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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

「手にとらば消えん涙ぞあつき秋の霜」 芭蕉

野ざらし紀行を辿る(心の)旅も、十日ほどが経ちました。(^。^)

この間、芭蕉翁の感性や技巧に触れ、大いに触発されてまいりました!(^-^)

さて、今更ながらですが、野ざらし紀行は、文字通り、紀行文学でして、「どのような場面で詠んだ一句なのか?」という状況設定を理解しないと、なかなか句の意味するところが分からないものです。(^_^)

今日の一句は、次のとおりです。
手にとらばきえん涙ぞあつき秋の霜」 芭蕉

この句を、芭蕉翁は、9月のはじめに実家(伊賀上野)に帰った際に詠んでいます。
母はもう亡くなっており、年老いた兄から母の遺髪と守り袋を渡された芭蕉は、一頻り泣いてから、この句を詠んだそうです。m(__)m

この背景を知って初めて、亡き母親の遺髪(白髪)を秋の霜に見立てて詠んだ句だと推察できますね。(^。^)

俳諧とは、主に江戸時代に栄えた日本文学の形式、また、その作品のこと。
正しくは俳諧の連歌あるいは俳諧連歌と呼び、正統の連歌から分岐して、遊戯性を高めた集団文芸であり、発句や連句といった形式の総称。(^-^)

松尾芭蕉の登場により、冒頭の発句の独立性が高まり、発句のみを鑑賞する事も多く行われるようになり、明治時代に成立した俳句の源流となる。
時に作者個人の創作たる発句を完全に独立させた近代文芸の俳句と同一視される。専門的に俳諧に携わるひとを「俳諧師」と呼ぶ。(^_^)

すなわち、私たちに馴染みのある「俳句」と、芭蕉翁の頃の「俳諧」は、実は似て非なるもの、、、そのように考えないといけませんね。( ; _ ; )/~~~

 「七回忌庭先にふと霜の花」 祖谷馬関

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