小野照崎神社の富士塚に登ることが出来たため、本日の大きな目標を達成してひと安堵。
残すは、最初に準備中であった「池袋富士」になるのですが、午後から降ると聞いていた雨もまだもってくれているようなので、折角日比谷線沿線で来ていることもあったので、池袋とは反対方向に向かったのでした。
そして到着したのは、北千住駅
この界隈も普段から利用しない路線ですが、駅の大きさにちょっとビックリ
駅から歩いて15分~20分ほど
目的地の千住神社に到着
『回転する、願掛け恵比寿』が気になります・・・
東京都足立区千住宮元町24-1
千住神社
千住神社
千住神社
およそ一千年前、この地は千崎という丘陵で、原始的森林地帯であった。やがて開拓民がここに済みつき、延長四年(926)に稲荷の神を勧請し、石造の祠を建て、千崎稲荷神社として五穀の豊作を祈願していた。
弘安二年(1279)氷川神社を勧請したので、二つの神社が原始林の中に並び、「二ツ森」とも言われて住民の信仰を集めた。
江戸の初期、日光街道が開通すると、千住は初宿となり、宿場の西方にある神社ゆえ、西の森と唱えられた。明治六年、千崎稲荷神社と氷川神社を合祀して、西森神社と号し大正四年に、千住神社と改称した。
祭神は、須佐之男命と宇迦之御魂命の二神を祀り、明治七年に区内唯一の郷社に列せられた。当社殿は昭和二十年四月十三日の空襲で消失したが、氏子の厚い信仰と熱誠により昭和三十三年九月、現在の社殿(権現造り・流れ作り・神明作りの三者混合)が完成した。
昭和六十三年二月 東京都足立区教育委員会
なにやら今日はお祭を行っているようで
来る途中から大音量の歌が聞こえてきていました
神楽殿が発表の場になっているようですね
拝殿前の狛犬がまた格好良い!!
新しい場所は、色々と新鮮で良いですね
右手にあった稲荷神社の狛犬も素朴なつくりで良かったです
まずは参拝
こちらが「願掛け恵比寿」
確かに台座が回転するようになっていますね
願掛け方法も特殊でして願いに応じた願掛け箇所をハンカチで撫でるそうです
さてお目当ての富士塚は・・・なんて、拝殿に来る途中の右手にありました
こちらも7月1日のみ登山参拝が可能です
いいタイミングで来られたようで、良かったです
富士塚
戦国時代から江戸時代初期、開祖・角行により始まった富士山登山信仰・富士講は、関東を中心に広く信仰を集め、江戸末期には「江戸八百八講」と言われるほどでありました。
当社でも、木花開耶姫命を勧請し、多くの講道者で賑わいました。現在でも富士山開きの七月一日のみ、登山参拝ができます。
これは富士浅間神社の御祭神・木花開耶姫命が猛火の中で、皇太子をご安産なされたという故事に習い、火防・安産・産業の守護神として尊崇され、富士を御神体山とされております。
そうそう、富士塚の周りをうろうろしていると
自分と同じような目的の方が念入りに富士塚を見ていました
富士塚好きの方もいらっしゃるのですね
下から眺めると、それ程の高さは無い感じですが
上の方が歩くのが大変そうです・・・お子さんも頑張っていますし、まぁ大丈夫でしょう
こちらも号目の表示がありました
下から見たのと違い、通路が丸石で出来ていて
非常に登りやすいです
下からは分かりませんでしたが、五合目標識には
小御嶽神社がありました
これだけ巡ってくると、何となくですが知識がついてきます
七合目までは平坦な感じ
そこからは、溶岩石の階段を登ってきます
あと少し
頂上標識は、珍しいですね
山頂の神社にはお供えなどもあり、きちんとお祀りされていました
低いとはいえ、岩山の上に立っているわけですから
十分高さを感じます
下山道は、このような感じ
皆さんがこちらを使わずに正面から降りてくる理由が良く分かります
ただ、こちらの道を使わないと、こういった場所が見られないのですよね
富士塚周辺をぐるっと回って、富士塚めぐりは終了です
東京都豊島区池袋本町3-14-1
池袋氷川神社
池袋氷川神社
そして再び池袋に戻ってきました
もう少しちゃんと調べていれば、効率よくいけたのかもしれませんが
まぁ、こういった予想外の展開も楽しいものです
ただ、予想外ではなかったのですが、駅からの途中から雨が本格的に・・・
あさがお市だった場所は、誰も居なくなってしまいました
富士塚も雨で終了とならないことを祈ります
こちらも、年に一回の行事となっております
予定は日没までで雨天決行となっていましたので大丈夫ですよね・・・
とはいえ、狛犬を見ると目的そっちのけで
歩みが止まってしまうのでして・・・
こちらが氷川神社・・・何だか大きい
富士塚はその左側にありました
おおっ、開いていますよ・・・良かった
池袋富士塚
富士塚は、さまざまな理由から富士登山ができない人たちも、これに登れば富士山に登ったのと同じ霊験が得られるとして、江戸時代後期以降、現東京都域および近隣地域に各富士講集団を単位として築造されたものである。高さ約五メートル、東西幅約一三メートル、南北幅約一八メートルを測り、全山がボク石(※ 溶岩石です)で覆われている。登山道は正面部分に電光形に設けられており、その道筋ははっきり確認できる。
この富士塚は、明治四五年(1911)六月に池袋月三十七夜元講によって築かれたものである。塚内に造立された講碑から、歴代先達の名前や近隣の富士講集団とのつきあいの様子が知られる。一般に、富士塚の石造物は、頂上に奥宮、中腹向かって右には小御嶽社をあらわす石祠、中腹向かって左には烏帽子岩を配置するのを基本としている。池袋富士塚の石造物は、こうした特徴を備えているほか、経ヶ岳(日蓮ゆかりの霊地)を示す題目碑、合目石、講碑、教祖角行像、一対の天狗像、さらには胎内が配置されており、充実した石造物群を構成している。
豊島区に残された数少ない富士塚のひとつとして、また池袋本町地区に展開した民間信仰を考えていくうえでも貴重なことから、平成十年(1998)六月に東京都豊島区指定史跡となり、保存がはかられている。
平成十一年三月 東京都豊島区教育委員会
皆さん、傘をささずに登られているので、自分も傘を置いて出発です
入口ではお猿さんがお出迎え
これは、下谷坂本富士位の大きさでしょうか、結構大きなものですね
合目石を探すのも楽しいです
最初は平坦なのは同じですね
そこかしこにあじさい祭りのあじさいが配置されていました
山頂までは、まだまだこれから
結構狭いのですれ違いがある場合には、譲り合い
このあたりで五合目
もちろん小御岳神社碑もあります
ここからが本番ですね
御中道は初めて見ました
こちらから別ルートに行けたようですが、現在は利用不可の標識がありました
角行像・・・でしょうか
八合目から山頂に向かいます
日御子や天拝所などの碑もありました
そして、山頂到着
今日一日の総決算を富士山に祈ります
雨にも拘らず、沢山の方がいらっしゃっていたので
狭い場所ということもあり、直ぐに降りてきました
ということで、7月1日のみという制限もあったため、やや慌ただしく参拝することとなってしまいましたが、登山参拝できたことは、非常に嬉しくありました。
今は、ネットで多くの情報を調べることも出来るため、行けそうな場所はある程度絞り込んでいましたが、震災の影響や開山時間など、そこまで分からなかった事も多かったです。地域の信仰ですので、興味本位だけで行くのもどうかと思いますしね・・・。
今度行くときは、もっとゆっくり参拝したいですね。
忙しくて山に行けない皆さんも、ちょっと自分の地域の富士塚探しをしてみてはいかがですか?