飼い猫の遠吠え

とにかく気持ちは前向きに寝る間を惜しんでほふく前進・・・

富士塚を求めて(4):小野照崎神社(下谷坂本富士)

2012-07-06 03:10:40 | スポットなたしなみ

八丁堀駅から日比谷線でそのまま一本、


やってきました入谷駅

そうそう、7月6日~8日まで「入谷朝顔まつり」(朝顔市)が開催されます
おっと、もう今日からですので、お時間ある方は是非どうぞ



入谷駅から数分のところに、目的地の小野照崎神社はあります・・・が、何で、駅入口の地図に載っていないのでしょう・・・迷っ ・・・てしまうじゃないですか。

以前訪問したときの記事は、東京都区内富士塚巡り(2) にありますが、この時は、期間限定なんてことが在ることすら知らない富士塚初心者でしたので、登ることが出来ず残念な思いをしていました。ただ、その時、扉越しに眺めたその山容は、富士塚素人から見てもなかなかに格好よく、いつか登ってみたいと心の隅で思っていたのです。・・・が、こちらが開放されるのが1年のうち山開きの2日間のみ、しかもその日が休日となるとは限らないという限定も限定な日付設定ですので、まぁ、いつか運のいい日に行けたらいいなぁ・・・と思っていたところでのこのタイミング。これだけでも僥倖と言わざるを得ません。

残念ながら前日の開山式は、見ることは出来ませんでしたが、この日、念願の富士塚登山をするべく、小野照崎神社にやってきたのでした。


『下谷坂本の富士塚』
 この塚は模造の富士山で、文政十一年(1828)の築造と考えられている。『武江年表』同年の項に、「下谷小野照崎の社地へ、石を畳みて富士山を築く」とある。境内の”富士山建設之誌碑”によると、坂本の住人で東講先達の山本善光が、入谷の住人で東講講元の大坂屋甚助と協議して築造し、富士山浅間神社の祭神を勧請したという。
 東講は富士山信仰の集団、いわゆる富士講の一。富士山信仰は室町末期頃に起り、江戸時代中期には非常に盛んになり、江戸をはじめとして富士講があちこちで結成された。それにともない、模造富士も多数築かれ、江戸とその近郊の富士塚は五十有余を数えるに至った。しかし、いまに伝わる塚は少ない。
 ここの富士塚は高さ約五メートル、直径約十六メートル。塚は富士の溶岩でおおわれ、東北側一部が欠損しているものの、原形がよく保存されている。原形保存状態が良好な塚は東京に少ないので、この塚は貴重である。昭和五十四年五月二十一日、国の重要有形民俗文化財に指定された。

平成六年三月  台東区教育委員会



小野照崎神社
東京都台東区下谷2-13-14





やってきました小野照崎神社
上部には、「お山開き」と書かれた提灯が飾られています



これまでに訪れた神社同様に、もっと屋台も並び賑々しい感じかと思っていましたが
特に屋台の出店も無く、普段とは提灯飾りが在る程度の違いでした



まずは参拝
幟にも「学問・芸能の神様」とあるようですので、少しでも頭が良くなるように
あっ、このブログをちゃんと書けますようにもお願いしておけば、こんなに難儀しないで済んだかもしれません・・・



そして、本殿の左隣にあるのが富士塚入口と浅間神社の碑
確かに富士塚入口の扉が開いています



入口から眺めると、立派な富士塚と、おおっ!! 皆さん登っていますね
自分も早速登山開始しましょう



品川富士と同じように、参道には比較的大きめな『○合目』の石碑が置かれております
スタートから直ぐ、目の前に見えるのは、二合目の標識・・・って、あれ?



こういった些細なことが気になってしまうのは、良いのか悪いのか・・・
一合目の案内を探してみますと、左手奥に「壱」の文字が見えました
あっちが一合目?



ここからのスタートとなると、入口からの繋がりがどうもしっくり来ないのですが・・・
別の場所が入口だったとか・・・ないですかね



さて、すっきりしたところで、いよいよ行きますよ



とはいえ、眼前の山頂まで直登をする訳ではなく
外から見ていたよりは、かなりフラットな登山道を登っていきます



三合目石碑のそばには、洞窟らしき場所と角の行者像



緩やかな九十九折で少しずつ高度を上げていきます
思った以上に安全なのですね



そして半分



上から眺めると、まだまだ高いとは思えない感じ

それにしても、やはり人気のようで後から人がやってきます
自分は、こんな感じのペースですから、どんどん抜かれていってます



奥の方は、こちらの案内や安全確保をされていました
有り難うございます



七合目を過ぎた先
七合五勺目の烏帽子岩の洞窟となるとFF6 身禄像のようです

こういったことを知ることで、富士塚の見方も変わってきます



山頂まではあと少し



この辺りは気をつけてっと



そして、山頂到着
今までの富士塚が比較的大きな山頂だったためか、思ったより小さなスペースに思えました
祠も無く、富士山の方向(と思われる)に岩が置かれておりました



こう眺めるとやっぱり高いです



先ほどの案内の方から
「あちらが富士山の方向となりますので、富士山に向かってお参り下さい」
と教えていただきました



ご多分にもれず、富士塚は、下山道の方が危険度が高いの法則



大混雑ということはありませんでしたが
常に誰かが登っているような状態でした



この富士塚登山、小さいからといって侮ってはいけません。
登っている人達を見ていれば分かりますが、この不思議な体験はワクワクするものがありますし、山頂に登った人達からは、何となくやった!という喜びの笑顔を見ることが出来ます。江戸時代から続く富士講の儀式は、信仰心などとは別のものになったかもしれませんが、富士山を愛する日本人の心と共にこれからも受け継がれていくのではないでしょうか。


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