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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

俳人・尾崎放哉との出逢い

朝刊の特集で、「尾崎 放哉」(おざき ほうさい)という俳人を識りました。(^。^)

生没年は、1885年〈明治18年〉1月20日 - 1926年〈大正15年〉4月7日)。『層雲』の荻原井泉水に師事し、種田山頭火らと並び、自由律俳句のもっとも著名な俳人の一人だそうです。m(._.)m

鳥取県鳥取市出身で、大正15年、小豆島の土庄町にある南郷庵で死去、享年41歳。(T . T)

以下、Wikipediaより引用。

東京帝国大学法科大学を卒業後、東洋生命保険(現・朝日生命保険)に就職し、大阪支店次長を務めるなど出世コースを進み、豪奢な生活を送っていたエリートでありながら、突然それまでの生活を捨て、無所有を信条とする一燈園に住まい、俳句三昧の生活に入る。

その後、寺男となって糊口をしのぎながら、最後は小豆島の庵寺で極貧のなか、ただひたすら自然と一体となる安住の日を待ちながら俳句を作る人生を送った。

癖のある性格から周囲とのトラブルも多く、気ままな暮らしぶりから「今一休」と称された。その自由で力強い句は高い評価を得ている。

終焉の地・小豆島には尾崎放哉記念館があり、隣接する西光寺奥の院に放哉の墓がある。

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

馬関としては、代表句として残る自由律の一句に衝撃を覚えました。!(◎_◎;)

「咳をしても一人」 尾崎放哉

えっ!、五七五じゃないの?(°▽°)

自由律とはいえ、字余りの域ではなく、逆に極端に短い、ひっそりと独りごちる、溜息のような一句。(^-^)

それでいて、誰もが実感できる真実と迫り来る寂寥感がありますよね。(^_^)

たまたまネットで見つけた話題ですが、音楽バンドのヨルシカの『嘘月』という曲は、尾崎放哉の詩をオマージュしたと思われる歌詞がいくつかみられるそうです。(^。^)

馬関としては、このヨルシカの曲を知らないので、そこから始めないといけませんが、尾崎放哉の作品が時空を超えて現代に影響を与えているということですね。(^-^)

偉人に対して甚だ失礼なコメントになりますが、楽しみな俳人と巡り合えました。( ^_^)/~~~

「短夜にお母ちゃんと呟やけり」 祖谷馬関

(注)短夜は夏の季語。短い夏の夜をいう。春分の日から昼の時間が長くなり夜の時間は夏至にいたって、もっとも短くなる。その短さ、はかなさを惜しむ気持ちを重ねて夏の夜を呼んだのが短夜という季語である。
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