【70才のタッチ・アンド・ブースト】ーイソじいの”山””遍路””闘病””ファミリー”ー

【新連載】 『四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ』

四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 28  写真は45番札所 岩屋寺の本堂横 岩窟のお堂

2023-01-10 18:06:01 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 涅槃の道場(愛媛県)編
(28日目・5月18日)久万町拠点に、山岳修験の難所45番札所 岩屋寺を往
            復。涅槃の道場最初の難関 岩屋寺は、88ヵ所の丁度半
           分を過ぎた後半最初の寺。
 6:10起床→7:10発→本日の宿泊所、ホテル ガーデンタイムに荷物を預ける→行動食
仕入れ→8:35遍路道へ出発→古道の山道→八丁坂分岐(H 570m)→12:00 45番札所 
岩屋寺13:10→参道の茶店で談笑→14:00行動食(古岩屋休憩所)14:20→16:30久万美
術館→17:00 ホテル ガーデンタイム(泊り)
 本日も快晴。本日は一日がかりで、おそらく四国霊場で一番内陸部にあるのではな
いかと思う山岳修験の寺 岩屋寺への往復の予定。本当は岩屋寺から久万高原町に戻
り、三坂峠を越えてさらに46番浄瑠璃寺を目指したいのだが、実際にガイドブックな
どではそのようなコースを紹介しているのもあるが、私の足腰の状況や、なにぶん村
の鎮守様や街道の道祖神やら古くて興味をそそる石碑や遺構などを見かけると散策し
たくなる好奇心の男にとっては、そんなに急ぐのももったいない話。せっかくJRとバ
スでここまで来たのだから歩き三昧で遍路を味わう、と決めた。したがって、岩屋寺
から久万高原町へ戻りもう一泊。ただ、昨日の遍路宿さんは本日満室で宿泊できず、
本日は場所が変わりビジネスホテル ガーデンタイムさん泊り。


(上・遍路宿の朝食、中・久万高原町の朝。下・久万高原の案内看板)
 遍路宿で朝食を頂き7時過ぎに出発。まず本日の宿泊所であるガーデンタイムさん
に荷物を預け、昼食用の行動食をローソンで仕入れて、大宝寺の参道から県道12号線
へと向かい岩屋寺へと歩き出した。昨日県道の歩道上で話し込んだおじさんは、本日
も掃除しているかなあと思ったが、おられなかった。県道を行くと間もなく峠御堂ト
ンネルに入る。このトンネルには歩道がなく、トンネル入り口には車のライトに反射
し歩行者が分かるような歩行者用の『反射たすき』が置かれている(写真)。以前は
歩道のないトンネルがそう珍しくもなかったけれど、今回は多分徳島以来初めてでは
なかっただろうか。まあいいかと思いながら『たすき』をかけた。少し緊張しながら
トンネルを抜け、尾根の向こう側に出ると景色がガラッと変わって、『秘境』の雰囲
気。しばらく行くと河合とか畑野川とかの山間の集落でその先には癒しの宿のような
遍路宿が2軒、そして山間のテーマパークのような『ふるさと村』、ゴルフ場を過ぎ
ると休憩所と県道から山道の遍路道への分岐があり、山道の方へと歩く。


(上・峠御堂トンネル、②・反射たすき、③遍路宿の民宿も、④八丁坂分岐の看板)
 整備された歩きやすい道で快適だった。10:20頃に八丁坂分岐の看板があった。右
手に分岐の道が続き200m程の登りで峠に出て、そこから岩屋寺まで下り路。勝手な
推測だがおそらく県道やら峠御堂トンネルが整備されていなかった頃は、明石寺から
の長い遍路道を久万高原町までたどり着き、大宝寺を経由してくる古道の遍路道であ
ったのではないかと思う。その道の峠への道として今歩いている遍路道からの道を整
備したのではないか。ということで八丁坂分岐の道は魅力的ではあったのだけれど、
少し時間がかかりそうなので、そのまま今の山道の遍路道を歩き続け、浄水施設や岩
屋不動などを過ぎ県道に合流した。合流してすぐに国民宿舎古岩屋荘があるのだが今
は営業しておらず、手入れもなく雑草がかなり侵食している。自転車遍路の時は険し
い山間の奥の憩いの宿で、直瀬川にそびえる岩峰を望む贅沢な所だなあ、今度来る機
会があれば是非宿泊したいと思っていたが、とても寂しい思いがした。
(上・面河川、②小岩屋荘、③岩屋寺山門、④古岩屋の岩峰、⑤⑥参道、下・本堂と岩窟のお堂)

 小岩屋荘の先は遍路地図では、山道が直瀬川に沿って岩屋寺まで続いているようだ
が良く分からず、県道を歩き続けた。バス停のところに橋があり、そこをを渡ると45
番札所岩屋寺の参道で、あまり派手ではない土産物屋や茶店が並んでおり、その先の
山門に12時に着いた。岩屋寺は山奥の寺でここに至るまで舗装された県道からは所々
で数件の人里が見降ろせたり、重なる尾根の間から時々久万高原町がはるか彼方に遠
望出来たり、山道の遍路道では山岳修験の道を歩いたりで、かつては四国霊場でも相
当な難所の札所であっただろうと十分に偲ばれる。
 岩屋寺の参道はたいへん多くの地蔵さんが置かれている。長い石段を登り境内へ出
ると眺望の開けた場所と本堂、大師堂がある。境内を守るように周囲の岸壁には多く
の摩崖仏が刻まれ、本堂の裏手には岩窟のお堂、そしてその場所へとは梯子段がかけ
られている。眺望の開けた場所からはおそらく東南方向に石鎚山が望めると思うのだ
が、濃く霞んでおり見えない。本堂へと移動して岩窟のお堂に登りもう一度石鎚山を
探したが、見えなかった。

(上・展望種から、石鎚山は見えず、下・岩窟のお堂から本堂、大師堂を見る)
 お詣りを済ませ岩屋寺を1時間以上堪能し、参道へと降りていくと茶店から女性が
 「お接待です。生姜湯はいかがですか。」
 と、声をかけられた。ありがたく頂きながら、20年前の自転車遍路の時の話をした。
 「20年前には自転車で遍路をして、この辺の店屋さんで男性の方からよく冷えた西
 瓜をお接待で頂きました。古い話ですが心当たりはございますか?」
 「この店は40年ぐらいやってますけれど、その頃でしたら私の父がやってました。
 何か覚えがあるかもしれませんが。」
 「ああそうですか。多分年齢は私とそう変わらないと思いますが、失礼ですがご健
 在ですか?」
 と言っているうちに、寺の方から一人の男性が降りてこられた。
 「ああ、ちょうど私の父が来ました。」
 ということでその顛末を話すと、この参道ではもう一人西瓜を栽培していて、お遍
路さんにお接待しておられる男性の方もいるとのこと。御年は現在80才以上でとのこ
とで、最近はお二人ともあまりしていないとのことだった。今は季節も少し早いので
西瓜ではなく生姜湯とのこと。勿論お顔をお互い覚えているわけでもなく、確たるこ
とではないけれどお礼を言って、もう一人の方にもこんなことがあったとお伝えくだ
さいと言って、
 「お気をつけて」
 の声に送られ岩屋寺を後にした。
 14時に国民宿舎(跡)の小岩屋休憩所で行動食の昼食。休憩後来た道を戻った。多
少余裕物見をしながらで遍路道を歩いたが、ここらには何か所か「平家慰霊の碑」と
書かれたまだ新しい石碑が建立されている。高さは1m50cm位かそう大きくはないけ
れど、平家落人の里なのかなあ、とも思う。平家の最期の地は々四国の屋島壇ノ浦だ
から、そうであっても不思議でもない。いろんな人からいろんなところで教えてもら
ったその頃の歴史ロマンに思いを馳せながら歩き続けた。
(何か所かで見られた「平家異例の碑」)

 少し急ぎで歩き、峠御堂トンネルを過ぎて、今日こそは見学していこうと思ってい
た久万町立美術館に16時30分に着いたが、タッチの差で入場時間に間に合わず、また
もや振られてしまった。ああ、残念。
 仕方なく、とぼとぼと歩いて17時に本日の宿舎、ホテルガーデンタイム着。ホテル
ではあるけれど、やはり遍路にも心遣いの行き届いた接客に感謝。食堂での食事なの
で、夕食時には食堂に集まるのだが、やはりお遍路さん風、家族旅行風、ビジネス客
で適度ににぎわっており、和やかな雰囲気。但し、夕食にはまたしても鯛の頭焼きが
出た。
(ホテルガーデンタイムさんの夕食。美味しかったけど・・・)

               (本日移動距離 33,8km   すべて歩行 46,545歩、)


四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 29 写真は久万街道中の一の王子社

2023-01-09 11:52:46 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 涅槃の道場(愛媛県)編
 (29日目・5月19日) 久万町~三坂峠~46番浄瑠璃寺~47番八坂寺~民宿長
           珍屋(泊)。久万高原と別れを惜しみ、三坂峠から古
          道の遍路道、久万街道を下りいくつもの遍路道の遺構を
          辿り、松山市街の里寺に。
 快晴後晴れ。6:10起床・朝食→8:30発・行動食仕入れ→10:45三坂峠→久万街道下
り→11:50一の王子社の休憩所・行動食→遍路宿 坂本屋(再建)→13:50窪野公園(東
屋で昼寝)14:15→14:25 46番札所 浄瑠璃寺14:45→14:55 47番札所 八坂寺
15:10→15:20浄瑠璃寺に戻り→遍路宿 民宿(泊り)。

(久万高原のホテルガーデンタイムの朝食と、久万高原の朝)
 本日も快晴。見どころが沢山の久万高原町に後ろ髪惹かれる思いで8時30分に遍路
宿を出発。国道33号線をまずは三坂峠を目指した。本日は松山市内に入る予定だがま
ずは標高500m少しのところから710mの三坂峠までの登り。しばらくは人家が続き、
コンビニで行動食も仕入れ小学校がある明神という集落と思うけれど、国道を挟んで
多くの手作りのお人形が長椅子の上でリラックスしていたり、お遍路姿で立っていた
りしている。国道の対面を見ると『お接待サロン カヨちゃん家 ちょっと一休みし
ていきませんか』と書かれた看板が。思わず素敵そうだなあ、ちょっとお世話になろ
うかなあと思ったが、『ちょっと寄り道が多すぎ』のセーブの天の声がして、またま
た後ろ髪惹かれる思いで、サロンには寄らず『また来ます』と人形に挨拶をして歩き
続けた。

(左・中、お接待サロン『カヨちゃん家』  右・尾根の向こうが久万高原、手前は新道、三坂道路)
 しばらく行くと国道33号は左折して『三坂道路』という新しい道路へとなり、その
まま直進する国道440号線(旧33号線)と分岐する。新しい三坂道路は自動車専用で
歩行不可、遍路道は旧道となり旧道を行く。旧道といってもそこそこの交通量で久万
スキーランドとかゴルフ場などを通り過ぎる。しかし人家はほとんどない。20年前は
国道も尾根伝いに遥かな登りを遠望して結構なアルバイトだなあと思い、案の定あと
2~300m位を押して登って三坂峠に出たことを思い出した。現在の440号線は当時の
旧道とは異なり東の対面の尾根伝いのようだ。旧道との現在の遍路道との間の山は、
現在は石灰岩だろうか大規模な鉱物資源採集が行われ、大規模工事現場のようで、大
型ダンプカーも頻繁に走り、あまり快適ではない。歩き続けて10時45分に三坂峠にや
っと到着。ここからは一気に山道を下る。 

(左・現在の三坂峠、中・三坂峠の説明看板、右・山道から見た松山市街地方面)
 国道の三坂峠に20年前は『峠の茶屋』があり風情があったが、今は建築現場風で少
し寂しい。当時峠の茶屋さんで、『峠からの遍路道は自転車では無理』と言われ、旧
33号線を一気に自転車で下り、46番 浄瑠璃寺、47番 八坂寺と周り、48番 西林寺近く
のビジネスホテルに泊まった。当時のこの行程は1日目の午後にフェリーで八幡浜に
上陸し、その日は内子のスポーツセンター泊り。2日目は内子から一気に久万高原、
大宝寺、岩屋寺、そして三坂峠を越えて浄瑠璃寺、八坂寺、西林寺と1日半での自転
車遍路。人それぞれに、あるいは自分自身であっても人生のステージそれぞれの遍路
道がある。そんなことを思いながら、今回は山道の遍路道である久万街道を歩いた。
峠からしばらく行くと展望が開け、浄瑠璃寺方面と松山市街が展望できる。逆に下か
ら見ると市街地に入っても三坂峠はよく見える目印ということ。遍路道では数か所で
杉の伐採作業をしていた。山中のそれも植林地ではなく遍路道にごく近い自然林での
伐採作業で、歩いていても倒木に少し緊張する。作業員の方も恐縮しておられた。1
時間ほどで、一の王子社跡の休憩所。そこで行動食を食べる。

(①久万街道説明、②③一の王子社跡、④⑤史跡 坂本屋)
 12時10分過ぎに出発して昔の街道宿の坂本屋を再興した史跡の建物があり、説明が
書いてあった。久万街道を行く久万馬子や峠から下ってくるお遍路さんで賑わってい
たとのこと。昔の賑わいが伝わってくるようだ。坂本屋の史跡をすぎてしばらく行く
と、簡易舗装の林道となり人家がぽつぽつと点在してくる。意外と早く降りてこられ
たと思って歩いていると、窪野公園という所を通る。ふと見るときれいな東屋があ
り、もう46番札所 浄瑠璃寺も近いので少し休憩していこう、しかも天気も良く気分も
軽いのでちょっと午睡でも貪ろう。13時50分ベンチに座ると、私の得意技『即爆
睡』。しかし昼は30分以上は寝ない習慣なので、きっちり25分後に目覚めた。

(麓から振り返る 三坂峠)
 ベンチに座って、ちょっとリラックスして昨日と本日の行程を思い起こした。少し
頑張ったら昨日も本日ももっと行程が伸ばせなくもない。特に本日は一気に道後温泉
近くの里寺を廻り松山市内に宿泊することも十分に可能。山屋向けのガイドブックで
はそう書いてあるのが多い。だけれども昨日、最奥の山岳修験の寺に行き、20年前の
お接待を懐かしみ、古岩屋に平家慰霊の碑を何か所か見て思いを馳せたり、遍路宿さ
んの温かい心遣いに感謝したり、沢山の出会いと経験知を改めていただいた。今、腰
の痛みもなく、爽やかな(?)目覚めを得られているのもご褒美だ、こういう遍路も
幸せ三昧と勝手に納得して歩き再開。

(①②③ 46番札所浄瑠璃寺本堂、境内 ④⑤⑥ 47番札所八坂寺本堂、境内)
 14時30分に46番札所 浄瑠璃寺着。お詣りを済ませ納経所のご婦人といろいろと話
す。浄瑠璃寺はこれから松山市内に入り、道後界隈の里寺を回る拠点にもなるので、
昔からお遍路さんが多く滞在するところとのこと。寺の門前には立派な遍路宿があ
り、20年前は木造だったが当時も立派な2階建ての遍路宿さんで、今は鉄筋5階建てだ
と思うが本当に変わらず立派な遍路宿がある。私も今夜その宿にお世話になる。納経
所のご婦人とは、コロナ禍でお遍路さんがたいへん減ってしまったことや、ゼッケン
の”NO WAR””Respect HUMANRIGHTS”のことや、全部歩きで通し打ちをやり切るの
は私のように軟弱な遍路旅とはまた次元の違う覚悟が必要、とか今は少しだけ落ち着
いているけれど、こんな時期に遍路に来るのはかえって迷惑ではないかとか、諸々話
し込む。しばらく話して、荷物を預かっていただき明日の行程の時間節約のために、
47番札所 八坂寺へと行く。15時過ぎに八坂寺着。お参りと納経を済ませ、浄瑠璃寺
へ戻り、納経所のご婦人にお礼を言って、門前の遍路宿さんにチェックイン。風呂も
部屋もまるでホテルのようで、快適だった。
 食事は食堂で、同宿で遍路は私のほかに男性2人。それぞれ個々に遍路をしている
が全員通し打ち中で、今までの行程の苦労話や楽しかった話など自己紹介的に話し
た。ここまでくると歩き遍路さんはほとんど通し打ちだけれども、結願までは気を緩
めないで、そんな思いがお互い感じられる。

(左・浄瑠璃寺門前の遍路宿の旅館 中・夕食 右・仏間には立派な曼荼羅掛軸)
 ほかの同宿の方は、ビジネスのようで10人以上の団体か、にぎやかに食事をされて
いた。それと食堂の仏間には、立派な曼荼羅の掛軸が掛けられ、由緒ある遍路宿であ
ることが偲ばれた。
                 (本日移動距離 24.8km    歩数 34,111歩)


四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 30 ・31 写真は 51番札所 石出寺の境内

2023-01-08 16:57:21 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 涅槃の道場(愛媛県)編
(30日目・5月20日)松山、道後温泉近くの里寺 48番 西林寺~50番石出寺を歩
         き遍路。松山市内で宿泊し、明日はoff日。結願までの日
         程とスケジュールの調整だ。
 快晴。6:10起床、朝食→8:10発→重信川の橋上でご高齢の男性とお遍路談笑→9:25 
48番札所西林寺→10:55 49番札所浄土寺(お接待)→11:35 50番札所繁多寺→12:25 
51番札所石出寺(洞窟廻り)→昼食(門前で鍋うどん)→15:40ホテルメルパルク道
後温泉(本日宿泊)→道後温泉散策
 本日も快晴で、6時過ぎに起床、朝食を頂いて出発。同宿の遍路さんお二人は先に
出発されているようで、グループさんと同時間に出発した。皆さんスーツであったり
ユニフォームであったりなのでビジネスでの宿泊だったと思う。
(遍路宿の朝、三坂峠を振返る)
 浄瑠璃寺、八坂寺は昨日中に納経を済ませており、その先を遍路地図の道通りにし
ばらく行くと住宅街で左手に文殊院という寺があり、遍路の由来やら弘法大師に関す
ることが書かれた看板が据えられていた。読んでしばしの散策。文殊院を出るとすぐ
に交通量の多い県道に出て、少し行くと重信川にかかる橋を渡る。厳密にいうと三坂
峠を越えると松山市となるようだが、重信川を渡ると都会の松山、の実感がする。こ
の重信川の橋を渡っていると、歩道の対向から自電車に乗った高齢の男性に、懐かし
そうに声を掛けられた。お伺いすると地元の方で、数年前までは区切り打ちだけれど
何回も遍路をしていたとのことで、今回の私の通し打ちのことなど話させていただく
と、『えらいねえ』とほめていただき、随分と羨ましそうに『また行きたい』とおっ
しゃっていた。”NO WAR”と”Respect  HUMANRIGHTS”のゼッケンもほめていただ
き、嬉しかった。
(左・西林寺への道中文殊院①、右・同じく文殊院②)
 9時25分に少しゆっくりしたけど 48 番札所西林寺、そのあと市街地の町中、少し
道迷いしたけれど 11時前に49番札所 浄土寺でお参りと納経。浄土寺ではまだお若
い、住職さんだと思うが、歩き遍路か聞かれ『そうです』というと、お接待というこ
とでキャラメルを頂いた。その後”NO WAR”やらで談笑。その後50番札所 繁多寺へ向
かう。46番以降はしばらくは里寺が続くのだが、地図では標高差が読み取れないけれ
ど、繁多寺へは意外とアップダウンがあって面倒くさい。それでも11時半過ぎに繁多
寺着。小高いところにあって、いよいよ松山の街並みがよく見える。お詣りと納経を
済ませ51番札所 石出寺に向かう。ここは迷うこともなく、女子大学などがある小高
い道を行くとやがて山門が見えた。山門の手前の橋のかかっている川は、石出川とい
うらしい。
(①西林寺山門、②浄土寺山門の奥は本堂、③浄土寺からの松山市街、④浄土寺本堂と大師堂)

(①石出寺本堂、②石出寺境内・三重塔、③洞窟巡り、④同じく洞窟巡り)
 12時半前に、51番札所 石出寺に着いた。石出寺は古くからの民衆信仰の寺だった
ようだ。道後温泉にも近くその立地や、境内の佇まいは本堂と大師堂を取り囲むよう
に裏の岩山に掘られた洞窟を『洞窟巡り』として信仰の場として崇め、裏手の山も含
めて境内では修験の業なども行われていたのではないだろうか。そして門前の町並み
や境内に入ってからの仏具や土産の店が並ぶ賑わいの通りを見ていると、おそらく財
力のあるお遍路さんはここで修行を体験し、道後温泉で修行の疲れを癒しパワーアッ
プして次の遍路に向かうか、松山港から自らの里に帰るか、20年前にもそんなことを
想像した。当時は今よりも比較にならないほど賑わっていたので余計にそう感じたの
だろう。ただ、現状はコロナ禍のせいか仏具屋さんも土産物屋さんもほとんど閉まっ
ており、団体の遍路ツアーさんも見かけなかった。明日21日は京都の東寺など、弘法
市で大変賑わう日のだけれど、石出寺はそんな様子もないようで、どうなんだろうと
ふと思った。洞窟巡りとお詣りと納経を済ませ、午後2時前に門前の立派な食堂で昼
食。鍋うどんを頂いた。美味しかった。
 昼食後本日の宿舎ホテルメルパルク松山を目指し、15時過ぎに到着、チェックイ
ン。松山市内の里寺を繋ぐ遍路道の道後温泉のすぐ近くにホテルがある。荷物を部屋
に置いて道後温泉の散策に出かけることとして、タイミングがよければ入浴を目論ん
だ。ホテルを出てすぐ向かいにある『にぎたつ会館』を見て思い出した。私が現役の
時にパートナーと旅行で、登山はしなかったけれど成就社までの石鎚山まで行ったと
きに泊まった宿泊所で、20年以上前になるけれど当時は私学共済の宿泊施設で確か
『白鷺荘』といったかと思う。現在は公立学校教職員共済の宿泊施設となっている。
というと25年前に訪れて以来の道後温泉を散策をした。さすがに観光客が一杯で、大
規模改修中の道後温泉本館は、コロナでの入湯制限もあって2時間待ち、25年前には
なかったきれいな別館も同じくらいの待ち時間で、ひと風呂は断念することとした。
(①ホテルメルパルク向かいの にぎたつ会館、②大改修中の道後温泉本館、③道後温泉別館)
 本館からちょっと向かいのレトロな風情のある商店街は全く跡形もなくおしゃれな
お店や大きな土産物屋さんやらで人が一杯。本日金曜日だけれども、この賑わいはす
ごい、浮かれてしまうといった感じ。ひととおり散策してホテルに戻り温泉に浸かる
こととした。
(メルパルクホテルの夕食献立)
 ホテルで温泉入浴後食事。さすがに手の込んだ料理でした。明日はoff日で、6月5日
必着で帰阪、香川では白峰寺~結願の大窪寺は歩き、この先松山→今治→西条(小
松)→新居浜→四国中央→善通寺→坂出の移動距離の長さと交通機関の事情、横峰
寺、三角寺はもちろん遊仙寺、弥谷寺、できれば雲辺寺も歩きで登りたい、というこ
とで、札所間の移動手段として自転車を使おうと決めた。そのため明日は自転車の購
入。
                (本日移動16.5km  すべて歩行で 22,765歩)

(31日目・5月21日) 本日off日。自転車購入。本日で、通し打ちお遍路開始か
          ら1か月、1か月の振り返りと6月5日までのスケジュール
                                  調整。
 晴れ。7:00起床→荷造、温泉→朝食→9:45出発→バスで移動→11:45JR松山駅前・
ターミナルホテル→イオンモール8自転車他買い物→17:00ターミナルホテル→スーパ
ー銭湯、入浴・食事
 結願を展望して、余分な荷物を家へあるいは高松市内のホテルへと送り、明日以降
を身軽にした。9:45と遅い出発で、道後温泉でコーヒを飲みバスで本日宿泊の松山タ
ーミナルホテルへと移動。昼前に到着し荷物を預けてイオンモール松山へと向かう。
(左・メルパルクホテルから見る朝の松山市街、右・JR松山駅前の景色)

  イオンサイクルでママチャリを買う
 イオンモール松山1階にあるイオンサイクルでママチャリを物色。やむなく長距離
区間、交通機関の不便な所は自転車での移動とする。いろいろ物色したが ①アップダ
ウンの道はまだまだあるので登りもさることながら下りのブレーキングに耐えうるこ
と、②基本は自分の足で。したがって電動アシストはパスしてあくまで足踏み式のマ
マチャリとすること、を条件にした。フラットハンドルで6段変速の自転車に決定。
店でセットアップしていただいている間昼食(ラーメン)と1か月の振り返り、6月5
日までのスケジューリングをした。
  1か月の振り返りと今後のスケジューリング
 総距離数からいくと全体の4分の3位は来たのではないか。札所の数は51番までで、
半分少し。ただ難所の多くはすでにクリアしてきた。残る難所は横峰寺、雲辺寺それ
と三角寺か。あとは多少の登りだ。
 今までの振り返りで、また来る機会があればかならずすべて歩き遍路の通し打ちを
したいと強く思ったこと。今回でも特に、徳島全県、足摺半島は自分なりに道を組み
合わせてやはりすべて歩き通し、卯之町から大洲、内子、久万高原の歩き通し、これ
から先の交通量の多いであろう海岸沿いの国道も歩き通したい。なんとも残念な思い
を持っている。それと結願後に思いを整理したいけれど、歩き遍路でお接待を頂いた
人たちとの触れ合いは、何よりも一番に、自分自身の自己肯定感を心地良く高めてい
ただいた、ということかなあ。これは、結願後に整理して是非、書き置きたいと思
う。
 今後のスケジュール調整だが、里寺の集中したところから次のところまで50km以
上ある所、公共交通が不便なところが何か所かあり、ここは自転車で移動、順調にい
けば6月1日結願、あと打戻のお礼参りで霊山寺に詣り、JRで高松戻り止めてある自
転車をフェリ-に積んで6月5日には大阪へ帰着できる。高松に入るまでにアクシデン
トがあっても、善通寺以降なら自転車をその地点に置き後は何とか結願までは行け
る。楽しく元気でポジティブに結願しよう。
 そのようなことを思いながら、セットアップ完了の自転車に乗って、JR松山駅前の
松山ターミナルホテルに向かった。本日の夕食はホテル近くのスーパー温泉のレスト
ランに決めた。
                           (本日移動距離 省略)


四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 32 写真は瀬戸内海沿いの国道、しまなみ海道遠望

2023-01-07 17:44:56 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 涅槃の道場(愛媛県)編
(32日目・5月22日) JR松山~52番札所 太山寺~53番札所 圓明寺(えんみょ
         うじ)54番札所 延命寺~55番札所 南光坊~今治ステーシ
         ョンホテル泊り
 快晴。6:05起床・朝食→7:40松山ターミナルホテル発→9:15 52番札所 太山寺
10:00→10:15 53番札所 圓明寺10:50→国道106号→13:40昼食(峠の食堂で ざるそ
ば)14:00→15:00 54番札所 延命寺15:50→16:20 55番札所 南光坊16:40→16:50今治
ステーションホテル(泊り)
 本日の移動距離は予定では約54km。道中は多少のアップダウンはあるけれどそれほ
ど大したことはなさそう。ホテルは朝食付きで、レストランで頂いた後いよいよママ
チャリに荷物を積んで出発。早速本日の移動54kmで、威力を発揮できるか。
(松山駅前の朝)

 7:40にホテルを出発して市内の交通量の多い県道19号線をママチャリで走る。松山
港とか三津浜港などの看板は随所にあるので、海に近い道であることは大体分かる。
四国霊場の看板は無いけれどいくつかの県道を経由して大きな道迷いもなく何とか52
番札所 太山寺に着いたのが9時過ぎで約1時間半。距離が約12kmだから、やはり自転
車か。さほどアップダウンは無いけれど普通なら1日の行程の半分から3分の1は稼い
だ。お詣りの後2.3km先の53番札所 圓明寺を目指し約15分で到着。太山寺はバス停に
近く、高くない石段の先に山門がある里寺で近在の方が集まる雰囲気だが圓明寺は更
に里寺で、町の『地べた』に寺が建立されている。どちらも東松山の方たちの集いの
場であったのだろう。お詣りの後34.4km先の今治市街に入っての54番札所 延命寺に
向かう。
(左・太山寺門前と愛車のママチャリ、 右・太山寺境内)
(左・圓明寺山門、 右・圓明寺境内)
 圓明寺から地道、県道と走り継ぎやがて国道196号線に繋がっていく。松山から東
へ旧北条市に入るころからはJR予讃線と並走となり途中から196号線に合流するあた
りからは左手に瀬戸内海、右手にJR予讃線のロケーション。交通量は相変わらず多
く、歩き遍路ならあまり快適ではないなあ、と思いながらも今はママチャリの旅。12
時半ごろ、海岸沿いの道の駅 風早の郷 で休憩、ポカリとアイスクリームを賞味。設
備の整った快適な道の駅で、本日は土曜日ということもあってか海岸では子供たちが
海に浸かったりして大賑わい。30分ほどの休憩後、延命寺に向かう途中に菊間町とい
う町を通過する。案内の看板によると、ここは瓦の町ということ。大小の瓦製造所が
並んでいて、瓦土が乾燥しきった独特のにおいが漂う。別に不快なにおいでもなくか
えって瓦のノスタルジーな香り。菊間の端の方に瓦ではないが大きな製油所があり、
この辺から少し海と離れちょっとした登路坂。頑張って登りきったところに 峠食堂が
あり、本日行動食を持っていないので昼食のお世話になった。圓明寺からこの辺りま
約24km以上あるらしいけど所要時間は2時間50分。やはり距離は稼げるのは心強い。
ざるそばを頂き再びママチャリで出発。再び海岸通りとなり、今治市に入り遥か彼方
にしまなみ海道大橋も遠望出来て癒される。そこから再び海から離れていく国道196
号線を走り続け、国道はしまなみ海道に繋がるので、県道38号を走り、15:00に54番
札所 延命寺に着いた。

(左・瀬戸内海沿いの国道を行く。中・菊間町の案内看板。右・今治市に入るとしまなみ海道遠望)
 延命寺は県道から少し離れ、地道に入る。お詣りと納経を済ませ、本日最終の南光
坊を目指す。
 
(54番札所 延命寺本堂。 右・延命寺大師堂)

 瀬戸内しまなみ海道の高架をくぐると、今治市内の賑わいのある街並みになってき
て、しばらく行くと一旦JR予讃線を超えて駅の南側に出て国道317号を右折、南光坊
へと向かう。この辺りまで来ると20年前の記憶が少し蘇ってくる。延光寺から30分、
16時20分に55番札所 南光坊に着いた。南光坊は町中の平地の里寺。境内は広く開放
的で昔からの里寺で近在の人の交流の場のような雰囲気。お詣りと納経を済ませ、本
日の宿泊所、今治ステーションホテルへと向かった。

(55番札所 南光坊)
 これから以降、結願までのスケジュールを考えると、ママチャリ使用に後ろめたさ
が残るとはいえとりあえず順調か。横峰寺、弥谷寺、高松国分寺以降の歩き遍路は多
分十分に楽しめそう。雲辺寺もなんとか行けそう。
(本日の宿泊所、今治ターミナルホテルに近い、JR今治駅)

   (本日の移動距離 54.5km   うち歩行 9,676歩、距離 13.3km)


四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 33 写真は国分寺石段下の横峰寺への道標

2023-01-06 18:31:12 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 涅槃の道場(愛媛県)編
 (33日目・5月23日) JR今治駅近くホテルから56番札所 泰山寺~59番札
             所。 国分寺から西条市壬生川(にゅうがわ)のター
            ミナルホテル東予に荷物を置き、明日の横峰寺への
            事前リサーチのため伊予小松へ往復の予定。
   快晴。7:00時起床8時5分に発→買い物8時30→8時50分56番札所 泰山寺9:10 
→9:30 57番札所 栄福寺10:15→10:30 遍路休憩所10:30(ここから歩き)→11:15 58番
札所 仙遊寺11:45→12:10 遍路休憩所12:15(再び自転車)→13:10 59番札所 国分寺
→16:10ターミナルホテル東予→伊予小松に明日の行程のリサーチ→18:35ターミナル
ホテル東予(泊り)
 本日は距離は24km強とママチャリにしては短いが、仙遊寺への多少の山登りと、西
条市のターミナルホテル東予では明日の横峰寺への事前リサーチのため伊予小松まで
さらに往復の予定で実質的にはそこそこの行程かと思いながらスタートした。ホテル
では朝食がなかったので、駅近くのローソンで行動食を仕入れる。56番札所 泰山寺
へは道迷いもなく8:50着。門まではそう高くない階段を上り、境内は近在の方が集ま
りやすそうな里寺。

(①今治の朝。快晴 ②泰山寺の石段と門 ③泰山寺本堂 ④栄福寺へ向かう遍路道で)

 お詣りと納経を済ませ57番札所 栄福寺へと向かう町中の生活道
路の遍路道途中に、道半ばで倒れたお遍路さんを祀る墓碑を集めた『遍路無縁墓地』
があった。墓碑銘が読み取れないけれど『〇玄禅尼』『〇〇童子』『寛永△△』
等々。合掌。無縁墓地を過ぎて橋を渡り対岸の遍路道を行くと、20年前の自転車遍路
の時を思い出した。御祖父さんかと思うけれど高齢の男性と、お孫さんかと思うけれ
ど中学生ぐらいの男子と2人で黙々と歩き遍路をしていた。それぞれのお遍路さんが
それぞれ自分の遍路道を旅しているのだろうなあと、なぜか深く印象に残っている。

(①栄福寺参道 ②栄福寺の大師堂 ③境内 ④栄福寺本堂 ⑤納経所にて)

 57番札所 栄福寺には20分ほどで到着。短い距離(3.1km)だけれど印象に残る遍路
道で、それは新しい発見や思い出だけでなく、栄福寺の門前に着いたときにそのロケ
ーションに改めて思いを持った。栄福寺は次に向かう 58番札所 仙遊寺が今治郊外の
里山の上にある寺で信仰の気配が十分にあるけれど、栄福寺はその里山の山麓にある
郊外の田園地帯への入り口に構える寺で近在の方々の安心の寺、そんな感じだろう
か。実際に南光坊から泰山寺は今治の賑わいの町中、泰山寺から栄福寺は町中から農
業・田園地帯への入り口、そして栄福寺から仙遊寺へは信仰に向かう道、勝手な印象
だけれど、そんな思いが新しい発見として刻まれる。
 栄福寺はたいへん心に残る寺だった。山麓らしい落ち着いた寺で、境内もたいへん
落ち着いた雰囲気。納経所にはコロナ禍で医療や介護で働く皆さんへの感謝と励まし
を日英語で書かれたプラスターが張り出され、住職さんや寺にかかわりを持つ皆さ
ん、近在の檀家の皆さんの優しさが伝わってきて感激した。住職さんと思うけれど納
経所の方に了解を頂いて、境内に向っているベンチで、行動食の朝食を食べた。

(①遍路道から仙遊寺を見上げる ②仙遊寺休憩所 ③仙遊寺山門 ④境内 ⑤境内の無縁仏)

 10:15に出発、道中里山のうえに建立されている仙遊寺を見上げながら、58番札所 
仙遊寺を目指す。道路工事中でう回路を辿りながら15分位で仙遊寺入り口の遍路休憩
所(標高210m)に到着。そこに自転車を置いて標高差50m程度の山の遍路道を歩い
て登る。約20分がかりのマイペースで11:15 58番札所 仙遊寺着。山岳修験の厳しい山
というほどではないけれど、境内の見晴らしのきく場所からは今治の市街地が
一望に
見える。仙人が遊ぶ山寺という由来があるかどうかは分からないけれど、その雰囲気
らしい境内の作りだった。20年前に来たときはデコレーションというかにぎやかな飾
り物が沢山あったのだが、さすがに今は飾り物までは見当たらない。仙遊寺の宿坊は
住職さんのお話や朝の勤行などで、大変時代にマッチした良いお話が頂けるというこ
とで有名で、私もここでの宿泊を何とかと思っていたが、スケジュールの都合上、適
わなかった。麓から見上げる建物は有名な宿坊で、境内に来てみると歓迎ムードの素
敵な建物だった。お詣りと納経を済ませ下山、12:10に休憩所に戻った。

(①有名な仙遊寺宿坊 ②今治は日本一のタオルの産地 ③国分寺境内 ④国分寺石段 ⑤石段下の道標)

 休憩所から再びママチャリで59番札所 国分寺を目指す。しばらくは生活道路の遍路
道を走りそのうち県道に合流し約50分、13:10に国分寺着。仙遊寺の里山を下り、平
地に降りての里寺でここから次の横峰寺へは30km近くある。で、ここまでが今治の
里寺の集まったところだろう。お詣りと納経を済ませて階段を降りると、『六十番 
横峰寺 六里二八丁』と書かれた古い指さしの道標があった。気合を込めてママチャ
リの乗って西条市のまずは壬生川を目指した。
 壬生川のターミナルホテル東予までは約13km。大体国道196号線を走るので、適当
なところで昼食をと思っていたが、東西南北がぐちゃぐちゃの遍路地図にまた惑わさ
れた。国道196号につながるはずの県道38号線だが繋がらない。海が見えるのだが左
になければならないはずの海が右手に見える。そんな馬鹿な、これでは今治市街地へ
戻ってしまう、と焦り無理やり左折して不本意ながらUターン。住宅街の小高い場所
を何回かアップダウンを繰り返し、しばらく走ってやっとの思いで海を左に見てやが
て国道に繋がった。これは、地図が悪いというのではなく、個人の脳の認知機能と思
う。私の場合、北を上にした地図を見て周りの地形をイメージして、いざ本番では現
地の地形や晴れていれば方角とイメージをフィットさせて行動する。若いときから理
屈ではなくそういう感覚で行動してきて、山岳会や山のサークルなどでは読図やルー
トファウンディングを任され、個人山行でも道迷いはしたことがない、というより15
分以上の道探しはせずに、かならず道迷い地点に一旦戻る。方向感覚でパニックに落
ちるのは決まって南半球に行った時。とにかく遍路地図の方が分かりやすいという人
もたくさんおられると思うので、これは個人のことと思う。
 ということで、道の駅であとわずか残っていたおにぎりを仕入れ、掻っ込ん
で食べ
て16:10に3時間がかりで国分寺から12km離れた壬生川に着いた。
(壬生川のホテルから、石鎚山を望む。明日はこの麓 660m までの山登り)

 本日の予定はまだ続く。ここから約6km先の伊予小松まで行き、明日の横峰寺登山
のリサーチをすること。本当は横峰寺へのアプローチも良く行程も便利な小松での宿
泊所を探したのだが、20年前には確か香園寺にも立派な宿坊があったように思ったの
だけれど何処も適わず結局壬生川になった。17時頃に小松に着き、自転車の駐輪場
所、バス停から時刻表の確認と横峰寺アプローチ下の大頭バス停までの行程の確認を
して、壬生川へ戻った。ホテルはビジネスの宿泊客がほとんどの様で、結構活気があ
った。朝食のみで夕食は無いのだが遍路には変わらず心のこもった接客をして頂い
た。壬生川の町を散策し、夕食を仕入れホテルに戻って明日に向けて気合を入れ直
す。
               (本日実移動 約38km    うち歩行 14,401歩、10.6km)