入谷の鬼子母神より歩くこと数分。最初の目的地に到着しました。
東京都台東区下谷二丁目13番14号 『小野照崎神社(おのてるさきじんじゃ)』
小野照崎神社(Wikipediaより)
小野篁(おののたかむら)を主祭神とし、相殿に菅原道真を祀る。852年(仁寿2年)この地の住民が上野照崎の地に小野篁を奉斎したのが起源と伝わる。寛永年間(1624-43)、寛永寺の建立のため幕府より移転を命じられ、現社地に遷座した。江戸末期、回向院より菅原道真自刻と伝わる像を迎えて相殿に祀り、江戸二十五天神の一つに数えられた。
※ 主祭神となっている小野篁は、小野妹子の子孫というだけでなく、その伝説がとにかく不思議なものが多く、調べてみると面白いですよ。

どう見ても『小堅』に見えますが、これで『小野』と読む・・・のですか?

狛犬に目がいってしまうのはいつもの事ですが
ここの狛犬は、なかなかにラブリー

凛々しい表情のはずなのに、何故こんなに面白い感じになってしまうのか
恐らく、目が燃えているからですね

こちらが本殿、大変綺麗です

おっ、よく来たな

あまり見かけない燈篭と狛犬の融合、というより合体
・・・ですが、これは、ちょっと怖いです

愛も恋も・・・自分には難しすぎて・・・
・・・と、また脱線してしまいましたが、目的は、富士塚でしたね。
富士塚があるのでしたら、ここは浅間神社となるはずと境内を探してみると、奥の富士塚と一緒にありました。国の重要有形民俗文化財として登録されているだけあって、規模的には、かなり大きなもののようです。入口となる場所には、猿が両側に鎮座しまして、入ってすぐの参道には、一合目などの標識も見えています。しかし、残念ながら入口の門扉は閉まっており、中に入ることは出来ません。文化財保護の観点からか、行事の際(6月30日・7月1日)にのみ開放されているようです。残念ではありますが、東京でも少なくなった文化財を守るのも大切ですからね。

こちらが、通称『下谷坂本の富士塚』です

入口の両側には、お猿さん

これだけの規模のものが江戸時代のまま残されているのは珍しいようです
塚は、すべて富士の溶岩で覆われており、まさに本物
『下谷坂本の富士塚』
この塚は模造の富士山で、文政十一年(1828)の築造と考えられている。『武江年表』同年の項に、「下谷小野照崎の社地へ、石を畳みて富士山を築く」とある。境内の”富士山建設之誌碑”によると、坂本の住人で東講先達の山本善光が、入谷の住人で東講講元の大坂屋甚助と協議して築造し、富士山浅間神社の祭神を勧請したという。
東講は富士山信仰の集団、いわゆる富士講の一。富士山信仰は室町末期頃に起り、江戸時代中期には非常に盛んになり、江戸をはじめとして富士講があちこちで結成された。それにともない、模造富士も多数築かれ、江戸とその近郊の富士塚は五十有余を数えるに至った。しかし、いまに伝わる塚は少ない。
ここの富士塚は高さ約五メートル、直径約十六メートル。塚は富士の溶岩でおおわれ、東北側一部が欠損しているものの、原形がよく保存されている。原形保存状態が良好な塚は東京に少ないので、この塚は貴重である。昭和五十四年五月二十一日、国の重要有形民俗文化財に指定された。
さて、続いて訪れたのは、山手線をクルッと回って池袋駅。
ここから歩くこと2キロ(いや、もっと)ばかり先の街中に二つ目の富士塚があるということでした(最寄駅は、千川駅)。住宅地をクルクルと歩き回った末、公園の一角に不思議な山を見たのでした。こちらは、公園の一角という破壊の危険性が高い場所にあるためか、先程の富士塚よりも厳重に施錠がされており、神社に近付くことも出来ませんでした。こちらも行事以外には、立ち入ることも出来ないようです。
東京都豊島区高松二丁目9番3号 『富士浅間神社』

住宅街を歩いていると公園の一角に鳥居がありました

これが、豊島長崎の富士塚(豊島長崎富士/高松富士)です
とはいえ、またもやフェンス越しに一部分しか撮影できません

とにかくガードが固く、神社にすら近づくことが出来ません

フェンスから撮影すると、規模だけでなく大層立派な感じです
『豊島長崎の富士塚』
富士塚は、富士山を神の宿る地として信仰する人々の集まりである富士講によって、江戸時代後期以降、主として富士登山が困難な人々のために、江戸とその周辺地域に築かれたものです。
この富士講は、角行を開祖とし、江戸時代中期には身禄によって広められ、最盛期には江戸八百八講と称されるほどの講が結成されて代表的な庶民信仰の一つとなりました。
豊島長崎の富士塚は、文久二年(1862)に富士講の一つである豊島郡長崎村の月三講(講祖は三平忠兵衛)の椎名町元講の人々によって築造されました。高さ約八メートル、直径約二十一メートルで、表面は富士山の黒ボク石(溶岩)でおおわれています。
塚内には、頂上に大日如来坐像、小御岳石尊大権現碑、烏帽子岩奉献碑があるほか、合目石、講碑、石仏、天狗像、御胎内などが配置され、約五十基の充実した石造物群で構成されています。浅間神社では、かつでお焚き上げが行われており、奉納された数多くの講碑からは、長崎村の人々の富士信仰の強さと、近隣地域の人々との交流をうかがい知ることが出来ます。
この富士塚は、東京都内にある江戸時代に築造された富士塚の中でもよく原型をとどめていることから、昭和五十四年五月二十一日に国の重要有形民俗文化財に指定されました。その美観と偉容を永く後世に伝えるため、昭和六十二年には昭和大修復が行われ、以後浅間神社豊島長崎富士塚保存会によって山掃除や保存修復事業が定期的に実施されています。
こうなると、都内にもう一ヶ所ある文化財指定の富士塚も入れない可能性が高そうです。
とはいえ、見てみたいので次なる場所を確認すると・・・なんと、江古田駅前。あのあたりをご存じの方は、お分かりになるかもしれませんが、駅前にある神社の所にあるようですが・・・ありましたっけ。
豊島長崎の富士塚から、大体2キロちょいでしたので、歩いて現地に向かいます。いつの間にか新しく出来たと思われる日本大学芸術学部の校舎を横目に見つつ、暑さのせいか意外に距離を感じましたが、西武池袋線江古田駅に到着です。
こちらの駅前にあるのが、茅原浅間神社。目的のお山は、神社の背後にありました。想像通りの案の定でしたので、もはやがっかりもしませんが、やはり門扉は閉じられており、中に入ることは出来ませんでした。ただ、賑やかな場所にあるためか、他よりは情報は多くありまして、入口には、山開き時期の情報も載っていましたので、気になる方は、この日に合わせて行ってみてはいかがでしょうか。
東京都練馬区小竹町一丁目59番6号 『(茅原)浅間神社』

他の二つとは違い、入口から大きくアピールしています

駅のそばということもあって、参拝される人もひっきりなし

富士塚は、神社の裏手にありました

予想通り、公開はしておりませんでした

江戸から残るだけあって、これまた立派な山容です

一合目の標識・・・のそばに座るのは、何でしょう

ありがたいことに、登山可能時期もちゃんと入口に書いてありました
『江古田の富士塚』
江古田の富士塚は、富士講の一派小竹丸祓講によって天保十年(1839)に築造されたものと考えられますが、一説には文化年間(1804~1818年)築造ともいわれています。高さ約八メートル、直径約三〇メートル、関東大震災の時に損壊しましたが、その後復旧され、塚全体が富士の溶岩で覆われています。
頂上の唐破風屋根のついた石祠は、天保十年に造立されたもので、他に経ヶ嶽・太郎坊・小御神社の石碑や大天狗・小天狗・神猿などの石像もあり、元治二年(1856)の講碑、大正十二年震災時の御神体修築の碑などが建っています。社殿の前には文化四年(1807)の石燈籠や文化九年(1812)の手水鉢なども残っています。
都区内の富士塚の中では、大規模な部類に属し、庶民信仰の様相を示すものとして、昭和五十四年五月二十一日、国の重要有形民俗文化財に指定されました。
ということで、台東区、豊島区、練馬区と渡ってきましたが、山の麓まで来ていながら、結局、一つも登ることが出来ないまま、富士塚巡りは、終わりを迎えてしまいました。ただ、こんな中途半端な感じで終わってしまうのは、いささか残念でもありますので、登れる山を目指し再び立ち上がったのでした。
つづく?
<おまけ>
江古田駅から、次なる目的地に向けてフラフラ歩いていると(迷ったんですけど)、一つの看板が目に飛び込んできました。
人通りも車通りも多い道沿いでしたので、そういった場所で写真を撮るのは、ヘタレな自分としては、相当に勇気のいる行為です。しかも、内容が内容だけに、立ち止まって人通りが無くなるのを待つ行為は、自虐的行為に他なりません。かといって、この内容を見て、再び戻っていくというのは、あまりにも俗物のようで躊躇われます。そんなこんなを頭の中で葛藤し、
『よし、見なかったことにしよう』
という結論を下したのですが、見ないように通り過ぎようとしている時も、『それでいいのか?!』 という悪魔のささやきが心の奥から聞こえてきます。
そんな葛藤の末に撮った写真がこちら

こうして、改めて見ると、何撮ってんだかと虚しくなります。
・・・ああっ、真面目な記事だったのに・・・。
東京都台東区下谷二丁目13番14号 『小野照崎神社(おのてるさきじんじゃ)』
小野照崎神社(Wikipediaより)
小野篁(おののたかむら)を主祭神とし、相殿に菅原道真を祀る。852年(仁寿2年)この地の住民が上野照崎の地に小野篁を奉斎したのが起源と伝わる。寛永年間(1624-43)、寛永寺の建立のため幕府より移転を命じられ、現社地に遷座した。江戸末期、回向院より菅原道真自刻と伝わる像を迎えて相殿に祀り、江戸二十五天神の一つに数えられた。
※ 主祭神となっている小野篁は、小野妹子の子孫というだけでなく、その伝説がとにかく不思議なものが多く、調べてみると面白いですよ。

どう見ても『小堅』に見えますが、これで『小野』と読む・・・のですか?

狛犬に目がいってしまうのはいつもの事ですが
ここの狛犬は、なかなかにラブリー

凛々しい表情のはずなのに、何故こんなに面白い感じになってしまうのか
恐らく、目が燃えているからですね

こちらが本殿、大変綺麗です

おっ、よく来たな

あまり見かけない燈篭と狛犬の融合、というより合体
・・・ですが、これは、ちょっと怖いです

愛も恋も・・・自分には難しすぎて・・・
・・・と、また脱線してしまいましたが、目的は、富士塚でしたね。
富士塚があるのでしたら、ここは浅間神社となるはずと境内を探してみると、奥の富士塚と一緒にありました。国の重要有形民俗文化財として登録されているだけあって、規模的には、かなり大きなもののようです。入口となる場所には、猿が両側に鎮座しまして、入ってすぐの参道には、一合目などの標識も見えています。しかし、残念ながら入口の門扉は閉まっており、中に入ることは出来ません。文化財保護の観点からか、行事の際(6月30日・7月1日)にのみ開放されているようです。残念ではありますが、東京でも少なくなった文化財を守るのも大切ですからね。

こちらが、通称『下谷坂本の富士塚』です

入口の両側には、お猿さん

これだけの規模のものが江戸時代のまま残されているのは珍しいようです
塚は、すべて富士の溶岩で覆われており、まさに本物
『下谷坂本の富士塚』
この塚は模造の富士山で、文政十一年(1828)の築造と考えられている。『武江年表』同年の項に、「下谷小野照崎の社地へ、石を畳みて富士山を築く」とある。境内の”富士山建設之誌碑”によると、坂本の住人で東講先達の山本善光が、入谷の住人で東講講元の大坂屋甚助と協議して築造し、富士山浅間神社の祭神を勧請したという。
東講は富士山信仰の集団、いわゆる富士講の一。富士山信仰は室町末期頃に起り、江戸時代中期には非常に盛んになり、江戸をはじめとして富士講があちこちで結成された。それにともない、模造富士も多数築かれ、江戸とその近郊の富士塚は五十有余を数えるに至った。しかし、いまに伝わる塚は少ない。
ここの富士塚は高さ約五メートル、直径約十六メートル。塚は富士の溶岩でおおわれ、東北側一部が欠損しているものの、原形がよく保存されている。原形保存状態が良好な塚は東京に少ないので、この塚は貴重である。昭和五十四年五月二十一日、国の重要有形民俗文化財に指定された。
さて、続いて訪れたのは、山手線をクルッと回って池袋駅。
ここから歩くこと2キロ(いや、もっと)ばかり先の街中に二つ目の富士塚があるということでした(最寄駅は、千川駅)。住宅地をクルクルと歩き回った末、公園の一角に不思議な山を見たのでした。こちらは、公園の一角という破壊の危険性が高い場所にあるためか、先程の富士塚よりも厳重に施錠がされており、神社に近付くことも出来ませんでした。こちらも行事以外には、立ち入ることも出来ないようです。
東京都豊島区高松二丁目9番3号 『富士浅間神社』

住宅街を歩いていると公園の一角に鳥居がありました

これが、豊島長崎の富士塚(豊島長崎富士/高松富士)です
とはいえ、またもやフェンス越しに一部分しか撮影できません

とにかくガードが固く、神社にすら近づくことが出来ません

フェンスから撮影すると、規模だけでなく大層立派な感じです
『豊島長崎の富士塚』
富士塚は、富士山を神の宿る地として信仰する人々の集まりである富士講によって、江戸時代後期以降、主として富士登山が困難な人々のために、江戸とその周辺地域に築かれたものです。
この富士講は、角行を開祖とし、江戸時代中期には身禄によって広められ、最盛期には江戸八百八講と称されるほどの講が結成されて代表的な庶民信仰の一つとなりました。
豊島長崎の富士塚は、文久二年(1862)に富士講の一つである豊島郡長崎村の月三講(講祖は三平忠兵衛)の椎名町元講の人々によって築造されました。高さ約八メートル、直径約二十一メートルで、表面は富士山の黒ボク石(溶岩)でおおわれています。
塚内には、頂上に大日如来坐像、小御岳石尊大権現碑、烏帽子岩奉献碑があるほか、合目石、講碑、石仏、天狗像、御胎内などが配置され、約五十基の充実した石造物群で構成されています。浅間神社では、かつでお焚き上げが行われており、奉納された数多くの講碑からは、長崎村の人々の富士信仰の強さと、近隣地域の人々との交流をうかがい知ることが出来ます。
この富士塚は、東京都内にある江戸時代に築造された富士塚の中でもよく原型をとどめていることから、昭和五十四年五月二十一日に国の重要有形民俗文化財に指定されました。その美観と偉容を永く後世に伝えるため、昭和六十二年には昭和大修復が行われ、以後浅間神社豊島長崎富士塚保存会によって山掃除や保存修復事業が定期的に実施されています。
こうなると、都内にもう一ヶ所ある文化財指定の富士塚も入れない可能性が高そうです。
とはいえ、見てみたいので次なる場所を確認すると・・・なんと、江古田駅前。あのあたりをご存じの方は、お分かりになるかもしれませんが、駅前にある神社の所にあるようですが・・・ありましたっけ。
豊島長崎の富士塚から、大体2キロちょいでしたので、歩いて現地に向かいます。いつの間にか新しく出来たと思われる日本大学芸術学部の校舎を横目に見つつ、暑さのせいか意外に距離を感じましたが、西武池袋線江古田駅に到着です。
こちらの駅前にあるのが、茅原浅間神社。目的のお山は、神社の背後にありました。想像通りの案の定でしたので、もはやがっかりもしませんが、やはり門扉は閉じられており、中に入ることは出来ませんでした。ただ、賑やかな場所にあるためか、他よりは情報は多くありまして、入口には、山開き時期の情報も載っていましたので、気になる方は、この日に合わせて行ってみてはいかがでしょうか。
東京都練馬区小竹町一丁目59番6号 『(茅原)浅間神社』

他の二つとは違い、入口から大きくアピールしています

駅のそばということもあって、参拝される人もひっきりなし

富士塚は、神社の裏手にありました

予想通り、公開はしておりませんでした

江戸から残るだけあって、これまた立派な山容です

一合目の標識・・・のそばに座るのは、何でしょう

ありがたいことに、登山可能時期もちゃんと入口に書いてありました
『江古田の富士塚』
江古田の富士塚は、富士講の一派小竹丸祓講によって天保十年(1839)に築造されたものと考えられますが、一説には文化年間(1804~1818年)築造ともいわれています。高さ約八メートル、直径約三〇メートル、関東大震災の時に損壊しましたが、その後復旧され、塚全体が富士の溶岩で覆われています。
頂上の唐破風屋根のついた石祠は、天保十年に造立されたもので、他に経ヶ嶽・太郎坊・小御神社の石碑や大天狗・小天狗・神猿などの石像もあり、元治二年(1856)の講碑、大正十二年震災時の御神体修築の碑などが建っています。社殿の前には文化四年(1807)の石燈籠や文化九年(1812)の手水鉢なども残っています。
都区内の富士塚の中では、大規模な部類に属し、庶民信仰の様相を示すものとして、昭和五十四年五月二十一日、国の重要有形民俗文化財に指定されました。
ということで、台東区、豊島区、練馬区と渡ってきましたが、山の麓まで来ていながら、結局、一つも登ることが出来ないまま、富士塚巡りは、終わりを迎えてしまいました。ただ、こんな中途半端な感じで終わってしまうのは、いささか残念でもありますので、登れる山を目指し再び立ち上がったのでした。
つづく?
<おまけ>
江古田駅から、次なる目的地に向けてフラフラ歩いていると(迷ったんですけど)、一つの看板が目に飛び込んできました。
人通りも車通りも多い道沿いでしたので、そういった場所で写真を撮るのは、ヘタレな自分としては、相当に勇気のいる行為です。しかも、内容が内容だけに、立ち止まって人通りが無くなるのを待つ行為は、自虐的行為に他なりません。かといって、この内容を見て、再び戻っていくというのは、あまりにも俗物のようで躊躇われます。そんなこんなを頭の中で葛藤し、
『よし、見なかったことにしよう』
という結論を下したのですが、見ないように通り過ぎようとしている時も、『それでいいのか?!』 という悪魔のささやきが心の奥から聞こえてきます。
そんな葛藤の末に撮った写真がこちら

こうして、改めて見ると、何撮ってんだかと虚しくなります。
・・・ああっ、真面目な記事だったのに・・・。
美味しかった?
どんなラーメンだったの?
教えて~~~~~(笑
富士信仰(富士講)とは、富士山とそこに住まう神を信仰の対象としている信仰集団であり、浅間講とも呼ばれます。この信仰では富士山に登山すること自体が、修業にあたるとされます。
寛政12年(1800)幕府により女人の富士登山が許されてから富士信仰が盛んになり各地に富士講中が出来ました。
富士塚とは、江戸時代庶民の間で信仰された富士信仰に基づき、富士山に模して造営された人工の山や塚の名称で、頂上には浅間神社が祀られます。関東地方を中心に各地に分布しています。
富士講が盛んになった江戸時代には、富士山に登ることが容易ではなかったため、各地に富士山に見立てた富士塚を造り、そこに登ることで富士登山を疑似的に体験するようになりました。
各地にある富士塚も、築造当時はその上からは富士山を望めたようですが、近年の家屋高層化に伴い、今では富士山を望めるところは無いようです。
都内で手軽に行ける富士塚に、文京区大塚五丁目にある語国寺(有楽町線の護国寺駅傍)の富士塚をご紹介します。
入口に建つ富士道碑、鳥居傍の鳥居記念碑、
御頂上大石と刻まれる碑や、講中が奉納したと思われる石碑群、○合目と刻まれる標柱等が見られます。
これからも宜しくお願いします。
身内に妊婦さんが 居たので 安産祈願に
もう少し この情報が 早く戴いていたら 必ず『富士塚』へは 寄ったことでしょう
残念!
都会へはなかなか行く機会が有りませんし 地名 駅名を聞いても さっぱり
鬼子母神の 文字に たった一年前の事が 懐かしく思い出されます
角の無い 鬼の文字は ソコで 戴いた 『御朱印』で確認しました
御朱印は神様を祀ってある 山では 手に入りますよ~
下界の通常は 300円
富士山は 1000円でした。
最後のネタ、強烈すぎません?
そうそう、この際だから、山開き当日のレポも希望です。
冨士講の行者さんが集まって、護摩を焚いたりするのかしら?
木曽駒さんがこんなに食いつくとは…。
実は、この日は、お店がお休みで食べられなかったんですよ(汗)。
いやいや、看板出ていましたがお休みだったんですよ。
いやぁ、やっていたら食べたんですけどね、本当に残念だなぁ。はははっ…いや、無理っす。
お越しいただきまして有難う御座います。
このような内容に興味を持って頂くとはと、リンク先を拝見させて頂きましたが、ご専門の方でしたか。膨大な調査内容、大変参考になります。また楽しみが増えそうです。
もう少し早ければとは…って、昨年でしたか(笑)。ただ、報告しておけば、またいつかいらした際に行く事が出来ますから、残りの記事もちゃんと書きたいです(そればっか)。
御朱印は、その世界に入ると抜け出せなくなりそうなので、もう少し年齢が上がってからの楽しみにしようと思っています。
にしても富士山、高いですね。
的確なツッコミ有難う御座います(笑)。
山開きもすっかり過ぎ去ったコメントで失礼いたしました。当日は、東京にいる事もかなわず、仕事の合間にちょっと立ち寄りも出来ずにおりました(ヲイッ)。
何でも九月に行う場所もあるので、そちらは、狙ってみたいと思います。覚えてられるかなぁ…。
富士塚の記事はとても興味深かったです。
私も機会があったら巡ってみたいものです…。
コメント有難う御座います。
そういった縁でこちらの記事をご覧頂ける事もあるのかと、何だか嬉しくなってしまいます。やはり、書いてみるものですね。由来から調べて、知らなかった世界が広がるのは、楽しそうですね。
富士塚の記事も実はまだ中途半端でして…ご興味を持って頂けたのでしたら、いつか続きも書いてみます。