埼玉に埋没林がある。
埋没林観察の総本山とも言える富山県魚津にある「魚津埋没林博物館」にて、そのような情報を得たのは、数年前。
しかし、その辺りの情報を調べても、ネット経由の情報は少なく、過去に発掘されたとしても今は残っていないだろうと思い、なかなか足が向くことがありませんでした。そして今回、飯能に近いこともあって、エッサン飯能店の訪問に合わせて、ようやく訪れることになりました。
その遺跡は、「笹井ダム」という場所にあるということでしたので、検索すればすぐに見つかると思っていたのですが、正確な場所がなかなか見つかりません。笹井ダムという名前の廃便となったバス停が引っ掛かったので、その辺りだろうとあたりをつけてまずはそちらに向かいます。そのバス停跡と思われるところから川沿いを進んでみると、「笹井ダム通り」と道に名前が付いていたため間違ってはいないようです。その通りの看板からすぐ、堤防のようなものが右手に見えました。ダムとなっていたので巨大な施設をイメージしていましたが、堤防といったところでしょうか。
名称としては、笹井堰というのが一般の通り名の様です
魚道もありますし、綺麗ですね
ここに埋没林があったのだろうと痕跡探しに行こうとしたところで、そばの公園(宮地児童公園)に看板があるのを見つけました。これは! と思い見てみると、埋没林のことが書いてあるではありませんか。令和3年10月ということは、つい最近設置されたばかりの看板のようです。やはり、こういったものが見つかることもあるので、調べているだけではなく、実際に来てみるのは大事ですね。
看板の内容は以下の通り
狭山市の名所 笹井ダム、古代化石株(メタセコイア)
通称『笹井ダム』と呼ばれる現在の堰は、昭和十四年に一旦は完成したが、台風で決壊するなどして、昭和二七年に復旧工事が完了し現在に至っています。笹井ダムの上流や下流では、アケボノ象やメタセコイアの化石も出てくる地質学の宝庫でもあります。
昭和四九年八月末、入間川は大型台風に見舞われ、堆積していた砂利、砂等が広範囲にわたりえぐりとられ、河床が露出し埋没林が発見されました。
埋没林の調査結果で約二〇〇万年~三〇〇万年前の化石株(樹種はメタセコイア)ではないかとされました。
現在化石株は、今宿遺跡公園内には保存されています。
昭和五二年埋没株と同種のメタセコイアを育てていた方より若木が寄贈され、宮地児童公園に四本植えられ現在に至っています。
水富第五区自治体 令和三年十月
現在化石株は、今宿遺跡公園内には保存されています。 ・・・嬉しい事に、発見された化石株が、他の場所で保存・展示されていることを知りました。近くの今宿遺跡公園にあるようです。地図アプリは、本当に有り難いことで、公園もすぐに発見出来ました。大体4キロほど先にあるようですのですぐに向かいます。今宿遺跡公園という名前の通り、遺跡が見つかった場所のようで、住宅街の中にある公園に似つかわしくない、復元された住居が一つ置かれておりました。てっきり弥生時代あたりのものかと思っていましたが、奈良時代〜平安時代の時代区分とのこと。やはり近畿圏とは違い、こちらはまだまだ文化水準の違いがあったのですね。
今宿遺跡公園に到着です
昭和44年の大規模宅地造成中に発見された、48軒の竪穴住居跡・・・まぁ、困ったことでしょうね
そのうち1軒が復元展示されています (近付けません)
そんな住居の隣にある建物は、ガラス張りになっておりまして、そこに巨大な枯れ枝が置かれています
これが発見された化石株のようです
メタセコイア古木株
所在地 狭山市大字上広瀬五二一番地の九
メタセコイアはスギの仲間です。しかし、スギが常緑針葉樹であるのに対し、この木は秋になると褐色に色づき、冬には葉を落とす落葉針葉樹です。
メタセコイアの化石は昭和十六年(1941)、和歌山県下の第四紀の粘土層中から見つかったもので、アメリカの西海岸に生息しているセコイアスギと似ていますが、葉や球果のつき方が違っていること、また、同じくアメリカ産のヌマスギとも異なった特徴をもつことから、メタセコイア (変わったセコイア) と名づけられました。
いまから二百年前には絶滅したと考えられていましたが、昭和二十年(1945)に中国の四川省で自生しているのが見つかり、「生きている化石」として全世界に紹介されました。
狭山市では、昭和四十九年(1974)に笹井堰下流の入間川河床で見つかり、翌年に調査が行われた結果、株が残っているもの十八株、株の中心はないが根だけが残っているもの九株、根の痕跡だけのもの二株の計二十九株が確認されました。
それから五年後、その中の一本を抜き取り保存することになり、その時に掘り出されたのが、ここに保存・展示されている株です。
平成十八年二月 狭山市教育委員会 狭山市文化財保護審議会
(現地説明看板より)
施設のあるところは、立ち入り禁止となっているため、遠くから眺めることになりますが、関東圏でこういったものを見られる貴重な機会となりました。これが200万年前の株ということですが、それがタイムカプセルから蘇ったような状態でここにあると言えますので、何ともワクワクした気分になります。博物館や史跡にあるような派手さはありませんが、気になった方は一度ご覧になってはいかがでしょうか?
笹井堰:埼玉県狭山市笹井一丁目 (駐車スペースあり)
※ GoogleMapでは、笹井ダムの検索では出ませんが、笹井堰で検索すると出てきます。但し、位置的に川の対岸(埼玉県入間市)がヒットするため、それに釣られると変なところに連れて行かれますのでご注意下さい。看板は、狭山市側です。
今宿遺跡公園:埼玉県狭山市広瀬台一丁目 (駐車スペースなし)
埋没林観察の総本山とも言える富山県魚津にある「魚津埋没林博物館」にて、そのような情報を得たのは、数年前。
しかし、その辺りの情報を調べても、ネット経由の情報は少なく、過去に発掘されたとしても今は残っていないだろうと思い、なかなか足が向くことがありませんでした。そして今回、飯能に近いこともあって、エッサン飯能店の訪問に合わせて、ようやく訪れることになりました。
その遺跡は、「笹井ダム」という場所にあるということでしたので、検索すればすぐに見つかると思っていたのですが、正確な場所がなかなか見つかりません。笹井ダムという名前の廃便となったバス停が引っ掛かったので、その辺りだろうとあたりをつけてまずはそちらに向かいます。そのバス停跡と思われるところから川沿いを進んでみると、「笹井ダム通り」と道に名前が付いていたため間違ってはいないようです。その通りの看板からすぐ、堤防のようなものが右手に見えました。ダムとなっていたので巨大な施設をイメージしていましたが、堤防といったところでしょうか。
名称としては、笹井堰というのが一般の通り名の様です
魚道もありますし、綺麗ですね
ここに埋没林があったのだろうと痕跡探しに行こうとしたところで、そばの公園(宮地児童公園)に看板があるのを見つけました。これは! と思い見てみると、埋没林のことが書いてあるではありませんか。令和3年10月ということは、つい最近設置されたばかりの看板のようです。やはり、こういったものが見つかることもあるので、調べているだけではなく、実際に来てみるのは大事ですね。
看板の内容は以下の通り
狭山市の名所 笹井ダム、古代化石株(メタセコイア)
通称『笹井ダム』と呼ばれる現在の堰は、昭和十四年に一旦は完成したが、台風で決壊するなどして、昭和二七年に復旧工事が完了し現在に至っています。笹井ダムの上流や下流では、アケボノ象やメタセコイアの化石も出てくる地質学の宝庫でもあります。
昭和四九年八月末、入間川は大型台風に見舞われ、堆積していた砂利、砂等が広範囲にわたりえぐりとられ、河床が露出し埋没林が発見されました。
埋没林の調査結果で約二〇〇万年~三〇〇万年前の化石株(樹種はメタセコイア)ではないかとされました。
現在化石株は、今宿遺跡公園内には保存されています。
昭和五二年埋没株と同種のメタセコイアを育てていた方より若木が寄贈され、宮地児童公園に四本植えられ現在に至っています。
水富第五区自治体 令和三年十月
現在化石株は、今宿遺跡公園内には保存されています。 ・・・嬉しい事に、発見された化石株が、他の場所で保存・展示されていることを知りました。近くの今宿遺跡公園にあるようです。地図アプリは、本当に有り難いことで、公園もすぐに発見出来ました。大体4キロほど先にあるようですのですぐに向かいます。今宿遺跡公園という名前の通り、遺跡が見つかった場所のようで、住宅街の中にある公園に似つかわしくない、復元された住居が一つ置かれておりました。てっきり弥生時代あたりのものかと思っていましたが、奈良時代〜平安時代の時代区分とのこと。やはり近畿圏とは違い、こちらはまだまだ文化水準の違いがあったのですね。
今宿遺跡公園に到着です
昭和44年の大規模宅地造成中に発見された、48軒の竪穴住居跡・・・まぁ、困ったことでしょうね
そのうち1軒が復元展示されています (近付けません)
そんな住居の隣にある建物は、ガラス張りになっておりまして、そこに巨大な枯れ枝が置かれています
これが発見された化石株のようです
メタセコイア古木株
所在地 狭山市大字上広瀬五二一番地の九
メタセコイアはスギの仲間です。しかし、スギが常緑針葉樹であるのに対し、この木は秋になると褐色に色づき、冬には葉を落とす落葉針葉樹です。
メタセコイアの化石は昭和十六年(1941)、和歌山県下の第四紀の粘土層中から見つかったもので、アメリカの西海岸に生息しているセコイアスギと似ていますが、葉や球果のつき方が違っていること、また、同じくアメリカ産のヌマスギとも異なった特徴をもつことから、メタセコイア (変わったセコイア) と名づけられました。
いまから二百年前には絶滅したと考えられていましたが、昭和二十年(1945)に中国の四川省で自生しているのが見つかり、「生きている化石」として全世界に紹介されました。
狭山市では、昭和四十九年(1974)に笹井堰下流の入間川河床で見つかり、翌年に調査が行われた結果、株が残っているもの十八株、株の中心はないが根だけが残っているもの九株、根の痕跡だけのもの二株の計二十九株が確認されました。
それから五年後、その中の一本を抜き取り保存することになり、その時に掘り出されたのが、ここに保存・展示されている株です。
平成十八年二月 狭山市教育委員会 狭山市文化財保護審議会
(現地説明看板より)
施設のあるところは、立ち入り禁止となっているため、遠くから眺めることになりますが、関東圏でこういったものを見られる貴重な機会となりました。これが200万年前の株ということですが、それがタイムカプセルから蘇ったような状態でここにあると言えますので、何ともワクワクした気分になります。博物館や史跡にあるような派手さはありませんが、気になった方は一度ご覧になってはいかがでしょうか?
笹井堰:埼玉県狭山市笹井一丁目 (駐車スペースあり)
※ GoogleMapでは、笹井ダムの検索では出ませんが、笹井堰で検索すると出てきます。但し、位置的に川の対岸(埼玉県入間市)がヒットするため、それに釣られると変なところに連れて行かれますのでご注意下さい。看板は、狭山市側です。
今宿遺跡公園:埼玉県狭山市広瀬台一丁目 (駐車スペースなし)
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