奈良女子大学に被服生理学担当の水梨サワ子先生という女性の「酒豪」がおられた。私は30歳台で奈良に赴任したが、先生は55歳位であった。親子位の年齢差であった。その頃、奈良女子大・家政学部に早く出勤して来られる先生は水梨先生と造園学の近藤公夫先生だった。だから、水梨先生と近鉄で一緒になるのは夕方の帰りである。水梨先生も京都方面なので同じ急行で帰ることも多かった。先生は「衛生学」も修めておられ、京大医学部の公衆衛生学の西尾雅七先生なども知っておられ、私が京大から移ったので、あれこれ京大の先生方の話もした。奈良駅で水梨先生が先に乗っておられる近鉄車両に入っていくと「こっちこっち」と手招きして頂いた。水梨先生が乗っておられるのはいつも車両の真ん中辺りだった。ある時、そのことについて「近鉄は、未だ運転が「粗い」のよ、車両の端に座ると左右上下に揺れるけれど、真ん中はそれが一番少ないのよ」と言われた。そう言われれば、当たり前のことだが、それ以来、近鉄の車両も運転も改善されたが、私は自然と車両の真ん中に行っていた。水梨先生は、定年前に亡くなられ誠に残念だった。
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私は坂西禎視と申します。
その『酒豪』の孫です。
たまたま祖母の名前をgoogleで検索したらココの日記がヒットしましたので思わず読ませて頂きました。母にもメールで教え読んでもらいました。
母は「おかぁちゃんはよう門衛とどっちが早いか解らない位毎朝早く家を出てた。懐かしいわ。」
とメールで返信してきました。
母は祖母との日常が思い出せて、僕に祖母の思い出がまた一つ増えました。
ありがとうございました。
追伸 母を含め家族が『酒豪』の道をしっかり受け継いでます。
坂西 禎視 paulyoshimi0220@yahoo.co.jp
先生は、辛らつな社会(政治)批判もしておられたので、昨今の「政治のていたらく」を見るにつけ、そのことも思い出しました。