、越前海岸に蟹を食べに出かけ、談論風発を楽しんだことも懐かしい思い出である。
福井大学を辞めてから秋田(?)の実家の会社の経営にも携われた。
御苦労さん、安らかに眠って下さい。
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