2021年春、富士フイルムより通知があり富士フイルムフォトサロン東京での2週間の写真展開催が決定した。
その時を振り返ると嬉しさはあったのだけれど、妙にホッとしたのをよく覚えている。
自分で決めた、この場所との約束・・・「伝える」という事を果たせるという点でずっと抱えていたストレスから少し解放されたからだろうと思う。
しかしながら、
これまでの日本の風景写真の概念からすれば個性的ではあるだろうけれど、海外では別として果たして日本で受け入れられるのか?
そういった点においてはもちろん不安は消えずに残り続けた。
きっとそれは、展示を終えた頃に少しだけ解消されたり、課題として残ったり、やっと見えてくるものなのだろう。
実際、展示することは恐怖であって見られることで全てが判断される。
東京での展示が始まり多くの来場者の方々とお話しさせていただいて、それ以上に、展示を鑑賞する来場者の方々を観続けることが出来た。
東京六本木の立地から様々な方がいらっしゃって、プロからアマまで写真を撮られる方、周辺に勤める会社員、業界の方、美術館鑑賞の方から美術関係の方など実に様々。
お話しさせて頂いて良い言葉をいただくこともあるのだけれど
初日から展示を長い時間足を止めて見てくださる方が多く、それが一番の答えのように感じた。
直接的な褒め言葉をかけていただく事も多かったのも事実でとてもありがたいこと。
だが、それをあまり受け止めすぎるのは自分の中で満足してしまいそうで、少々怖い気もしていたのだが、
多くの言葉を思い返す中で、場所としての情報を超えて受け止めてもらえた事は大きな財産と手応えとして強く残った。
ただ一点、東京、大阪、山形と繰り返し言われた事は、タイトルが全て英語表記の点
その部分に関しては右から左にクリアできるかは別として、それだけ真剣に見てくれていたことでもあって申し訳ない部分でもある。
写真展にしろ写真集にしろ、作品を発表した時点で作品は自分だけのものではなくなり、公のものとなるという言葉を頂いた事がある。
はじめは実感はわかなかったものが、写真展を訪れる方がいて写真集を見て下さり、ナショナルジオグラフィックやいくつかの雑誌での発表の機会を経て
次第に現実味を帯びていった。
写真を撮るのにどれだけ年数をかけたとか苦労したとか、写真の善し悪しとはまた別だとは思ってはいる。
けれど、そういったものが写真の厚みとして出ることはあるのかもしれないと、鑑賞者と言葉を交わす中で考えは強くなっていった。
公募選考にあっという間に通って数年早く写真展を開催していたのなら、鑑賞者の多くが素通りしていたかもしれない。
開催まで時間がかかって良かったと会場で話し続けたのは、紛れもない本心で
浅はかな考えしか持ち合わせいなかったなら、写真を含め物事を深く見る方の冷めた目線に肩を落としていた事だろう。
作品を世に出すための手段なのか。
それとも、
自分が世に出るための手段として写真があるのか。
自分はこれからも前者でありたい。
今の時代、きっと器用な生き方ではないのかもしれないと思うことがあっても
そう思う。
~issue3~に続く
「霧幻の水森 - Lake Shirakawa -」を終えて~issue1~
写真館コセキ PhotoStudio KOSEKI
山と森と川の形
「ホタルノキセキ」Project〜Yamagata,Japan〜
@isseycraft
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