夜明け前から水辺での撮影を終え山の中腹へと車を走らせた。
晴れのち曇り。
8時前には気温が上がり秋晴れという言葉よりは、残暑という言葉がふさわしい。
先日、7年間撮影してきた白川湖の水没林をモチーフにした写真展「霧幻の水森」を終え、ひとつの区切りがついたこともあり
これまで白川湖へと費やしてきた春先の撮影の時間を、そのほかの場所へと費やすことが時間的にも精神的にもできる様になった。
もちろん白川湖の撮影を終えた訳ではないのだが、やっと通うことができるとしばしば通っていた場所がある。
その時期にたどり着けなかった場所があり、ふと行ってみることとした。
登山道はぬかるみ、今年の天候を物語る。
ブナの広がる森へ太陽の光が射し込み、次第にブナの葉と下草が生き生きと光を浴びはじめる。
植林された杉の森と違い、地上に見える樹や枝と同じくらいの根が地下に広がり山を抱いている。
ブナをはじめとした広葉樹の森は驚くほど倒木などの被害は小さいけれど、それでも崖ごと崩れている場所もあるが、それもまた自然の循環の一つなのだろう。
倒れた木もまた多くの生物を育み森の一部となってゆく。
完成された人のいない森で過ごす時間は穏やかだ。
(完成された森については、またいつか書いてみようと思う。)
登山道を歩き足を止め観察しながらシャッターを切る。
なかなか先に進むことが出来ないのは玉に瑕だけれど、自然の営みを感じながら過ごすことはとても豊かな時間なのだろう。
森は秋の気配が香り始めている・・・
多くのキノコが顔を出し、その香りが時折運ばれてくる。
実は、ツンっと酸味のある様なキノコの菌の香りは苦手でもあるのだが、秋深い時節の深い酸味はまだもう少し先、
穏やかで心地よい香りである。
しばらくすると辿り着きたかった場所へと近づいていたのだが、そこからは道はない。
地形図で緩やかな斜面をトレースし藪の中へ分け入り降ってゆく。
これが、この時期はキツイ。
雪深い場所の木々は斜面から斜めから生え、完全に行く手を遮る形で立ち並んでいるのだ。
残暑の気温もあり、斜面途中で既に汗だくになりながら谷へ降り立つ。
ブナが山を抱き湧き出す水が溢るる湿原。
お花畑、谷地沼、そんな名前で呼ばれる色とりどりの花や植物で溢るる場所は、
空がぬけ、山の頂も顔を見せてくれていた。
夏の終わり・・・
秋のはじめ・・・
多くの花も見ることが出来たが、季節の終わりを感じさせてくれた名残りがあった。
秋が進めば、また違う光景となるだろう。
フライフィッシングで毎週の様に自然の中で過ごしていた頃の様に、しばらくぶりで同じ様な時間を過ごすことが出来た気がする。
また、逢いに訪れようと思う。
このブログを「フライと僕とフォトグラフ。」として始めたのが、2008年の8月末
しばらく前に「Kazuaki Koseki Photoblog」とタイトルを変えたのだが、いつの間にか14年が経っていました。
フライフィッシングという釣りを通して自然を歩き、視て感じた事を伝えたいとブログを始めたのがきっかけ。
フライロッド片手に自然を歩くことはいつも小さな冒険で
「釣り歩き」と題して、釣行記を毎度の様に書いていたのだが、2016年ごろからフライロッドをカメラ一本に持ち替え歩くこととした。
30代後半へと差し掛かり、並大抵のことでは成し得ない目的を持ちながら、いつも必死だった気がする。
撮るものは、それまで視てきた、感じてきた自然の中に既にあった。
既にあったというよりは、その延長線上にあることへの確信だけはあったという方が正しいのかも知れない。
カメラ機材だけを携えて自然の中を歩く今も変わらないのは、
フライロッドを片手に釣り歩きしていた頃と変わらない小さな冒険の日々。
精神的に少しゆとりと落ち着きが出来たこともあり、ふと以前の釣り歩きの様なブログを書いてみようと思い立ちました。
noteのアカウントも数年前から作っていたりしたのですが、
撮り歩きとして撮影記を、思い入れのあるこのブログで記すことと思いましたので、よかったらお付き合いくださいませ。
釣りバカだった頃、フライフィッシングや自然のエッセイや本をよく読んでいた中で、湯川豊さんの文章が好きだったのですが
久しぶりに湯川さんの本を読んでおりました。
タイトルは「星野道夫 風を追って」
素敵な本を読んでいたかもしれませんね。
写真館コセキ PhotoStudio KOSEKI
山と森と川の形
「ホタルノキセキ」Project〜Yamagata,Japan〜
@isseycraft
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