飼い猫の遠吠え

とにかく気持ちは前向きに寝る間を惜しんでほふく前進・・・

2012年春プチ旅行(その1):1日目 勿来~五浦

2012-05-15 23:50:31 | 長旅なたしなみ

2012年5月4日(金・祝日)

GWに仕事があったため、この日が連休初日となった・・・のですが、前日にちょっとブログの更新を頑張ったところ、ノリノリではまってしまい、気がつけばすっかりお日様が顔を覗かせておりました。それでも、折角の休みを有効活用したいと、少しだけ仮眠をしてから直ぐに出発・・・と考えて上手くいったことが無いのは学習能力の足りないところ。仮眠から目覚めれば、お昼という結果が待っていたのでした。
ノソノソと居間に出てみれば、「あれ、昨日の夜中から出発するんじゃなかったの?」という言葉を頂き、高速道路情報を見てみれば、乗り遅れた感たっぷりの赤いラインが延びきっており、天気予報を見れば目的地の東北地方は雨の予報が延々と・・・。なんとなく、出掛けないという選択肢もありかなぁ、なんて考えたくなるような要素ばかり。と思っていたら、そう、

「常磐道があるじゃないか」

関東内の高速道路でも、この時間でも何とか抜けられそうな状態ですし、そのまま北へも抜けることが出来ることもあって、仕事以外で利用することも少ないこの経路を選択。そそくさと準備をしていよいよ出発となりました。予想通り、少しだけ引っかかる場所はあったものの外環から常磐道もおおむね順調に流れており、GWとは思えない快適ぶり(ヲイ)。そのままスイスイと北に向かいます。
とはいえ、そのまま通過するだけというのも勿体無いと思い、何処に行ったものかと選択したのは、福島/茨城県境にある勿来でした。

勿来(なこそ)

変換で出るとはいえ、未だにこの字を見てもパッと思いつかないこの地名。遡ること1500年前、律令時代に白河関(福島県白河市)、念珠関(山形県鶴岡市)と並び奥羽三関の1つ「勿来関」が設置された土地(だそう)です。北方の蝦夷の南下を防ぐために設置されたとされてまして、「勿来」は「来るなかれ」という意味を持っていたようです。へぇ。



勿来関跡(勿来の関公園)
福島県いわき市勿来町関田





既に出掛けているはずでしたので、早々に出奔
途中の東海PAにて「辛えラーメン」という謎のカレーラーメンをいただきます
味噌ベースのカレーラーメンというのは初めてでしたが・・・うん、まぁ、なんというか
そうそう、コロッケもご飯もセットメニューです。自分が食いしん坊だからじゃないですからね



勿来到着
ハイキングコースなのか、こういった標識があちこちにありました



弓掛の松


源義家公がこの地で休息をとった時に一本の松に弓を掛け、隣の松に鞍を掛けたと言い伝えられ、弓掛の松、鞍掛の松と一対をなし、長い年月その威容を誇っていたが遂に枯死し、平成九年(1997年)12月4日 下部を残し切断する。

ということで、残念ながらその姿は見られなくなっておりました。



そんな歴史も残っておりますが、勿来関といえば、源義家公・・・となるそうです


自分の知識としては、石清水八幡宮で元服したことから八幡太郎と名乗っていたことと「前九年の役」「後三年の役」あたりで活躍した武将としか知りませんが、

吹く風を なこその関と おもへとも 道もせに散る やま桜かな

『千載和歌集』の詞書に「陸奥国にまかりける時 勿来の関にて花の散りければよめる」と勿来関にて詠んだとあることで、この勿来関が実在した根拠となっていることもあるため、切り離せない関係となっているようです。そのため、このような立派な像が入口にあるわけですね。



こんな桜だったのでしょうか
すっかり時期終わりでしたが、少しだけ咲いていました



こちらが入口
案の定、雨が降ったり止んだりと忙しいお天気で、地面もぬかるんでます



このような和歌の石碑があちこちと見られます



「勿来(なこそ)」は「来るなかれ」と表現されるため
数多くの歌人に詠まれた「歌枕」として名高いものになっています

みるめ刈(か)る 海人(あま)のゆきゝの 湊路(みなとぢ)に 勿来の関も わが据(すへ)なくに

小野小町のこの和歌が一番有名なものでしょうかね:『新勅撰和歌集』



神社が足りない・・・ということで公園の山頂付近に、義家神社



公園の学習施設である「吹風殿」
平安式の建物をそのまま再現させたものだそうな



奥には展望台



天気のせいか煙突とちょこっと海しか見えず・・・



それから遊歩道をうろうろすると、そこかしこに色々なものが見つかりました
現在は、飲用禁止だそうです・・・



弓弭の清水
源義家が弓の端で掘ったところ、清水がわき出たという伝承から



公園から大通りに戻ると、入口には関所のようなゲートがありました
おおっ、格好良い



勿来の関を後にしたところで、次をどうしようかと思いましたが、ここから近くに五浦がありましたので、そのまま車を海沿いに走らせます。



五浦六角堂
茨城県北茨城市大津町五浦727-2



さすがにGWということもあってか、勿来の関のような殆ど人が居ないことはなく(失礼)、合計 30台ほど停められそうな2ヶ所ある無料の駐車スペースは一杯。後で考えれば、公園のほうに停めても良かったものの、その後、何とかスペースが空いてひと安堵。周囲を見渡すと、ここも東日本大震災の津波の被害を受けた地域でもあるため、その傷跡がそこかしこに残っているように見えました。



駐車場からちょっと歩くと見つかるのが、黄門の井戸


元禄年間、徳川光圀公が領内巡視のおりこの地訪れた際、喉の渇きをおぼえ、井戸はないかと供のものが捜しまわり、畦の脇に古井戸を発見した。ただし、水は底深く飲むことができず、光圀公が井戸を覗き見たときに杖が井戸の淵にあたり、水がコンコンと湧き出でて難なく飲むことができた。その後、この井戸は「黄門の井戸」と呼ばれ、涼味溢れる水を永く土地の民に与えたといわれている。 北茨城市

黄門様もそういった伝説があるのですね。
とはいえ、これを見た地元の人が「実際の井戸は、もっと田んぼの方にあったはずだから、これ後から作った奴だよね」という話を聞いて苦笑。まぁ、雰囲気ですよ。



こちらが五浦六角堂の入口

2012年5月末までは、入場無料(パンフも頂けます)
普段がいくらか知りませんが、そのお金を寄付するのがいいかもしれませんね

夜間はライトアップもあるとか



この通路が何だか綺麗



順路としては、最初にこちらの展示室で由来のお勉強
震災の状況などもここで分かります



岡倉天心やフェノロサといえば、最近どこかで見たなぁと思っていたら、東京国立博物館で開催している特別展『ボストン美術館 日本美術の至宝』でその名前を見たばかりでした(そうそう、話は逸れてしまいますが、この特別展もオススメです。吉備大臣入唐絵巻は、物語としてもとても面白い内容ですし、曾我蕭白の適当なんだか真面目なんだか判りかねる作品も本当に興味深いですし、それからそれから・・・)。全く意識していないままの遭遇にちょっとビックリしました。



天気は回復してきましたが、海は大荒れ



以前の六角堂は、東日本大震災で土台以外は全て流されてしまいました
しかし、あれからたった1年で、新しい六角堂が再建されたのです



以前の六角堂は、このような感じ
歴史の重みは違いますが、再建されたことは喜びたいですね


六角堂(観瀾亭)
六角堂の解体修理の際に、屋根裏から天心の自筆の棟札が発見された。そこには、棟梁、平潟の大工小倉源蔵の名、明治38年の年記とともに「六角堂観観瀾亭」と銘記されていた。瀾とは大波のことで、「波を見るためのあずまや」という意味になる。
天心は、波に永遠性と絶え間ない変化を同時に認め、宇宙の本質と考えていた。六角の形は、杜甫の草堂にならいながら、朱塗りと屋根の宝珠が仏堂をも表し、しつらえられた床の間には茶室のイメージも重ねられている。天心は、ここで波を眺めながら瞑想にふけり、時に海に釣り糸を垂らしたという。
ノーベル賞詩人タゴールや北原白秋など、六角堂で天心をしのんだ文化人は数多い。




出来立てという感じです



ここで波を見ながら瞑想にふける
現代人からすると贅沢というか羨ましい感じがしてしまいますね



『亜細亜ハ一なり』の石碑



こちらは、徒歩10分位にある五浦岬公園



六角堂は、あのような場所に建っていたのですね
見てから行っていたら、ちょっと足がすくむかもしれません



公園にある、大津岬灯台
このあたりはすっかり良い天気となりました



出発が遅かったこともあって、1日目は、関東地方からちょっとだけ足を伸ばしただけで終わりました。そのお陰もあって(?)普段なかなか来ない場所に来ることができたので、まぁ良しとしたいです。
その後の予定では、遅れを取り戻すために、このまま夜通し青森まで突っ走る想定でしたが、天気予報が北に行くにつれて芳しくないのが難儀なところ。ここ数日の悪天候で桜もどうなっているのか不確定ですので、様子を見ながら北上しようと考えていた・・・のですけどね。



いわき湯本温泉
福島県いわき市常磐湯本町



出発前に英気を養うための立ち寄ったのが
フラガールでも有名なスパリゾートハワイアンズもある「いわき湯本温泉」
(我々の世代以上は『常磐ハワイアンセンター』の方がしっくりきますが・・・)



今回の記事では、神社は省略していますが
金刀比羅宮の狛犬のステキなラインだけは掲載せざるを得ませんでした



この日は、祭事を行っていたようですが
福島だけではなく日本全土の願いですね



駅前には、このような像がたくさんありました


何となく懐かしいというか、どこかで見たなぁと思っていましたが・・・そう、横須賀中央駅でよく見ている光景でした。
となると、黒川晃彦さん作品なのかと思っていたら、やはりその通りなようで納得。その名前を聞くと、みうらじゅん=「シンボルず」というテレビ東京でやっていたアホな深夜番組を思い出さずにはいられないのですが・・・復活しないですかね。



町の中心にある延喜式内社の由緒正しき温泉神社
この狛犬の流れるような髪は絶品、真ん中分けから前方で綺麗なカールが描かれているんです
どうもこの辺りの職人さんには、ウェイビー職人がいるらしい



さはこの湯の混雑振りに辟易して
入りなおしは、駅前のみゆきの湯

このスペックで 220円なのですから・・・有り難いことです


<つづ・・・けたい>

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4 コメント

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Unknown (おおまえ)
2012-05-16 07:54:40
本文の出だしのくだりはもはや枕詞のようになってきましたね(^^)
六角堂の建て直し、これまで再建されて現代風味が加えられた歴史的建造物をみるとなんだか興ざめな感じがしましたが、災害からの復興と歴史記録という背景かあることを気づかされました。
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枕詞 (かいねこ@帰宅中)
2012-05-16 22:05:34
>おおまえさん

確かに毎度お馴染みといいますか、お出かけにかかるのですかね(笑)。
自分も建て替えなくてもなんて思っていましたが、このあたりも被災地域だったのですよね。
もっとちゃんと計画をしていれば、美術館も見られたのですが、
せっかくの遠出のチャンスでしたから、ちゃんとメリハリをつけないといけなかったのですよね。いやはや。

昨日、この続きを書こうとしていたのですが…何だか紹介しづらい位の「何処ですか?」スポットが並んでいまして…。
もう少しオススメしやすいところならと、思い返してちょっと悩み中です。

おおまえさんは、ご旅行されましたか?それとも、どちらかのご実家でしたか?
返信する
Unknown (おおまえ)
2012-05-17 18:49:17
GWは近場の低山と潮干狩りキャンプに行ってきましたよ~
私はどうも知的好奇心よりも本能的な欲求を優先させてしまう傾向がありますので、よい景色と美味しいものを求めてお出かけでしたf(^_^;
返信する
潮干狩り (かいねこ@リハビリ失敗)
2012-05-20 13:10:01
>おおまえさん

いい家族サービスですね。
潮干狩りなんて、久しぶりに聞いた気がします。
子供の頃以来、やっていませんが、あれは楽しいですよね。
低山、もはや携帯で変換できない位、ご無沙汰となってしまいました。今日も起きたら敗退確定になっていましたし、はやく復帰したいです…。

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