西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

干支(えと)の話ー自前で計算ー

2011-01-11 | 文化論、科学・技術論
昔、大学で講義していた時、干支の話となり、「十干十二支」を説明した。一つの「教養」である。

十二支は「ね、うし、とら、う、たつ、み、うま、ひつじ、さる、とり、いぬ、い」と毎年、年賀状に描いたり貰ったりするので、大抵知っている。

ところが、その元々の漢字となると、皆きちんと書ける学生は少なかった。
「子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥」である。音では「シ、チュウ、イン、ボウ、シン、シ、ゴ、ビ、シン、ユウ、ジュツ、ガイ」である。

で、十干の方は「甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、申、壬、癸」であり、音では「コウ、オツ、ヘイ、テイ、ボ、キ、コウ、シン、ジン、キ」である。昔(戦前)は、学校の学業成績は、これらで付けたようだ。今の「オール5」と言うのは、昔は「全甲」であった。

それで、十干と十二支を順にペアで並べていくのが干支(えと)である。

最初が「甲子」で、まあ甲子園が出来た年が、「甲子」であった、と説明する。「甲子」の読み方は、音では「コウシ」で良いが、訓では「きのえね」と言う。「子」は「ね、うし、・・・」の「ね」であるが、「甲」は「きのえ」なのである。

十干を五つのグループに分けて、順に「木、火、土、金、水」とする。それで、それぞれを「兄と弟」に振り分け、「兄」が「え」であり、「弟」が「と」である。そうすると「甲」は「木のえ」であり、「乙」が「木のと」となる。

以下、「丙、丁」が「火(ひ)のえ、火のと」、「戊、己」が「土(つち)のえ、土のと」、「庚、申」が「金(か)のえ、金のと」、「壬、癸」が「水(みず)のえ、水のと」となる。

十干と十二支を、順にならべると、一回目で十二支の二つがはみ出す。で6回、十干を繰り返すと、十二支が5回割りつけられて、元に戻る。そこで、10×6(12×5)=60、60年で「還暦」となるのである。

今年は、2011年で「辛卯(シンボウ、かのとう)」の年である。「辛抱、辛抱」でもあるかも・・・。さて、歴史的に、乙巳の変(いっしのへん、昔の言い方は、大化の改新)、壬申の乱、戊辰戦争は西暦では何時だったでしょう、という問題が出たら、最近のそれらにあたる西暦を見つけて60の倍数で遡っていけば良い。

まあ、「大化の改新」が645年と覚えていたら、同じ7世紀の壬申の乱の西暦は、割り出しやすいかもしれないが、別の方法で割り出してみる。戊辰戦争は慶応4年・明治元年から2年と分かっているとすると、1868年が戊辰の年、明治2年が己巳、明治3年が庚午、明治4年が辛未、明治5年(1872年)が壬申なのである。これは、「壬申戸籍」が明治5年と知っていたからである。

すると、そこから1200年遡ると672年となり、どんぴしゃりなのである。

同様に遡っていくと甲子園は1924年(大正13年)に出来たことになる。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿