西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

森繁久弥さんの長寿の源

2010-05-04 | 諸先生・諸先輩・同輩・諸後輩の思い出
今朝、ラジオで昨年、96歳で亡くなった森繁久弥さんの三男が「長寿の源」について語っていた。大きく二つほど言っている。

一つは、余り過ぎ去ったことに執着せず、前を向いて生きていたことである。森繁久弥さんは、舞台芸術を「燃焼芸術」とし、毎日、薪を背負って舞台に出かけ、その薪を燃やすと言うのだ。観客、ファンは火を燃え立たせる風を送る「Fan」でもあったのだ。
そして、その日が終わると、もう次の日に向っていた、と言う。

もう一つは、絶えず歌を歌っていたことでは、と言う。森繁さんは、俳優ではあるが、同時に渋い「歌い手」でもあった。「枯れススキ」「知床旅情」などヒットしていた。歌を歌うことは、大きな呼吸をすることに連なり、健康の大きな条件ではなかろうか。

その三男さんによると、森繁さんは、亡くなる間際に「箱根の山は天下の険・・・」を歌っていたようだ。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿