見出し画像

我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

京都原爆説と炎天の街

昨日、広島の原爆忌について触れましたが、原爆投下の経緯について、次のような事実を知りました。( ; _ ; )/~~~

「京都は原爆投下第一目標だった」(°▽°)

吉田守男氏による「原爆は京都に落ちるはずだった」という著作がそれを記しているそうです。(≧∇≦)

Amazonで紹介されている内容を引用しますと、、、

〜人口の多い京都が空襲されなかったのは、文化財がたくさんある古都だからと習った人はいないでしょうか。
また、米国人のウォーナー博士が京都の素晴らしさを訴えたために、空襲が回避されたという番組がNHKで放送されています。
しかし、これは真実ではありません。
京都が空襲を受けなかった理由は、原爆投下の第一目標だったためです。
・人口が100万人以上で、かつ密集している
・盆地で爆風の威力を発揮しやすい
という理由から、京都は原爆の威力を測定するのに最適な都市と考えられたため、通常の爆撃を控えられていたのです。〜

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

著作を読んでいないので何とも言えませんが、馬関もこれまで「京都は文化財が豊かで歴史的価値の高い街だから戦争による破壊を免れた」と思い込んでいました。(^_^)

一方で、現代のウクライナ侵攻を見ても、ロシア軍は躊躇なくウクライナの歴史資産を破壊していますから、果たして激烈な戦争において「相手国の都市の歴史的価値を認める」といった寛容な態度は存在するのか、と不思議に感じていました。(^-^)

そんな訳ですから、この著作が紐解く「京都は原爆投下の第一目標だった」という事実を知り、馬関としても即座に腑に落ちたわけです。(^。^)

それにしても、京都は盆地で爆風の威力を発揮しやすいため、原爆の威力を測定するのに最適な都市と考えられていた、という分析には、戦慄を覚えました。m(__)m

もしも、京都に原爆が投下されていたら、と考えると、大阪や神戸を含む京阪神の繁栄は、きっと程遠いものとなっていたでしょう。(≧∇≦)

歴史にもしもはないと言われますが、それでも、もう一つの物語を想像してしまいます。m(__)m

また同時に、実際にそのような苦難を乗り越えて来られた、広島や長崎の方々のご労苦に対して、心から敬服する次第です。(T . T)

「炎天にもしもと呼ぶも応え無し」 祖谷馬関

(注)炎天は夏の季語。真夏の太陽の強い日差しがあり、焼け付くような空のことをいいます。意味としては、焼き付くような太陽の強い日差しの下ということです。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事