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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

⛵️ 霞む故国、かえり船 🎌

田端義夫さん、、、母が贔屓にしていた歌手、大御所ですね。若い頃、千日前の大阪劇場(だいげき)まで、リサイタルを観に行ったと話してました。(^。^)

僕が子供の頃は、すでに大ベテランで、懐かしのメロディー的な存在でしたが、「かえり船」に代表される哀愁漂う歌声は、子供心に惹きつけられるものがありましたね。(^-^)

田端義夫さん、ネットの解説によると、その経歴は、およそ次のとおりです。(^_^)

第二次世界大戦前から21世紀初頭まで現役歌手として活躍した。愛称はバタヤン。水平に構えて持つ、アメリカのナショナル・ギター社製エレキギターと独特の哀愁を帯びた歌声、「オーッス!」という威勢のよい挨拶がトレードマークで、広く国民に親しまれた。

生い立ちもまた壮絶です。( ; _ ; )/~~~

三重県松阪市生まれ。3歳の時に父を亡くし、大正14年に一家とともに大阪に出て行く。小学校3年の半ばで中退。赤貧のため慢性的な栄養失調であった。トラコーマにかかり徐々に右目の視力を失う。
13歳より名古屋の薬屋やパン屋、鉄工所などで丁稚奉公。その間に見たディック・ミネのギターを持ちながら歌うステージに感動し、みずから音の出ないギターを作っては河原で歌い、次第に流行歌の世界に傾倒していく(ベニヤ板の板切れで作った音の出ないギターを“イター”と呼んでいたという)。
昭和13年、ポリドールレコードの新人歌手北廉太郎の宣伝のため「伊豆の故郷」を課題曲とした新愛知新聞社主催のアマチュア歌謡コンクールに出場することを姉から勧められ、優勝する。

赤貧、、、何だか、母の人生とも重なるような、そんな田端義夫さんの生き様です。(^。^)

🎶 波の背の背に、揺られて揺れて、月の潮路のかえり船、、、霞む故国よ、小島の沖じゃ、夢もわびしく、よみがえる 🎶

戦地からの引揚げ船の情景を歌っているのだと思いますが、折からウクライナ侵攻をめぐって世界の平和が脅かされている今、兵士や家族の幸せを考えさせられる歌詞となっています。(^-^)

 「朧月涙の果ての帰り船」 祖谷馬関

■YouTubeはこちら↓
田端義夫「かえり船」

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