飼い猫の遠吠え

とにかく気持ちは前向きに寝る間を惜しんでほふく前進・・・

神田を歩く

2013-09-26 11:13:38 | スポットなたしなみ

新聞の講読者が年々減少しているという話は、ネットが主流になる前からも言われておりましたが、ここ最近は、若い人を中心に定期購読をする人は、殆ど居なくなっていると聞いています。 これだけ簡単にニュースをリアルタイムで見る出来るツールが揃ってしまいましたから、新聞も過去のものとなってしまった感じがします。朝の通勤電車でも、新聞を読む人はめっきり減りまして、殆どの人が液晶画面を眺めながら操作している光景が見られます。そんな光景がずらりと並んでいると、何かに操られているのではないかと思えて気持ち悪いのですが、これが今のスタイルのようで、このまま紙文化が淘汰されてしまいそうな勢いです。

とはいえ、古いタイプの生活を送る我が家では、習慣と言ってもいいのでしょうが、未だに夕刊までとっています。自分の興味の無い話題も目にする機会があるというのは、そんなに悪いものでもなく、地域の話題は、たまに心ひかれる記事があったりします。特に毎日見ている場所の違った一面が見られるような内容は、非常に興味深いものがあります。

2週間前の記事だったと思いますが(記憶力の減退が著しいので自分の頭が心配ですが・・・)、神田駅の話題が掲載されておりました。今でも、駅周辺に地下通路があるという記事でしたが、毎日利用していた駅にそんなものがあったとは、驚きと共に通勤だけに使っていたのだなぁとちょっと寂しい感じもしました。そんな気持ちもあったため、記憶の片隅に残っていたのでしょう。神田駅を通過したときに何となくその記事を思い出したもので、そのまま途中下車をすることにしました。



懐かしいといっても、神田駅は、大幅リニューアルの真っ最中
ガード下の妙に分かり辛い出口も解消されていくようです



雑然と並んでいたイメージのガード下の自転車も
今ではこんなにすっきりとしています・・・って、有料スペースでしたっけ?



とりあえず、神田に来たのですから、神田ラーメン わいずで腹ごしらえ



記事は読んでいたものの、ここのところ物忘れが急速進化・・・いや、退化ですね・・・している今日この頃。その場所が、何処だったかうろ覚えのため、駅周辺をうろうろしてみることに。



神田駅から御徒町駅にかけては、ガード下はこのようなレンガ造りが残っています



「地下」ということでしたので、まずは、その憶えているキーワードを元に、地下鉄に狙いをつけてみます。
そういえば、地下鉄銀座線が出来た関係で、日本有数の古い地下街が出来たのは、ここ神田だったという話です(神田須田町地下鉄ストア:昭和6年開業)。今ではもうお店も無くなってしまい (平成23年1月末全店閉店) 通路しかないとかいうことですが、それとは違うよなぁと思いつつ、そちらに向かってみます。

しばらく銀座線の駅沿いの道路を歩いて行くと、おなじみの万世と秋葉原が見えてきてしまい、歩き過ぎたかと心配になりましたが、まだこのあたりも神田駅のテリトリーのようです。そういえば、秋葉原も外神田でしたっけ。



FUNAIのロゴが格好よく輝いていますが、こんなに格好よかったでしたっけ?
船井電機といえば、廉価版というイメージでしたが、我が家のビデオデッキは、結構な年数現役で頑張ってました



すぐそこが秋葉原と言えるような場所に地下鉄有楽町線 神田駅 6番出口を発見。
非常に綺麗で最近新しく作られたような外観です。



見た感じ普通の地下鉄通路です



と思った先には、これが地下鉄といった感じの通路に戻っていました
この柱を見ると地下鉄だなぁと思ってしまいますね



左側の白い壁あたりが、昔店舗があったスペースのようです
今では、全て壁で覆われておりまして見ることは出来ません



下側の黒い部分が地下街だったのでしょうかね



そしてゴールの駅改札



今ではただの地下通路になっていますが、その事を知っているだけで、ちょっと見え方が違ってきますね。もっと良く見れば、昔の名残も見つかるかもしれません。



再びウロウロ



そこから、小川町方面に向かうと、「神田青果市場発祥之地」の石碑が吉野家横にありました。



駒込、千住と並び江戸三大市場の一つ
秋葉原 UDXにも「神田青果市場跡地」の看板がありますが、ここから秋葉原の方まで広がっていたのですかね



色々な発見はあるものの、駅の周りをぐるぐる歩いても、なかなか目的地が見つかりません。
まぁ、何せ、目的先として覚えていたのは、地下通路があるが今は見ることが出来ないので、その場所に碑文があるということと、駅の近くという位。多町大通りがその通路に通じているということで、そちらを歩いていくことに。



この通り沿いだということですが



ようやく発見:東京都指定史跡「神田下水」
史跡の石碑と思っていたのは勘違いのようで、実際は、このような説明書きでした



自分が探していたのは、下水だったとは・・・



この辺りを通っていて、今でも現役で利用されているとのこと



この下にそんなものが通っているとは、いやはや知りませんでした



この辺りも繋がっているのですかね



東京都指定史跡「神田下水」
 この道路の下には、東京都指定史跡である「神田下水」が埋設されています。この「神田下水」は、明治17年に、一般市民の衛生や都市環境を改善する目的に、近代高額に基づいて建設されたわが国初の近代下水道といわれています。
 現在の下水道管と異なりレンガで積まれ強固に築かれており、完成後100年以上経過した今日でも、その機能を十分に果たしていることから、現存する重要な近代土木遺産として認められ、平成6年3月に東京都指定史跡に指定されたものです。
 江戸から明治に移り、海外との交流によりコレラがもたらされました。当時の神田地区は、人口稠密であったためとくに著しい被害に見舞われました。その惨状を前に、下水道整備の必要性を痛感した明治政府は、明治16年4月30日に、内務卿山田顕義の名により、東京府に対して上下水道の整備を促す「水道溝渠等改良ノ儀」を示達しました。
 これを受けて、内務省の土木技術者、石黒五十二が建設を担当し、当時の内務省土木寮の雇工師であった、オランダ人ヨハネス・デ・レーケの意見を求めて設計をまとめ上げたものです。そして、明治17年に神田区鍋町・鍛冶町以西、竜閑橋筋新川以北、(現在のJR神田駅周辺)を対象とした第一期工事区域の東側で工事が行われました。しかし、これ以降の工事は、主に財政上の理由により中止され、結果的にはレンガ積み管が約900メートル、陶管が約3,100メートル、計約4,000メートルの下水道管が建設されるに止まりました。史跡に指定された「神田下水」は、適切な維持管理のもとに現在まで残っているレンガ積み管の部分です。
 その後、多くの先人の努力により、平成7年3月には東京都区部の下水道管普及率が概ね100パーセントとなりました。これからも、この先人たちの偉業を伝える歴史的土木施設である「神田下水」を良好に保存・管理してまいります。



毎日利用している場所でも知らないことがあるものだなぁと感心しきり。
仕事で通っている場所は、何となく休日には、敬遠したくなるものですが、こういった散歩もいいものです。

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