パンと雑貨のちいさなIPPO 

愛媛県砥部町で、夫婦で手作りの小さなパン屋をしています。

「100万回生きたねこ」考察

2016年03月13日 | 本と、絵本のお話

こんにちは

今日は「100万回生きたねこ」を読んで。というお話

この絵本に最初に出会ったのは20年近く前に、とある美術館で開かれていた

「国際絵本原画展」でした。もちろん原画で拝見したのですが、なんでよい本と言われるのか

よく分かりませんでした。

2度目は抽選で当たった、某スーパープレゼンツのクリスマスコンサートで、朗読で拝聴しました。

その時もやはり、なんでこの絵本にしたのかな~というくらいで、特に何も感じる事もありませんでした。

 

「100万回生きたねこ」がどういうお話かと言うと、

1匹の猫が、飼い主を変えながら、100万回生き返り、愛する1匹の白猫と出会ったのを最後に

白猫が亡くなると、自分も息絶えて、もう生き返りませんでした。というお話です。

100万回飼われている間、猫は飼い主から愛され、死ぬたびに飼い主は号泣するのですが、

猫はへいちゃら。だって生き返るんですから。

 

この、100万回飼われていた、というエピソードがなんで必要なのか、私には分からなくて、

白猫と出会って本当に死んでしまうエピソードとの関係性も分からなかったのです

なのに、みんな「いい絵本だ」という。

 

私は子どもの頃は地味~で大人しい、クラスでも目立たないタイプ。

救いは親友と呼べる友人が必ず1人は傍にいたこと。

家族はとても仲良くて、友人からは「サザエさん一家みたい」と言われるくらい。

家族構成を例えると、父がマスオさん、母がサザエさん、私が(学校では大人しい)カツオ、妹がワカメちゃん。

「ストレスがないのが悩みだ」というような、本当にのんびりした性格の私、クマみたいと言われたことも。

反面、コンプレックスの塊で、学校では自分を出せないし、優柔不断で、誰からも嫌われないように

つまらない話にも笑顔で対応、みたいな事をふつうにやっていたのですが、

常に早く卒業したい、私の居場所を見つけたい、と思っていました。

おうちの中は温かくて、理解のある両親と仲の良い妹と、温室みかんのように育っていました

 

そんな私が楽しいと思えた学校生活は高校時代。大好きだった絵を生かせる「漫研」に入った事。

いわゆるオタクですね

かなり楽しく過ごしました

内気なままですけどね。嫌われないように、という配慮も忘れなく。

絵を描くのが好きな私はそのまま美術短大へ。

性格は内気なままでしたが、絵に対する思いは徐々に炸裂といった感じでしょうか。

卒業するころには魔の就職氷河期が

内定もらえずフリーター

大阪でアルバイト。関西大学経済学部に通う妹と二人暮らし。

このころが私のバブル。仕送りをしてもらっていたので、バイト代はすべて娯楽に消えていきました

もう少し賢かったらバイト代貯めてたのに~といまだに悔やまれる

 

このバイト先でいろんな出会いがあり、「誰かに嫌われる事は決して怖い事じゃないんだ」と気付きました。

つまり、本音で話しても「嫌われる」ことにはならない。と気付いたんです。

今思うに、大阪人とふれ合ったのが良かったのかも。

中2の夏まで愛媛にいたので、基本のんびりなんですよね。

(愛媛の人がのんびりしている、というつもりはないのですが、大阪の人に比べるとかなりのんびりしている…かな)

本当にノリツッコミの世界でバンバン本音で話しちゃうし、音痴な人に面と向かって音痴と言っているのを

聞いた時は度肝を抜かれましたが、それがなんというか、お互いの関係性もあるけど、成り立っていて。

だいぶ鍛えられたんでしょうね~。知らず知らずのうちに。

 

で、兵庫に転勤してきた両親に呼ばれ姫路に住む事に。

ここでまた運命の出会いが

絵の師匠と言うべき絵の先生と出会い、個展をするに至るまでに育ててもらいました。

個展なんてそうとう年とってからするもんだ、と思っていたのに、ギャラリー借りたら出来るなんて、

これもちょっとした衝撃で、20代はほぼ絵を中心に生きてました。

個展会場では私は主役。

見に来るお客さんともまるで昔から友達だったみたいに話せる私。

絵を描いてる人って同じ匂いがあるというか、年齢性別関係なく同じ一つの趣味でつながれるので、

話題に事欠かないんですよね、見に来る人は絵が好きか、自分も描いてる人ばかりなので。

私の絵は描いてる人にウケがよかったみたいで、本当に楽しい時間でした

 

でもこの楽しい時間が、私に根拠のない自信をつけさせ、変に強気なキャラクターに変身させちゃったんです。

良くも悪くも。

 

先生と出会った時を同じくして夫とも出会います。

教室のあったギャラリーで、夫も一緒に絵を描いていました。

友人とグループ展もしたりして。

教室では先生の一番弟子と自負もあり、教室ではかなり生意気な存在だったと思います。

展示の際にも「この絵はこれと相性がいいからこっち」とかまぁ口出しはしょっちゅう。

額縁屋で働いているうちに、額装のセンスも手に入れて、自分の「センス」を過信するようになっていったのもこのころかも。

 

そして夫と結婚、出産前まで絵は描いていましたが、子育てに時間をとられて描かなくなりました。

パン屋をしたいと言う夫の夢。

「私がサポートしてあげる」と思えたら良かったのですが、サポートというより、「自分がメイン

みたいなわけですよ、強気で自分の価値観を信じて疑わない私は。

パン屋をするなら当然実家の近くじゃないと。というわけで当時退職していた両親の住んでいた

ここ砥部へ。めでたくパン屋開業。

パンを焼くのは夫、私はレジで、当時はなんとうか、お客様の入り具合で一喜一憂していました

お恥ずかしい話ですが、夫に八つ当たりもしていたし。そういや子育てのストレス抱えた時も八つ当たりしてました

 

そんな、職場にたまにいる、自分の機嫌を職場に持ち込む嫌な奴、だったわけです

そして過労から夫がうつに。

最初は夫が起きれないのが理解できなくて、なんで起きれないの?と責めた事も。

早く寝てみるとか、寝ないで真夜中から出て行くとか、夫も試行錯誤。

朝起きて夫がまだ家にいたりすると、もうその日は閉店。

私からすれば、起きれない夫が悪いと思っていて、でも夫は仕事をしようと必死だったわけで、

話をすると、やはり私が責める事に非がある、という結果に。

でもじゃあどうするんだって話ですよね。「起きれない」が理解できない。

「うつだから仕方ない」が私には理解できなかった。

 

「仕方ない」なんてことはこの世にはないと思っていた私。

これまでの人生ほぼ思い通りに生きてきたから。

「仕方なくない、どうにか思うような方向に向かせるんだ」って躍起になってた感じ。

しかも八つ当たり先で、何でも頼っていた夫が急に頼れなくなってしまって、私自身も大パニック

「助けて~」とうつである夫にすがるような無様な私

これじゃあうつも治らないどころか余計悪くなる

しばらく私も動転していましたが、やがて動転する事に疲れ…。

その頃に夫にいかに依存していたかに気付きました。

私が私がと自分本位の生活を指示してきたつもりが、夫がいざ病に倒れると何もできない

人生初「自律」という言葉に出会います。

 

「仕方ない」を受け入れる。

頼らないでやってみる。

夫に対しては「温かい放任」これが一番いいと細川てんてんさんも言っていたし、

うつ電話無料相談でもそう言っていたし。

日々をひたすら乗り切る。いつかきっとを信じて。

こんな事を3年。やってたら、「仕方ない」ことが世の中にはあって、なにもかも自分の思い通りにはいかない事や、

自分が舵をきるのではなく、他人の船に乗ってみるのも悪くない…と思えるようになりました。

 

これまで私は自分で思い通りに生きてきた、と思っていたのだけれど、

私が思い通りに生きれるように、家族も夫も友人も、みんなサポートしてくれていた。

それに気付かず私が正しいと思っていた私のなんと愚かな事

 

100万回生きたねこは100万回愛されていた事にようやく気付いて泣いたんです、きっと。

ある時読みながら本当にふっと、急に腑に落ちて泣きました。

今まで愛されていた事に気付こうともせず、自分本位で生きてきた傲慢さ。

自分が初めて白猫を愛して、今まで愛してくれた100万人の飼い主の深い愛に気がついて、

自分の愚かさと愛の本当の意味を知った…から命の完結。

 

私の存在ってなんだろう、私の価値観って?

自分の考えが一番正しいと思っていたけど、そうでもなさそう。

じっくり他人の話に耳を傾けると、自分では思いもつかないアイデアがあったり、

とってもいい考えがあったり。たとえ「それは違う」と思っても、一度は聞いて、受け入れてみて、

やっぱり違うと思ったら「私はこう思う」と言ったって遅くない。

「だからあなたの言いたい事はこうでしょう?」と先回りする癖、話す方はきっと煮え切らない思いをするはず。

先を急ぐ変な癖がいつのまにかついていて、早く早くとせかしてしまう。

それが3年の間「仕方ない事に対してジタバタしたも仕方ない」を習得して、ずいぶんなくなった。

そんなに急いで何が変わるわけでもなく。

むしろ夫や子どもの話をゆっくり聞いてあげることで、発見があったり、満足が得られたり、

豊かな時間が流れるというもの。

結果じゃなくて、道中を楽しむ、感じかな。

早く目的地に行くのではなくて、目的地まで鈍行で、景色を楽しみながら旅する感じ。

狭い日本そんなに急いでどこへ行く。

もちろん、急がなくてはいけない時は急ぐけど、常に急いでいると、ここが急ぎ時が分からなくなるような気がします。

 

ながながと…すみません。

また偉そうな事言って~と妹に怒られそうです。

夫が何を思っているか分からない時期があって、というか私がちゃんと見ていなかったから

分からなかっただけなんですが、うつの間「温かい放任」でじっくり観察したいたら、

何を考えているか、ちょっと分かるようになりました。

たまに全然違う時あるけど、「観察」って面白いですよ、子どもとか。

なんか子どもなりに訳があって、見てると本当に面白い。

口出ししないで見~てみよって思います

 

何もかもやってあげないで、任せると面白い。

でもここぞって時は手を貸す。

気持ちの断捨離

いい事言った

心もたまにはお片付けが必要なのかもしれませんね

 

ではでは。

明日はお天気悪いみたいですが…ご来店お待ちしております。

コメント (2)
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