おはようございます。
寒い日が続きますね…北日本では爆弾低気圧の影響で大荒れの天気が
続いた中、昨日は青森を震源とする震度5弱の大地震。
娘を迎えに定時に上がった帰路、信号待ちをしていたところに、
地震速報の数秒後、車がグラグラ…長かったですね…
「また…また災害???」と不安がよぎるも、揺れている最中でも、
信号が青になれば、一斉に車が動き出す様子を見て、なんか安心。
津波注意報発令されたこともあり、嫁とも連絡が付き、娘の迎えを
嫁に託し、自分は消防へ。
うちの班は、勤め人が多いので、時間的になかなか集まりにくいのですが、
幹部1名と団員3名にて、地域住民に安全を呼び掛ける広報をすると共に、
沿岸警備を行っていました。
ま、結果として一時間ほどで解散となりましたが、近所の人の中には
小学校に避難した人もおり、防災意識の高さをいろんな意味で
感じました。
災害関連でもう一件。
先週末の11月29日と30日に出張で宮城県石巻市と南三陸町に
行って来ました。
石巻市役所は石巻駅の目の前にあるのですが、津波が押し寄せ、
水が5日間も引かず、震災当日市長は庁舎を留守にしていたため、
三日目に自衛隊の船で戻って来たこと、水の高さが一階部分で
人の胸の高さまであり、災害対応が出来ず市民からかなりの苦情が
出たこと、お話を聞かせてもらった課長が、津波の際の人命救助で
寝たきりのおばあさんを助けようとして、津波に流され、たまたま
木につかまり助かったことなど話を聞きました。
その後、南三陸町へ移動し、ボランティアガイドからの
説明を受けました
南三陸町はこれまでも津波の被害をたびたび受けていたため、
防災意識も高く、防災のための施設もあったが、想定外の
津波が来たため、今までだったらここまでは来なかった、
防潮堤があるから、大丈夫だろうという人たちもいて、
被害は大変深刻であったとのこと。
「地震、津波てんてんご」
地震が来たら、津波が来るぞ、津波が来たら、自分自身の身は
自分で守るんだ、人を気にするな、自分自身、そうすれば
みんな助かるんだから…
そう昔から教えられて、町のあちこちにその言葉が刻まれた碑が
立っているそうです。
しかも、津波は海からだけでなく、川を上り、壁などにぶつかり
あらぬ方向からやってきて、人の避難を遮るとのこと。
目の前で、たくさんの人が悲鳴を上げながら、引き波でさらわれて
行った光景は、戦争も体験した世代のボランティアガイドさんだったんですが、
これほどむごいことはなかったとのこと。
津波は20メートルに達し、4階建のビルの屋上を超え、山の中腹にあった
福祉施設をも遅い、南三陸町の市街地の奥、山際まで飲み込み、
たくさんの犠牲者と町の姿を奪っていました。
いわきは原発の影響もあって、津波被害の問題だけではないですが、
被災した中でも、少しずつ元の生活を取り戻している人も多くなって
来たと思いますが、南三陸町は未だがれきの町です。
改めて、自然災害の怖さを思い知り、命の大切さを感じました。
予期せぬ災害で命を落とし、悔やみきれない思いに身を焦がしている
人もたくさんいると思います。
残された人たちで、震災前よりよい故郷を作らなければならないと
研修を受けた人たちと話をしました。
一個人として、社会人として、地域住民として、いわきBBとして
たくさん可能性がありますね、やれることも。
まずは、本日のスポーツ経験隊。
地域の子供たちのためにがんばりましょう!!!
被災した石巻市内の体育館
石巻復興市場にて
南三陸町の市街地
市職員がなくなった防災庁舎
山の中腹にある福祉施設(昔小学校が建っていた場所、現在は教育施設はいずれも山の上に立つ)
ここにも津波が押し寄せたくさんのお年寄りが亡くなりました。
この施設まではこんなに離れていて、高台にあるのに…
破壊された防潮堤
本来は、小名浜一周駅伝の参加について投稿しようと思ったんですが、
昨日の地震に津波注意報により内容を変更しました。
小名浜一周駅伝については掲示板に後日投稿します。
それでは、寒い日が続くのでご自愛ください
寒い日が続きますね…北日本では爆弾低気圧の影響で大荒れの天気が
続いた中、昨日は青森を震源とする震度5弱の大地震。
娘を迎えに定時に上がった帰路、信号待ちをしていたところに、
地震速報の数秒後、車がグラグラ…長かったですね…
「また…また災害???」と不安がよぎるも、揺れている最中でも、
信号が青になれば、一斉に車が動き出す様子を見て、なんか安心。
津波注意報発令されたこともあり、嫁とも連絡が付き、娘の迎えを
嫁に託し、自分は消防へ。
うちの班は、勤め人が多いので、時間的になかなか集まりにくいのですが、
幹部1名と団員3名にて、地域住民に安全を呼び掛ける広報をすると共に、
沿岸警備を行っていました。
ま、結果として一時間ほどで解散となりましたが、近所の人の中には
小学校に避難した人もおり、防災意識の高さをいろんな意味で
感じました。
災害関連でもう一件。
先週末の11月29日と30日に出張で宮城県石巻市と南三陸町に
行って来ました。
石巻市役所は石巻駅の目の前にあるのですが、津波が押し寄せ、
水が5日間も引かず、震災当日市長は庁舎を留守にしていたため、
三日目に自衛隊の船で戻って来たこと、水の高さが一階部分で
人の胸の高さまであり、災害対応が出来ず市民からかなりの苦情が
出たこと、お話を聞かせてもらった課長が、津波の際の人命救助で
寝たきりのおばあさんを助けようとして、津波に流され、たまたま
木につかまり助かったことなど話を聞きました。
その後、南三陸町へ移動し、ボランティアガイドからの
説明を受けました
南三陸町はこれまでも津波の被害をたびたび受けていたため、
防災意識も高く、防災のための施設もあったが、想定外の
津波が来たため、今までだったらここまでは来なかった、
防潮堤があるから、大丈夫だろうという人たちもいて、
被害は大変深刻であったとのこと。
「地震、津波てんてんご」
地震が来たら、津波が来るぞ、津波が来たら、自分自身の身は
自分で守るんだ、人を気にするな、自分自身、そうすれば
みんな助かるんだから…
そう昔から教えられて、町のあちこちにその言葉が刻まれた碑が
立っているそうです。
しかも、津波は海からだけでなく、川を上り、壁などにぶつかり
あらぬ方向からやってきて、人の避難を遮るとのこと。
目の前で、たくさんの人が悲鳴を上げながら、引き波でさらわれて
行った光景は、戦争も体験した世代のボランティアガイドさんだったんですが、
これほどむごいことはなかったとのこと。
津波は20メートルに達し、4階建のビルの屋上を超え、山の中腹にあった
福祉施設をも遅い、南三陸町の市街地の奥、山際まで飲み込み、
たくさんの犠牲者と町の姿を奪っていました。
いわきは原発の影響もあって、津波被害の問題だけではないですが、
被災した中でも、少しずつ元の生活を取り戻している人も多くなって
来たと思いますが、南三陸町は未だがれきの町です。
改めて、自然災害の怖さを思い知り、命の大切さを感じました。
予期せぬ災害で命を落とし、悔やみきれない思いに身を焦がしている
人もたくさんいると思います。
残された人たちで、震災前よりよい故郷を作らなければならないと
研修を受けた人たちと話をしました。
一個人として、社会人として、地域住民として、いわきBBとして
たくさん可能性がありますね、やれることも。
まずは、本日のスポーツ経験隊。
地域の子供たちのためにがんばりましょう!!!
被災した石巻市内の体育館
石巻復興市場にて
南三陸町の市街地
市職員がなくなった防災庁舎
山の中腹にある福祉施設(昔小学校が建っていた場所、現在は教育施設はいずれも山の上に立つ)
ここにも津波が押し寄せたくさんのお年寄りが亡くなりました。
この施設まではこんなに離れていて、高台にあるのに…
破壊された防潮堤
本来は、小名浜一周駅伝の参加について投稿しようと思ったんですが、
昨日の地震に津波注意報により内容を変更しました。
小名浜一周駅伝については掲示板に後日投稿します。
それでは、寒い日が続くのでご自愛ください