シリーズ名が「ヤングな歌」から「ヤングだった歌」に変わりました!
理由は、これ以上、毎朝、ヤングな歌を探すのが辛くて面倒だから、、、!(◎_◎;)
というわけで、文字通り、昔、ヤングだった頃の流行歌をお届けしてまいります、、、これなら楽ちん!( ^_^)/~~~
第一弾は、南沙織さんのデビュー曲「17才」、、、鮮烈な登場でした、と語りたいところですが、この曲がヒットした1971年、馬関は弱冠6才、、、リアルタイムの印象はありましぇん。m(__)m
それでも、当時の映像を見ると、爽やかさというか、透明感というか、南沙織さんのフレッシュな魅力を感じますね!(^_^)
ただ、歌唱は上手だが、ダンス、振付がほとんど無いんですね、、、まだ当時は振付で歌うという概念がなかったんですかね?( ; _ ; )/~~~
馬関の記憶では、このあと出て来た山口百恵さんやキャンディーズは、バリバリ踊って歌ってましたから、どこかに転換点があったはず!(^。^)
さっそくググってみると、それらしき論説がヒット!、、、便利な世の中になりました!(^-^)
以下、ネットより引用。
日本で本格的に「アイドル歌手」と称される存在が生まれた1970年代初頭、南沙織、天地真理、小柳ルミ子がデビューします。それまで、流行歌のほとんどが演歌だった時代に、「新三人娘」としてそれぞれが歌謡曲でヒットを飛ばし、若年層を中心に爆発的な人気を得た彼女たちこそ、今日まで続く女性アイドルの礎と言えます。
そんな彼女たちが主に活躍していたのがテレビの歌番組。そこでは、ワイヤードマイクを片手に持ち、もう片方の手で軽い手振りを付けて歌うのが主流でした。空いた方の手を持て余さないよう、ワイヤーを握る所作もこの頃はよく見受けられます。
人気オーディション番組『スター誕生!』から73年にデビューした、「花の中三トリオ」の三人も同じ歌唱スタイルでした。
人気オーディション番組『スター誕生!』から73年にデビューした、「花の中三トリオ」の三人も同じ歌唱スタイルでした。
興味深いのは、山口百恵だけが主に右マイクで、桜田淳子と森昌子は左マイクだったということです。
そしてこの時代から現在に至るまで、アイドルはマイクを左手に持つことがきわめて多くなっていきます。これは日本人の利き手の割合が右の方が圧倒的に多いため、マイクを左手に持ち、複雑な動きをする振付は右手で表現した方が効率的なためです。
中三トリオのような70年代のソロアイドルは、現在と比べて振付の量はかなり少ないですが、それでもすでに左マイクが増えていました。
中三トリオのような70年代のソロアイドルは、現在と比べて振付の量はかなり少ないですが、それでもすでに左マイクが増えていました。
ところが山口百恵は、当時としてはダンスが激しい方に分類されるであろう「プレイバック part2」でも右マイクを貫いています。かの有名な引退シーンでも、ステージにマイクを置いたのはもちろん右手です。
にゃるへそ。🐈⬛
馬関的には、1975年頃が振付歌唱の大転換点ではなかったかと推察しております。( ^_^)/~~~
はて、、、なぜか、山口百恵さんからのインスピレーションか、「伊豆の踊り子」が脳裡に充満して来ました。m(._.)m
「踊り子の若き歌萌ゆ伊豆の春」 祖谷馬関
■YouTubeはこちら↓
南沙織「17才」ほか
「踊り子の若き歌萌ゆ伊豆の春」 祖谷馬関
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南沙織「17才」ほか