いきなりですが、『気の置けない』と言う言葉があるじゃないですか?
そのことに対して、昨日はじっくり考えてみました。
でも私の中の、私なりで納得できる捉え方で思考を終わらせたので、
『これが私のただの空想か』、
『偶然にも合っているのか』(それならうれしいです)、
ちゃんと調べ上げて終わらせていないので、その辺ゆる~く受け止めて下さい。
『気の置けない』の、文字のままの印象だと、
『油断できない』、『気の抜けない』と言った意味に受け取れて、私もそう思っていました。
『気の置ける』のほうがそっちの意味だったと知った時は違和感ありまくりでした。
そんな人は私だけでなくて多数いることを知り、ほとんど人と話が合わない変わり者の私は人と同じで嬉しく思ったものです。
そんな私の話はさておき、
本当の『気の置けない』の意味は『遠慮や気遣いが必要ない』と言うものだそうで、言葉と意味がもうひとつしっくり来ないので、私ほとんど使ったことがないです。
私の中の『気の置けない』の状況をイメージで表すなら、
『気』が武士の刀のようなもので、それを腰から抜いて『気の置けない』相手と話すような危険なイメージなんです。
そんなことしたら、油断できない相手は切り掛かってくるかもしれないじゃないですか?
そんな丸腰有りえなくないですか??
でも先述したように、これではないんですよね。
多分『気』というイメージが私の中で固定されているからで、この『気』のイメージを変えなければいけないのでしょう。
『気』へのイメージを、
『相手が好き』・『相手の話すことはしっかり全て聞きたい気持ち』(恋愛的でかなり突っ走った表現ですが)と言う『好意の気』のように考えると、
『気の置けない』相手に対して、私はそんな『気』を足元や腰の横に置いてはいられず、
(頭の中のイメージでは、それが風呂敷に入った物だとしたら、しっかり取手部分を握ったまま)
相手と接すると思います。
好きだからこそ相手に集中して、いわゆる意識を集中して相手に対応しようとすると思います。
なので『気の置けない』のです。
うーん、ちょっと強引ですかな…。
緩いイメージでは決してなく、気持ちの熱量は高いですね。
これはこれでまた、無意識に『気の抜けない』相手になっています…。
一周回った感がありますね。
もっと簡単に書くとしたら、大切な小さい子供が遊んでいるのを、心配してほったらかしに出来ない気持ちでしょうか。
『大切だから』ゆえ『気の置けない』のです。
もっと簡単に書くと、「気になるからほっとけないよ」…。
以上、シンプルに書いていっているつもりがどんどん『分かりにくさの泥沼』にハマってしまっていませんでしょうか…。
最後までお付き合いいただきありがとうございます。