新熊野神社は、1160年、後白河上皇の命により、平清盛が、院の御所である「法住寺殿」の鎮守社として、紀伊国・熊野三山の熊野権現を勧請し、熊野三山の新宮・別宮として創建しました。(^。^)
後白河上皇は、生涯で34回も熊野三山に参詣するほど熊野権現を信仰されていましたが、頻繁に参詣することは難しかったため、法住寺殿のすぐそばに熊野権現を勧請し、新熊野神社を建立、以後、京の熊野信仰の中心地として大いに栄えました。(^-^)
室町時代に入ると、応仁の乱などの戦乱によって衰微しましたが、江戸時代、後水尾天皇の中宮「東福門院」によって復興されました。(^_^)
1673年には、聖護院宮・道寛法親王(後水尾上皇の皇子)によって本殿が再建されています。( ; _ ; )/~~~
1375年、この地で観阿弥、世阿弥父子が室町幕府将軍足利義満の前で猿楽能を舞ったことから「能楽発祥の地」とされています。(^。^)
京都には京都三熊野といわれる神社があり、それぞれ新熊野神社は熊野本宮大社、熊野神社は熊野速玉大社、熊野若王子神社は熊野那智大社というように熊野三山に対応しています。( ^_^)/~~~
1375年、この地で観阿弥、世阿弥父子が室町幕府将軍足利義満の前で猿楽能を舞ったことから「能楽発祥の地」とされています。(^。^)
京都には京都三熊野といわれる神社があり、それぞれ新熊野神社は熊野本宮大社、熊野神社は熊野速玉大社、熊野若王子神社は熊野那智大社というように熊野三山に対応しています。( ^_^)/~~~
・新熊野神社/後白河上皇、法住寺殿鎮守社、平清盛が社殿造営、東福門院和子が再建
・熊野神社/三社最古、日圓、道寛法親王、下鴨神社旧本殿、聖護院鎮守社
・熊野若王子神社/天照大神の別名、真紹、永観堂鎮守社、秀吉再興
後白河上皇お手植えと伝わる御神木「大樟」は京都市の天然記念物となっており、「影向の大樟」とも呼ばれています。(^。^)
「今様の響き艶やか新熊野
大樟の葉や風そよぐ朝」
by 祖谷馬関