王 貞治さんは私より1歳上で、高校は早稲田実業であった。高校時代は投手で4番だった。現在、金沢の兼六園に接して厚生年金会館(?黒川紀章設計)があるが、私が高校の時には、あそこに兼六園球場があった。石川県では一番立派な球場で、高校野球の石川県大会の決勝戦はここで行なわれていた。私は野田中学校の2年生か3年生の時に、ここで行なわれた中学野球の決勝戦を実況放送したことがある。NHK金沢放送局(JOJK)が「中学生スポーツアナウンサー」を募集、応募して通ったのである。野田中からもう一人・寺本君も通った。6人通ったので、7回戦の1回づつ放送して1回余る。そこで私がやらされた。私は1回と7回を担当したのだ。今言うのも変だが、中学生の頃はNHKの志村正順アナウンサーに憧れ、スポーツ・アナになろうかと思っていた。
さて、高校時代のこと、早実が交換試合で兼六園球場に来たのである。投手で4番が王選手で、もちろん後の一本足打法ではなく普通の、しかし豪快な振りだった。私の1歳上だが、こんな素晴らしい高校選手もいるのか、と満員の兼六園球場で背伸びしながら大人の肩越しに見ていた。その兼六園球場も今はない。一寸、坂を下りた所の「21世紀美術館」は、昔、付属小学校・中学校(その前は第二高等女学校ー同窓会は真清水会ー)だったと知る人も段々少なくなるだろう。
さて、高校時代のこと、早実が交換試合で兼六園球場に来たのである。投手で4番が王選手で、もちろん後の一本足打法ではなく普通の、しかし豪快な振りだった。私の1歳上だが、こんな素晴らしい高校選手もいるのか、と満員の兼六園球場で背伸びしながら大人の肩越しに見ていた。その兼六園球場も今はない。一寸、坂を下りた所の「21世紀美術館」は、昔、付属小学校・中学校(その前は第二高等女学校ー同窓会は真清水会ー)だったと知る人も段々少なくなるだろう。
楽しみにしています。