西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

『人類史の中の定住革命』西田正規著を読む

2008-07-12 | 歴史とのつながり、歴史の面白さ
西田正規著『人類史の中の定住革命』(講談社学術文庫)をざっと読んだ。

定住は、栽培・農耕より先に起こった人類の生活様式で、今から1万年前に起こった、それは日本では縄文時代であった。定住生活以前は「遊動生活」で、これは遥かに長い年月のアフリカで生まれ、世界中に拡散した生活様式であった。

「人類を含む高等霊長類が、遊動生活の伝統のもとで発達させてきた高い知能は、遊動域の内に散在している食物が、どの季節にどこへ行けば見つけられるか、といったことを認識し、記憶する能力を高めるものであっただろう。どこにでもある草を食べる獣とはちがって、栄養価の高い食物を選択的に採食する傾向のある霊長類にとって、外界の事象をたえず探索し、それを採食戦略に組み入れることの適応的な意味はより大きいのである。
 そして、動物には、備わった能力を発揮しようとする強い欲求があるだろう。日ごろ体を動かす機会のない人が、わざわざスポーツをして汗を流そうとするのは、彼に備わっている運動能力を発揮したいという欲求があるからに他ならない。そして同じように、私たちには、巨大化した大脳に新鮮な情報を送り込み、備わった情報処理能力を適度に働かせようとする強い欲求があるものと考える。好奇心というものがそれであろう。そのために、もしも新鮮な情報の供給が停止することになれば、大脳は変調をきたして不快感を生じることになる。退屈というのはそのような状態であろう。・・・」

この「遊動時代」の人類の特色は、「定住時代」以降も基調として保たれ現代にいたっていると私は思う。

また、「定住生活」に入った福井の若狭地方の鳥浜村集落での生活描写のうち、「今日につながる縄文時代の食事文化」の項には、「村人は、季節の変化を味覚の変化として印象に刻みつけた。春には、ほろ苦いフキやウド、湖の魚や貝がなければならない。夏にはサザエのあの複雑な味がなくてはならないし、マグロを口いっぱいほうばりたい。クリやシイの実、多くの種類の果物やキノコ、ヤマイモや球根が秋を告げる。冬に、女たちは活動をやめて家にこもり、男たちが持ち帰る脂ののった肉が、寒気のなかの人びとを暖める。・・・多様な食料を利用する「タコ足」的な生業活動は季節によって配置され、季節の味をもたらす。このような食事に親しんでいた人びとは、しだいに季節によって変化する味覚のスペクトルを充実させていった。ここで賞味されるのは、季節がもたらす味の変化であり、調理は最低限におさえられ、食品自体がもtっている微妙な味がそのまま生かされたであろう。形がくずれるほど煮込んだり、カラ揚げにしたり、強い香辛料を使って調理したりすることは、縄文時代の人びとのするところではあるまい。年中同じ物を食べ続けることも、彼らの望むところではなかったにちがいない。」

ここには未だ弥生以降の穀類(米麦等)が現れていないが、しかし、これも現代の我々もあこがれる食卓風景ではなかろうか。

このようにして、人類の過去の体験は、その後の違った様相の時代を越えて我々の体内(DNA)に染み込んでいる。それらの積み重なりが「現代」ではなかろうか。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿