JASAファームでの出来事

(社)日本動物支援協会(JASA)=Japan Animal support Association=

毎日届きます 2

2013-09-05 | 日記
本日も「生牧草」届きました。



5㎏の生牧草をティアラ1頭が食べているわけではなく、ちゃんと他のポニー達もおすそ分けをいただいています。


まだお預け状態のパトラン。首が伸びる~




さて、前回の続きです。



平成23年3月11日の東日本大震災による原発事故で、福島第一原子力発電所から半径20㎞の区域には避難指示が出ました。
この時、ほとんどの人が圏外に避難しましたが、まだ出入りすることはできました。

当初、2,3日で自宅に戻れると思い、ペットを残したまま、着の身着のままで避難した人たちも多くいました。
20㎞圏内は酪農地帯で、また相馬野馬追の里でもあり、多くの家畜(牛、豚、鶏)や馬が飼育されていました。


ティアラの馬主さんは、そんな酪農地帯で、6頭のポニーと猫を、我が子として、家族として生活をしていました。
約40日後の平成23年4月22日午前零時をもって、半径20㎞圏内は警戒区域に設定され、立ち入りが制限されましたが、、
その場にとどまり、仲間の協力で飼料を調達し、置き去りにされ、半野生化した犬たちに餌を与えたりしていました。


当時、南相馬の牧場に勤務していたあたろうは、3月16日に25頭のポニーを避難させることができ、その後は福島と東京を行ったり来たりしながら、被災地の状況を伝えたり、支援物資を運んだりしていました。

4月10日、引退馬協会(現NPO法人引退馬協会)の代表から電話があり、「20㎞圏内の津波の被害を受けた馬小屋に、馬が残されている。そちらの施設の空いている馬小屋に避難させてもらえないか」という事でした。

この時、被災馬の治療や伝染病予防のために、ボランティアで南相馬入りした獣医さんが、PONさんでした…。


やせ細り、津波のヘドロまみれになった馬の他にも、人のいなくなった街の中を彷徨っていた馬や、避難先を探していた馬などを受け入れました。


「大熊にまだポニーがいるらしい」
「浪江の浜の方で馬を見た」
「○○さんの馬はまだ避難させてないようだ」

その後も、様々な被災した馬たちの情報が、耳に入ってきました。

再び、引退馬協会の代表から電話。
「小高に6頭のポニーがいます。圏外に出したいので、空き馬房に入れさせてもらえないでしょうか」

それが、ティアラとの出会いでした…。





当時の被災馬の状況がわかるブログはこちら→被災馬近況報告ブログ
2011年5月からブログが始まっています。ティアラやPONさんの様子もわかります。

引退馬協会の被災馬支援活動についてはこちらをご覧ください→被災馬INFO



宗さんにもティアラのことは、お伝えしました…


ティアラについては、もう少し書きたいと思います。
あた