飼い猫の遠吠え

とにかく気持ちは前向きに寝る間を惜しんでほふく前進・・・

富士塚を求めて(3):鐵砲洲稲荷神社(鉄砲洲富士)

2012-07-05 01:35:49 | スポットなたしなみ

ここまでで、二つの富士塚を登ることが出来ましたが、やはり安全な階段ではなく、もう少し富士塚らしい山にも登ってみたいと思い始めてしまうのは、満たされた人間の贅沢な欲求というものなのでしょうか。ということで、白山駅から行けそうな場所と考えてやってきたのは


八丁堀駅


プライベートではもちろんのこと、仕事でも利用した記憶が無い駅で、イメージできるのは「八丁堀のだんな」というフレーズ位(ヲイ)。都会と下町が融合したようなこの街に、中央区で唯一きちんと残っている富士塚があるそうです。


八丁堀駅から公園を抜けて歩くこと数分
こちらの神社がその目的地の



おおっ!! なんて可愛らしいポーズで迎えてくれるんですかコンチクショウめ・・・

もとい、『鐵砲洲稲荷神社』です



鐵砲洲稲荷神社
所在地 中央区湊一-六-七

 鐵砲洲稲荷神社は、江戸湊の入口に鎮座する神社として、地域の人々の信仰を集めてきました。
 神社は、寛永元年(1624)頃、稲荷橋南東詰に遷りましたが、明治元年(1868)現在地に移転し、今日に至っています。
 関東大震災により被害をうけた境内は昭和十年(1935)より復興、整備され、正面中央奥に社殿、左手に神楽殿と摂社八幡宮、右手に社務所と手水舎が向かい合うように配置され、境内西南隅に神輿庫が設けられています。また、西北隅には富士山の溶岩で築いた富士塚があり、そこを富士信仰の場としていました。むかしの富士塚は「江戸名所図会」にも描かれた有名なものでした。
 境内は昭和初期の神社建築とその配置の有様をよく伝えており、また、富士塚も区内唯一の富士信仰の名残りをとどめている点から、共に中央区民文化財に登録されています。

平成五年三月 中央区教育委員会



東京都中央区湊1-6-7
鐵砲洲稲荷神社




逸る気持ちを抑えて、まずは参拝します
そうそう、茅の輪を見て思い出したのは、昨日が夏越の祓であったこと
山開きで頭が一杯だったため、失念していました・・・残念



入口のラブリー狛犬とは対象的なマッチョなボディのいかついアイツ(?)
前脚の踏ん張りがいい感じです



左手には、懐かしいかな、二宮金次郎のミニ銅像
摂社の報徳ニ宮神社の関連ですね



こちらは、江戸っぽい感じ



富士塚は、奥にあるということですが・・・探していると、鉄砲洲浅間神社への案内標識がありました
こちらを見るまで勘違いしていましたが、先ほどの神社は稲荷神社で浅間神社は別なのですね



右手奥に進んでいくと・・・ありました、富士塚です



先程まで見てきた富士塚は、所々にその痕跡は残されておりましたが
全景がきちんと山の形として残っているのを見ると、おおっ!と思いますね
しかもきちんと全てが溶岩で覆われているようです



昔は、参拝者からその姿を見上げられていたことでしょうが
今では四方をビルに囲まれてしまい周囲からも見えない状態に・・・存続も大変ですね



本日は例祭と神社の年間予定には書いてあったと思っていましたが
すでに終わっているのか誰も居ない様子

そして、その鳥居には気になる赤文字が・・・




なんとっ!!



ここに来て、またもストップがかかってしまいました。
ただ、周りに誰もいませんし、チェーンも外れていますので、安全に登ればいいのかなぁなんて思いつつ、しばらく周囲を見回しつつ 誰も居なければこっそり登ってしまおうか・・・なんて思っていないですって 様子を見ます。どうしようかと悩んでいましたが、神社の方に確認してみると

「本日は1日ですので、参拝いただけますよ」

との有り難いお返事。毎月1日なのか、7月1日なのか、きちんと確認するのを忘れてしまいましたが、これで堂々と登ることが出来るのでした。
そうそう、どうしようかと富士塚を遠めに眺めつつ富士講の碑を見ていた時、それに混じってこちらの富士塚の説明を見つけました。


當神社境内に在る冨士塚は始め寛政二年九月稲荷橋南詰の元社地内に築造されしものなり。明治二年二月社地の移転ありて明治七年四月に至り現在の大鳥居より東南十二三間の度に再築さる明治十八年社殿御造営に際し現在の大鳥居に西北約八間を距りたる度に移されしか更に大正大震災の區劃(区画)整理に因る社地移転に當りて昭和三年十二月に此度小移す

昭和三年十二月 郷社鐵砲洲稲荷神社

御社殿御造営に因り昭和十一年秋右に記録せる位置より富士山を西へ二間大鳥居を南へ二間夫々移動せ


(・・・てか、旧漢字読めないっす)



さて、富士塚登山開始です
富士塚の右手に、『胎内』と呼ばれる洞穴が模してあるのは、本格派



これが『烏帽子』になるのでしょうか



五合目にあるのは、『小御嶽神社』



普通の階段と比べると、やはり歩くのには不安定
ただ、これが山を登っている感覚と同じように思えるのでしょうね



山頂へはあと少し



そして登頂、こちらが『奥宮』




山頂からの眺めは、展望こそありませんが
下を眺めると思った以上に高さを感じてしまいます



いい経験をしたなぁ・・・と思えてきます



たった数メートル、たった数分の山登りですが、こんな小さな富士でありながらも、手すりの無い山頂に立つと、何というか登ったなぁという感じがするのです。後ろにはもっと高いビルに囲まれているわけですが、山頂から神社の方を眺めると、ちょっと誇らしい感じすらしてきます。もしかすると、少し童心に帰っているのかもしれません。
そして、祠に向かって願い事をいくつか、ご利益があることを願いつつ。


・・・ああっ、石碑の旧漢字の読み出しに手間取っていたら、続きが書けなくなってしまいました。
さてさて、都営地下鉄途中下車の旅(違うって)、次はいよいよ、メインステージです。

※ これも山行報告のカウントに入れていいかな? と思ったりし・・・いや、嘘です。



<おまけ>

東京スカイツリー開業から、地下鉄界隈も色々と変更などされているのはニュースなどで見て知っていました。
パッと見でいつも読めない業平橋駅(なりひらばし:由緒は歌人でお馴染み在原業平から)を「とうきょうスカイツリー駅」にしてしまったことは有名ですが、「とうきょう」が平仮名というのに未だに慣れないでいます。全然知らない所でこっそり変えられていたのは、押上駅が「押上(スカイツリー前) 」と変な注釈を駅名につけられたり、東武伊勢崎線の一部区間が「東武スカイツリーライン」になっていたりと、少々同情したくなるような改変がスカイツリー界隈では進んでいるようです。
まぁ、経済効果などを考えれば、後で見たら良かったといわれるのかもしれませんけど・・・。


で、今回おまけに登場するのは、東武スカイツリーライン利用中に見たポスターです。
地下鉄利用時にもチョコチョコ目にとまっていたので、知ってはいたのですが、見るたびにどうもひっかかっていたのです。恐らく、あの何というか小馬鹿にしたような口元にイラッとくるのか、全体的なシュール感が琴線に触れてくるのか、気になってしまいます。その意味では、広告としては成功なのでしょうけどね。
そうそう、こちらのキャラクターは、東京スカイツリー公式キャラクター「ソラカラちゃん」。カッチリと作ってしまうより、こうした隙がある突っ込みどころの多いキャラクターの方が、最近のイメージ戦略的にはいいみたいです。



それにしても、なんというか・・・次のポスターも期待してます(えっ



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