12月25日は、鹿児島県奄美市と大島郡に属する西南諸島の奄美群島が日本に復帰(1953年)して70年の節目「奄美群島日本復帰70周年」の日でした。そして当局が開局した年、1972年5月15日の沖縄日本復帰まで、見えない国境線が、与論島(鹿児島県大島郡与論町)と辺戸岬(沖縄県国頭郡国頭村)の間に引かれることとなります。
当局は今年(2023年)2月に、沖縄県側の本島最北端・辺戸岬 から、大海原の先にはっきりと見える 鹿児島県 最南端 与論島を見て感動して帰ってきました。関連ブログ記事 ➩ 「 やんばる 」移動 沖縄県国頭郡国頭村
2月27日の沖縄県国頭郡国頭村(JCG #47001/H)移動時に、10MHz CW でQSOいただいた JA1DCL 日野OMから、ダイレクトでQSLとメッセージをいただいたことを思い出したので、再度ご紹介させていただきます。
OMのメッセージによると、『 1969年に私(日野OM)が初めて移動して、島から(7、14MHz CWで)初電波を出したところが鹿児島県与論島 』だったそうです。『 当時は沖縄復帰前で、与論島の丘から沖縄を眺めたことは忘れられません 』と綴ってありました。OMが、1969年まだ琉球政府が統治していた沖縄・辺戸岬を、日本本土の与論島から眺めた、その当時の思いはとても複雑だったのでしょうね。
奄美群島は今年 日本復帰70年、そして沖縄は復帰51年目になりました。当局もOMと同じように、鹿児島県の与論島から大海原の先の沖縄県の辺戸岬を眺めながら、平和や安全保障について思いを巡らせてみたいと思います。
つまり、ヨロン島で無線がしたい・・・ ということですね(hi)
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