東京・神田の交通博物館、70年の歴史に幕 (朝日新聞) - goo ニュース
万世橋そばの交通博物館が70年の歴史に幕をおろし、5月14日に閉館したという。
わたしは小学生のころ何度か親父さんに連れられて行ったことがある。新幹線が開通する前の話だから、当然、入り口には画像のような展示はなかった。
館内の展示物に記憶を辿ろうとするのだが、どうもモヤモヤとして定かではない。なにかガラスケースの前にはボタンがあり、押すと機関車の車輪が動いたり、電車の運転席が再現されていて座れたり・・・・・。
ところが鮮明に覚えていることがひとつだけある。昼食を食べた時の記憶だ。食べた場所が交通博物館の中の食堂車を模したレストラン(そんなもの無かったらわたしの記憶違い)だったのか、秋葉原駅か上野駅構内の食堂だったのかは定かではないがこの事だけははっきりと覚えている。
頼んだ料理にナイフとフォークが付いてきたのだ。生まれて初めてのナイフ&フォーク。
「とうちゃん、これどっちにどれ持つの?」
「う~ん、箸持つほうにフォーク、お茶碗持つ手にナイフだな」
親父さんは生まれてこのかた、使う場面に遭遇することなんて無かったのだ。農家の三男坊、国鉄職員になっても毎日弁当だったのだから。なにしろうちにはナイフなんてなかった。
わたしが料理を前にナイフとフォークで悪戦苦闘したのはご想像の通り。何を食べたのかまったく覚えていないのはその為かもしれない。
当然といえば当然なのだが、わたしは“鉄ちゃん”にはなれなかった。なにしろ交通博物館での鮮明な記憶がナイフとフォークなのだから・・・・。
【参考】
交通博物館オフィシャルウェブサイト
交通博物館(フリー百科事典『ウィキペディア』)
交通博物館(個人のホームページ)
万世橋そばの交通博物館が70年の歴史に幕をおろし、5月14日に閉館したという。
わたしは小学生のころ何度か親父さんに連れられて行ったことがある。新幹線が開通する前の話だから、当然、入り口には画像のような展示はなかった。
館内の展示物に記憶を辿ろうとするのだが、どうもモヤモヤとして定かではない。なにかガラスケースの前にはボタンがあり、押すと機関車の車輪が動いたり、電車の運転席が再現されていて座れたり・・・・・。
ところが鮮明に覚えていることがひとつだけある。昼食を食べた時の記憶だ。食べた場所が交通博物館の中の食堂車を模したレストラン(そんなもの無かったらわたしの記憶違い)だったのか、秋葉原駅か上野駅構内の食堂だったのかは定かではないがこの事だけははっきりと覚えている。
頼んだ料理にナイフとフォークが付いてきたのだ。生まれて初めてのナイフ&フォーク。
「とうちゃん、これどっちにどれ持つの?」
「う~ん、箸持つほうにフォーク、お茶碗持つ手にナイフだな」
親父さんは生まれてこのかた、使う場面に遭遇することなんて無かったのだ。農家の三男坊、国鉄職員になっても毎日弁当だったのだから。なにしろうちにはナイフなんてなかった。
わたしが料理を前にナイフとフォークで悪戦苦闘したのはご想像の通り。何を食べたのかまったく覚えていないのはその為かもしれない。
当然といえば当然なのだが、わたしは“鉄ちゃん”にはなれなかった。なにしろ交通博物館での鮮明な記憶がナイフとフォークなのだから・・・・。
【参考】
交通博物館オフィシャルウェブサイト
交通博物館(フリー百科事典『ウィキペディア』)
交通博物館(個人のホームページ)