マックの”なんでもあり”

山歩きます。旅します。花育てます。うどん打ちます。

「2023 KOBE 六甲全山縦走大会」

2023-12-16 15:19:20 | 日記

2023年12月16日(土) 曇りのち雨

みなさん~こんにちは

12月になりましたねぇ

例年なら、タイトルの大会が11月23日と12月第2日曜日に開催される予定でしたが

今年から開催要項が変更になり、今年度は11月12日(日)に開催されました

今年度に変更になったことは、今まで年開催日を2日に分けて行われていたのが、

11月12日の1日だけになり、従来の神戸⇒宝塚(通称56km)コースと

神戸(須磨浦公園)⇒新神戸までの「半縦走」コースの2コースの挑戦ができるように

なりました

まぁ、「半縦走」コースでは初心者の方の挑戦が見込まれるコースでいいのではないかと

思います

私が全山縦走大会に初めて挑戦したのは昭和51年、39歳の時でした

その時はスタートが今のJR塩屋駅から宝塚は今の阪急・宝塚駅から西へ約1kmの山中にある

塩尾寺(えんぺいじ)でした

長い月日の中、混雑を避けるためにいろいろと考えられたのでしょう

当時にもらった資料では、距離は56km、コースタイムは19時間45分だったと思います

朝の5時に神戸をスタート、宝塚に着いたのが午後8時30分と記憶しているので

所要時間は15時間30分とコースタイムよりは早く着けたと思っています

まぁ、それでもクタクタに疲れましたねぇ

最初の難関、栂尾山に登る通称400段階段では早くも足がケイレンしてダウン

須磨アルプスでは南から吹き付ける突風で身体がフラツキ、あわや滑落かと思えるくらいに

揺さぶられた経験をしました

急登で苦しんだのは、何と言っても菊水山、鍋蓋山、摩耶山の天狗坂でした

摩耶山を征服し六甲山最高峰に立ったころには余裕さえ感じたものでした

この頂上を越えれば、あとは宝塚までは下り坂が待っていてくれます

最終のチェックポイントである六甲山の東向き分岐を通過すれば、その後は時間制限もなく

宝塚のゴールまでは時間を気にせずに歩けます

岩倉山から宝塚の街の明かりを見た時は、もう余裕すら感じたものでした

最終のゴールである塩尾寺に着いた時にはみんなでゴール出来たことを喜んだものでした

ゴールの証には「完走症」と「完走盾」をもらい、みんなニコニコ顔だったのを覚えて

います

その後は連絡斑として、参加者と同行が数回、山友さんとも1回全山縦走を経験しました

まぁ、何度歩いても「疲れた、疲れた」を連発してましたねぇ

さてさて、85歳になった今、果たして全山縦走はできるのでしょうか

たぶん、鍋蓋山を越えた頃にはギブアップして、新神戸に下りてくるのではないでしょうか

このあたりで、元気なころを思い出すのが、ベストだと信じて

きょうの投稿を終わりにしたいと思っています。

くだらない日記に目を通していただき・・・ありがとうございました

吹田市にお住いの K・Oさん「時間は光の如く」ですねぇ

 

アンテナの見えるところが最高峰です

 

 


「時間は光の如く」

2023-12-07 09:37:48 | 日記

2023年12月7日(木) 晴れ

みなさん、おはようございます

とうとう、1年の〆くくり・・・12月になりました

1年って、早いですねぇ

そう感じるのは、私だけでしょうか?

時間は皆さんが平等に使えるものですから、不公平と思っている方はいないと思いますが

私にとってのこの1年は電光石火の如く過ぎ去っていきました

(すみません ここから以下の文字が小さくなりました 修正が効きません 悪しからずです)

それが幸せだったのか、そうでなかったのかは別問題ですから

一瞬にして過ぎて言った方、自然薯のようにナガーク感じた方、これは千差万別でしょう

このブログ投稿にしても、前回のキャンプ情報が11月10日だったと思いますので

それからでも、間もなく1ヶ月が経とうとしています

長女夫婦がいる娘から、わが家も82歳、78歳になったのだから

そろそろ老々介護に入る、こまごまの世話ならできるから近くに来ないか~との誘いを受けて

ここ伊丹市に移ってから、もう3年がきます

移った当時は、前住居で断捨離をしてきたものですから、こちらに来て継続するものは何もなく

全くすることなしの毎日でしたが、この3年のうちに、また前生活のように忙しくなってきました

まぁ、これは私がそうしたのだと思っているので、責める人は誰もいないのですがね

現在は地元自治会に入れてもらって~将来に必ずやってくる「南海トラフ巨大地震」のための

自治会員の避難訓練や津波の怖さなどの興話、体調を崩して改善に赴くための医療機関への訪問

趣味の山歩きにも行きたい、畑仕事も手放せない(今は大根と玉ねぎが畑の留守番を)

新しく増えた行先は、最近家内が体調を崩して入院しているので、面会に行っては寝間着などの着替えを

持ち帰り、洗濯をして翌朝には病院へ届けると言う洗濯屋さん並みの動きをしています

もうこれで私の予定表は埋まってしまいます

時間の経つのが惜しい・・・ってわかってもらえますよねぇ

まぁ、考えてみれば私が勝手に仕事?を取ってきて、自分勝手に忙しい忙しいといっているのですから

他人さんから見れば、「それは自分の勝手でしょう?」ということになりますかねぇ

まぁ、それでも家では自分の食べるものを調達して、ご飯を作り、食べ、そして洗い物も自分でやる

今まで山でやってきたものを、今度はそれを住まいでやるとは・・・これは想像外でした

「男は外で仕事をして稼ぎ、女は家事をして家庭を守る」と思っていたのでは・・もう古い考えなんでしょう

家事一式を考えてみても、昔は米を研ぎ、薪を取ってきて、カマドに火を入れて炊いたものですが

今ではレンジに入れて「通称・チン」すれば終わりですから・・・これは時代の進歩ですねぇ

山の生活でも、昔は山へ行くと落ち葉や枯れ木を拾い集めて、それで飯盒に入れた米を炊いたものですが

今では、ボンベとバーナーで熱湯を作れば、あとはそれを「白飯」と書かれた袋に注いで10分待てば

白いご飯が即席で出来上がります 上にかけるカレーも熱湯を袋に注ぐだけでOK

昔やっていた、ジャガイモを洗って1/4に切る、玉ねぎも小さく切る、なんていうのは

ホントに昔話になってしまいました

いやいや~これが家庭にも侵入してきたので、今は「ありがたいこと」だと思っています

山歩きに際、昼のご飯は「若い者」が作るのだと責任を感じていたのですが

その頃から、「何でも失敗せんと覚えられん」という先輩がいて、「優しい人やなぁ」と思ったものでした

私の山歩きは、確か4歳のころだと思っています

戦争が始まったのが小学2年生の時に学童の集団疎開が始まりました

疎開先は岡山県の田舎村でしたから、もう少し西に行っていたら、あの原子爆弾に会ってたかもしれません

集団疎開の思い出と言えば、僅か8歳で親元を離れ、自らの知恵ではもう帰れないところへ行ってしまう

なんて、それは寂しいことでした

約30名ほどの疎開者の半分は女性でしたから、昼は学校とか農園に行っては特産の桃などをもらって

生活していたのですが、夜になると親がいない、それはきっと寂しいのだろう

布団の中で我慢していても、一人が泣くとみんながそれにつられて泣き出すんですよ

まぁ、1時間ぐらいはみんなの「鳴き声の合唱」でしたねぇ

付き添ってきた2人の先生も「私も泣きたい」気持ちだったと思います

私の疎開の印象は、今思うのに~疎開に行く日は

小学校から最寄りの駅(今のJR須磨駅)までは朝から疎開者の家族、親戚、近所の方などが

1列に並んで、私も校長先生をはじめ付き添ってくれる先生方の後に並んで、みなさんの拍手の中を

約30分ほど堂々の行進をしたことでした

この時の私は、丸で英雄だったような気がしました

この行進は、戦争が終わって帰ってきたときも、以前と同じ街道に並んだ方から盛大な拍手をもらって

今度は逆に駅から小学校まで行進したのを覚えています

あぁ・・・・・どこまで行っても終わらない   きょうはこの辺で終りにします

きょうも、思い付きの文で失礼します

どうしているのかと思っている心配してくださるみなさん・・・私は元気に過ごしています

体力は・・・「やや」ですが、気力は「十分」です  ありがとう。

※ 私の能力では、どうしても文字が復元しなかった

お許しください もう85歳を生きているんです。

 

 

 

 


「久々に外の空気を吸って、リフレッシュしてきました」

2023-11-10 15:31:58 | 日記

2023年11月10日(金) 雨

先日、山仲間と郊外の新鮮な空気を吸って、リフレッシュしようと

相談して、今月2~3日にやっと叶えられたキャンプ(テント泊)は無事に終わったのですが

残念なことに写真を掲載することが出来ませんでした

この度、パソコンの先生に来てもらって、親切丁寧に教えてもらったので

テスト方々、投稿しますのでご覧いただけるとうれしいです

スタートは11月2日の午前10時30分、JR大阪駅前から始まります

8人乗りの大型タクシーに乗って、ワイワイガヤガヤもスタートです

阪神高速から名神高速を走り、混雑する京都南ICで降りて京都市内を走り

三条大橋から比叡山山越えの道を走り、滋賀県坂本に出ました

時間は昼をまわっていたので、湖西道路沿いのレストランで昼食をとり

テント泊会場へと向かいました

午後3時頃にキャンプ場につきました ここは松原あり駐車場あり近くにきれいなトイレ

ありで、キャンプをするにはまさに一等地といったところでした

現地では、すでに先発隊(スタッフ)の方が夜の用意も終わり、休憩中といったところ

でした 早速の歓迎パーティー?で地元産のビールで疲れを癒し、焼き肉を少々、減りかけた

腹を満たすには十分でした

今日のメンバーです 女性4名、男性1名、後はスタッフの方でした

キャンプの用意が出来ると、次はテントを張ります

スタッフの指導で張るのは素人のわれわれです

テントは1人用ですからメンバーだけでも5張を組み立てます

これがなかなか・・・思ったようにはいきません

やっと、格好らしくなってきました

私の寝るところです 1人用ですからテント内はこんなものでしょう

あとは焼き肉で一杯を待ちます

食べているところは省略します 私が食べられないもん

まぁ、とにかく腹いっぱい食べましたねぇ もう破裂しそうでした

楽しかった語らいも、寒くなっては声になりません

時も10時を過ぎ、これだけ食べればあとは寝るしかないよねぇ

と、ご婦人の挨拶で午後10時過ぎに「オヒラキ」になり

みなさん、それぞれに決めたテントに散って行きました

男性1名のパーティーでしたが、私はお声がかからず、これ幸いと自分の寝蔵へ

一直線・・・お陰さまで何年振りかの熟睡ができました

ところで~

腹時計って実に正確ですねぇ

何時ごろかなぁ?・・・と思って腕時計を出してみると、ちょうど5時でした

いつも家で起きている時間と一緒 もう時計なしでも起きれると内心納得でした

暫く、寝転んでいましたが、6時30分に「起きろ!」の合図があり

ごそごそとおきることに・・・

朝の支度はもう完成寸前です(スタッフさん・・・ありがとう)

朝は食パン、サラダと簡単な食事でしたが、意外や結構腹持ちがよかった

食事の後は近くにある、滋賀県の名所「メタセコイヤの並木道」まで行ってきました

朝は霧が立ち込めて、見通しはイマイチでしたが贅沢は言えません

駐車場は満車でもタクシーだと、脇道に入れるんですよねぇ

帰りがけに撮った並木道をバックに1枚

私が撮ったので、私が写ってない・・・左端はスタッフのドライバーさんです

車は2日間世話になった大型のタクシーです 乗り心地満点でした

待望のキャンプ、テント泊が出来て、今年はもう言うことなしです

お世話をしてくれた山友(Tさん)~ありがとう

今年の山歩き納めにしておきます。

 


「阪神タイガース・・・日本一・・・パートⅡ」

2023-11-08 06:38:48 | 日記

2023年11月8日(水)晴れ

マックファンのみなさん・・・今朝もおはようございます

鹿児島出身のМさん(33)・・・来てますかぁ

阪神タイガースが38年ぶりに日本一に輝いたのが11月5日でした

きょうでまだ3日ですねぇ

興奮覚めやらぬとは、こんなことを言うのでしょうかねぇ

きのうのテレビでもまだやってましたよ

阪神デパートは大売出し、破れて悔しい近鉄百貨店でも応援感謝セール

近くの阪急系スーパーでもチラシに値引きセールががんがんと出てました

阪神電車も日本一に輝いた選手の・・あれは何と言うのかな?

実物大の写真?シールを特急電車に貼って走らせていましたし

甲子園歴史館では来館者に日本一記念のシールを先着2万名に進呈

きょう、行ってもらってくる予定ですがね

まだ残っているのかが、いささか不安なんですが・・・

まぁ、わが家から甲子園球場まではバスで約30分、220円なので

何枚無料でくれるのかは別として、とにかく行ってきますわ

もし。間に合って数枚でももらえたら、ファンにみなさんに差し上げましょう  

いえいえ~

無料でもらったものを有料にするなんて・・・そんな根性の悪いことは

しませんよ 但し、私は優先的に1枚もらいますがね

その昔は午後6時になると近くの団地に帰る通勤客を乗せるために

球場周辺に集まって来る阪神バスさんに大量のバスを買ってもらう

代わりに球場の入場券を大量に買わされた関係で、球場に足を運ぶ

回数が増えたのですが、最近はこれが手に入らなくなってしまい

このところは専らテレビに頼っていました

そのテレビも前回に書いたように、テレビの前で試合開始から試合終了

まで寝ていたなんて、年はとりたくないなぁ・・・と思わせることを

平気でやってしまうんですから、どうしようもない年齢に突入してしまったもんです

いやいや~

きょうは行ってきますよ、確か10時開門だと言っていましたから

遅れずに行ってきます

もらったら、必ず阪神ファンの方には差し上げます

但し、ファンの方限定ですよ

「私は阪神タイガースファンです」って、誓約書を書いて

住所、名前、生年月日を書いて送ってくださいよ

 

あぁ、今朝もまたつまらないことを一気に書いてしまった

ここまで一気に15分で書いてしまうんですから、内容が乏しいのは

ちょんバレですねぇ

それを「恥ずかしい」とはちっとも思わない私

その上にまだ、「私は小さい時から口下手の小心者ですからお許しを」

とまで、あつかましく書く私です

どうか、お許しを」。。。

 

つづきです

ここの記事の前半に書いてました、甲子園歴史館で優勝シールか何かを

いただける件、行ってきました

バッジでした(スマホで写したので、これはここに投稿できそうです)

歴史館へ行ったのは午前9時前だったので、外で休憩してましたら

10時前に係の方が整理のために出てこられ、バッジ希望の方は

こちらに並んで待って欲しいと言われるので、その通り並ぶことに

ここでの説明ではバッジは歴史館内で渡すので入場券を買って館内に

入り、展示物を見ながら待って欲しいということでした

欲しいのだから指示に従う他はないよねぇ

やがて~時間になり、入場券を買って中に入り3種類あるバッジの

1つを手にすることができました

バッジは袋に入れてあり、どの種類のバッジが当たるかはまだわかりま

せん

このまま、家に持って帰りハサミでチョッキン

出てきたのが、これでした

バッジだけ大きく

【阪神タイガース球団】と書いてあれば、もっと価値があったのに

甲子園歴史館の名前が・・・まぁ、確かにタイガースの歴史に残る

貴重な出来事ですから、ヤイヤイとは言いませんが・・・

割り当て?は1人1個で5個も10個もくれませんでした

残念ですが、向こうの好意でもらったものですから、1人で10個

欲しいと言うのも少々無茶な話かもしれませんねぇ

モンクも言わず、黙って1個いただいて

「ありがとう!」と言ってもらって帰りました

最初の1個は私に優先権があると宣言していましたので

この1個は・・・ということなんですが、どうしても欲しいと

言われる方がいらっしゃったら、ラブレターをいただいた方に

この貴重な1個を差し上げることとします

大いに、どんどん送ってください

但し、私の知っている方に限定させてください

~~~お待ち申し上げます~~~

 

ここから、その後が飛んでしまってました

便りの方法は

1,コメント欄にコメントいただける方

2,私の電話番号を知っている方は電話で

3,私の住所を知っている方はハガキで

4,その他、どんな方法でも結構です

連絡が取れたらそれでかまいません

こちらで選考して、必ず送らせてもらいます

送った方と、送った理由は

またここで公表したいと思っています

どんどんの連絡を期待して待っています

これで~終りです。

 

 


[阪神タイガース・・・日本一おめでとう!!!]

2023-11-06 07:34:41 | 日記

2023年11月6日(月) 曇り

【阪神タイガースの日本一】おめでとうございます

これは、何と言っても38年ぶりやもんねぇ

一言でも、記事にしとかないと私も納得いかんもん

やぁ~、38年ぶりに~~~めでたい、めでたいや

ということは~

私としては47歳のときと、今年の85歳のときや

この世に存在して、2度も応援チームが日本一になるのは

うれしい、うれしい、うれしい

ところが~

この、めでたい日に、私は”大失敗”をやらかしました

いやね

娘が来て作ってくれた夕食を済ませて、きょうはタイガースが日本一になってくれるのかな?

まぁ、ゲンツケに一杯や と呑んだ焼酎のお陰で

試合開始を待たずに・・・グッスリ・・・

気が付いた時には、試合はすでに終わってました

よって、どちらが勝利したのかはわからずじまいで、また寝込んでしまい

今朝。午前6時からの「おは朝」で日本一を知り、大喜びの一幕でした

あぁ、38年ぶりというのに、何で、こんなドジなことを・・・

しかし、済んでしまったことを、もう1度。は私の力では

どうにもなりません

7-1の勝利なら、たぶん、ルンルンで見ておれたと思うんですがね

もう、残念、残念、残念、残念、残念と言うしかありません

いやホント、優勝のかかったこんないい試合を見てなかったとはねぇ

特別の用事があったならともかく、テレビの前で終始寝ていたのですからねぇ

それもテレビをつけていながら寝ていたなんてねぇ・・・ 

我ながら・・あきれてしまいますよ

 

書けばキリがないので、このへんで終わります

バカにつける薬はない、というので、きょうは何もつけずにまた寝ます

残念をブログにアタルなんて恥ずかしいのですが

今朝はこれしかないので・・・悪しからずです。