話が数年前に戻りますが
そもそもどうして、東京六本木富士フイルムフォトサロンという場所での写真展を望んだのかと言うこと。
選択肢として、会場やギャラリーの種類はいくつかあったのですが
無名な新人の私が多くの来場者に来ていただいて作品を発表する事を第一として、作品を世に出すこと。
もちろん、それが撮影地や地域へと与える影響も理解しながらでしたけれども、
そこで地元を含めレンタルギャラリーなどでの自主開催は選択肢から外れました。
コマーシャルギャラリーや美術館などは、今後は別としてその段階ではまだ先のこととして
必然的にメーカーギャラリーでの写真展開催を目指すこととなりました。
その中で、東京六本木富士フイルムフォトサロンは写真展会場としては日本一の来場者をほこる場所
しかも、写真愛好家の方から美術館鑑賞する方、専門職の方、業界の方などなど来場する方が多様でワクワクするではありませんか。
せっかく開催するのならとこの場所に決めました。
富士フイルムフォトサロンでは公募を通れば会場費は無料ですが、さらに、若手写真家応援プロジェクトとして写真の制作費などの全てを負担してくださる
「写真家たちの新しい物語」という公募企画展を開催しているとのことで、より困難だろうこの枠での開催を目指したのでした。
自信や確信があったのかというと、全くなければ出してはいなかったとは思うのですが
中々大変な道だろうとチャレンジの気持ちがとても強く
壁を超えていかなければ先へは進めない。
何より強く思ったのが「写真家たちの新しい物語」という名称が、まさに私にはピッタリでここからスタートしたいとの思いが強かったのをよく覚えています。
写真展の準備が進んでいく中で、事実、写真展や写真集製作などで関わってくださった方々が沢山の手を差し伸べてくださって、
やりとり一つするにしても経験すること一つ一つが常に学ぶことばかりで、多くの経験をすることが出来、たくさんの後押しがあって写真展への開催へとたどり着きました。
東京での本展示が始まると一種、結婚式の披露宴の様なお披露目の感があって、世間知らずな私は少々気が休まる暇もなかったのですが、
それまでの海外へ向けての活動も繋がっているのだと少し思ったりしながら、まさに「写真家たちの新しい物語」だなと忙しさの中で思ったのは忘れないでしょう。
作品作りを続ける中で、進むべき道の中でずっと答えが出ずおぼろげだった事がありました。
その疑問を、写真展の準備の期間中に「霧幻の水森(Forest of Misty Vision)」と共に海外のとある方々へ質問を投げかけました。
帰ってきた言葉は、おぼろげだった答えの後押しをする文章であり、いつか作品を見ることを楽しみにしていますと。
次に進むべき道、必要なこと、やるべき事は間違っていないのだと迷わず進むことの出来る言葉でした。
来年、何かしらの結果が出れば道は早いのですが、
写真家たちの新しい物語はまだまだ始まったばかりです。
焦らず継続しながら進んで行こうかと思います。
また、何か思い出すことなどありましたら続きがあるかもしれませんが
ひとまずこれにて、写真展「霧幻の水森」の振り返りといたします。
お付き合い頂きありがとうございます。
「霧幻の水森 - Lake Shirakawa -」を終えて~issue1~
「霧幻の水森 - Lake Shirakawa -」を終えて~issue2~
写真館コセキ PhotoStudio KOSEKI
山と森と川の形
「ホタルノキセキ」Project〜Yamagata,Japan〜
@isseycraft
@ps_koseki
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