夕刻5時過ぎには、「島根県出雲地方に再上陸」と報じられています。(°▽°)
事もあろうに、神々の国・出雲地方を襲うとは何たる無礼な台風野郎!
逆に、神々の怒りに触れて消え失せてはくれまいか!!(◎_◎;)
と、考えた折、ふと、古来、台風は何と呼ばれて来たのか、疑問に感じ、調べてみました。(^。^)
以下、ネット情報より。
台風という言葉は昭和21年に当用漢字として決まったが、それまでは「颱風」と書いた。「颱」とは南支那海に起る暴風のことで、「颱風」とは故岡田武松博士の命名で,明治43 年(1910)頃に出版された「近世気象学」の中で初めて用いたものらしい。
それ以前は、江戸時代、滝沢馬琴の「弓張月」に次のような文がある。
「それ大風烈しきを颶(はやて)という、、、また甚だしきを颱(あかしま)と称ふ。颶は常に験に起り、颱は漸くありて来る、颶は瞬のうちに発りて條に止み、颱は一昼夜或は数日にしてなお止まず。正二三四月は颶多く,五六七八月は颱多し。」
この内容から判断すれば、颶は明らかに冬から秋にかけての前線性の暴風だし、颱は台風を意味している。
そうすると、馬琴の生きていた江戸時代の前期には、台風のことを「颱」(あかしま)と呼んでいたようにも見える。
大言海によると、「颱」(あかしま)は、忽條風(あからさまかぜ)の転じたものであり、「あからさま」とは「突然に」という意味だそうである。
また,目本書紀には暴風と書いて「あからさまかぜ」と読ませる箇所がいくつか見られる。
へぇ〜、江戸の昔、台風は「颱」(あかしま)や「あからさまかぜ」と呼ばれていたのですね!( ^_^)/~~~
さて、「奥の細道」より、今日の一句。
「あらたふと青葉若葉の日の光」 芭蕉
(句意)
なんと尊いことだろう日光山は。 新緑に埋もれる木の下闇まで燦々と日の光が射している。 これは、弘法大師さまと東照宮さまのおかげだ。 芭蕉の徳川政権への過度の賞賛がしばしば非難された句。
知らなんだー、なんまいだー!📿
芭蕉翁も人の子。
時代の中に生きているのだから、権威や信仰に傾いても仕方ない、、、ノープロブレム!( ; _ ; )/~~~
文学的に崇高であればそれでよいのだ!
が、しかぁし、胡麻擦ってばかりで堕落した俳句なら、やめちまえっ!!(◎_◎;)
という視点で見ると、この句、、、感じるものはないっ!、、、前の二句に比べて、ほんとにつまんないねぇ!m(__)m
パイセン・バッショー、次なる句で挽回なるか?、、、期待してまっせ、がんばりやっ!( ^_^)/~~~
さて、馬関より、返句献上申し上げます。
「颱風やあからさまにて御座候」 祖谷馬関