2023年8月11日(金) 曇り
きょうは台風6号、7号の影響で兵庫県伊丹市は曇っています
きょうは【山の日】です
山歩きの好きな私にとっては山でも行きたいところですが
熱中症の心配もあるので家でパソコンに遊んでもらっています
きょうは、私の山歩きの歴史を書きますねぇ
産まれわが家は神戸市須磨区というところで、南へ1km歩くと海があり
北へは50mで山への登山口があります
ですから、小さい時から山へは登ることには恵まれていたと思います
まぁ、海には小学校の臨海学校への講習が盛んに行われていたので
山にも海にも身近に感じていたのは間違いのないところです
海では小学校から真っ直ぐ海に行き、準備体操をしてからは
須磨浦公園まで泳ぐ遠泳に参加して、合格すれば赤い運動帽に白い帯線が
1本増えるのを楽しみにしていたことはよく覚えています
山への入門は小学2年生の8歳から始めました
神戸市内への空襲が頻繁になり市内にいるのは危ないからと、近くの
おじさん4,5人が小学生を集めて須磨から山越しで西にある明石市まで
よく連れて行ってくれたのが始まりでした
これには喜んで参加した私でしたが、5月に学童集団疎開が始まってからは
参加できなくなり、山歩きも一時中断していたと思います
明石までのコースは小学校から北へ進み、今はポートアイランドの埋め立て
事業で山がなくなってしまった高倉山(200m)の登山口から山に入り
鉄拐山(テッカイサン・234m)旗振山(253m)を通る六甲全山縦走路を歩
きジェームス山から下山、下畑村、奥畑村から垂水区の田畑地区を通り明石
市の里山にある古い寺・大山寺(タイサンジ)までの約8kmを歩きます
大山寺はホントに古い寺で、到着と同時には飯盒炊爨用に落ちている材木を
集めました
米を炊くのは各自が家を出るときに親からもらった飯盒を集めて、それぞれ
に米が半分になるくらいに移してその飯盒を5つ並べて火をつけるのが私に
任された仕事でした
昼食はいつもカレーで、これが好きで参加する学童も多かったと思います
この遠征はいつも年1回で、今から思えばこの飯盒炊爨が楽しくて参加を楽
みにしていたものです
ここに参加していた者の中からでも後に一緒に六甲山などに登った経験があ
ります
当時はカレーと言えばご馳走な方で、家庭でもなかなか食べる機会なかった
ので人気があったようです
この山歩きの行事は私が疎開に行った時点から不参加になったので終りまし
たが、戦火もたぶん酷くなり中止になったのではと思っています
やがて終戦になり、私もそんなことは忘れて神戸に戻ってきましたが
山歩きについては何故か興味が残っており、後の昭和39年11月に行われ
た第2回六甲全山縦走大会に初参加することに繋がりました
午前5時に塩屋をスタート、56km先のゴールの宝塚には20時30分に
ゴール、歩行時間は15時間30分で、当時のコースタイム14時間30分
に対して+1時間とまぁ~そこそこの成績でした
この年の夏には一家全員で富士山に登った経験があります
今現在、伊丹市に住んでいる末っ子の長女が僅か2歳の時でした
当然、頂上までは歩けませんので、背負子で背負って頂上まで登りました
まぁ、疲れてグッタリでしたねぇ 2歳と言えども10キロはあったでしょ
う 昭和39年と言えば私が27歳の時でしたから若い元気な時でしたねぇ
富士山と言えば、平成26年にも登りましたから、当時は77歳
この年での富士登山は登山ツアーでも75歳以上の方は「参加ご遠慮くださ
い」でしたから、高齢の限界だったのでしょう
頂上、お鉢めぐりは視界不良で入山禁止で断念しましたが
剣が峰の3776mまでは登りたかったです
この年、北アルプス・唐松岳(2696m)にも登山しこの年の登り納めもしま
した
昨年11月、この年の登り納めに山友さんと上高地・大正池~明神池を往復
(約15km)したのですが、85歳にもなればさすがに疲労を感じて前回
の倍の時間がかかり、高齢になったものだと痛感した次第でした。
山歩きもボチボチ引退の時期でしょうねぇ。
と、言いながらこの11月にはテント泊登山を山友さんと計画中です
~~終り~~