かつて下宿屋として繁盛していたであろう大家さん宅は、主役の座を学生アパートやマンションに取って代わられ、二階の6部屋に間借り人は僕だけ。(≧∇≦)
当時、自分の稼ぎでやり繰りしようと決めて、家庭教師や塾講師のバイトに精を出してましたね。月収は10万円を超えていたと思います。(^_^)
家賃は22,000円と格安でしたが、奨学金の返納のため月3万円を積み立て、生活費は5万円くらいだったでしょうか。(^-^)
仲間がやって来て、徹夜のマージャン、酒盛り、、、なかには、勝手に空き部屋に泊まっていくヤツもいましたね。( ; _ ; )/~~~
時間的な自由があったからか、金がないことには、あまり悩んでませんでした、、、しあわせな時代だったと思います。(^-^)
「あの日の暮らし」
うだる暑さの夏にも
うだる暑さの夏にも
小さな窓を開けるだけ
それで 涼やかな気分
それで 涼やかな気分
ふたりで笑っていた
底冷えのする冬にも
底冷えのする冬にも
小さなストーブ点けるだけ
それで 暖かな気分
それで 暖かな気分
ふたりで笑っていた
六畳一間の部屋には
六畳一間の部屋には
机とテレビときみの座布団
ほかには何もない
あの日の暮らしは
ほかには何もない
あの日の暮らしは
きみと僕だけ・・・
あの日のふたりは
あの日のふたりは
いつも笑っていた・・・
by 祖谷馬関
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