JDS日本ダウン症協会 大阪支部からのお知らせ

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【成人期の先輩を訪ねて】一般就労で食品会社へ 今年で勤続27年 西村隆宏さん(45歳)

2015年09月26日 | 取材報告
一般就労で食品会社へ 今年で勤続27年!
学校の就職支援もあり、卒業後にすぐにケンコーマヨネーズ株式会社に入社。今年で勤続27年です。東灘区の地域活動グループ「チャレンジひがしなだ」の運営するグループホーム『わっはの家』で生活し、そこから会社へ通っています。

(写真:2015年2月 神戸市灘区のケンコーマヨネーズで 撮影=リー・サンス)

入社当初の苦労があってこそ、今がある

仕事は製造レーンでの資材調達や、資材のバーコード入力など。状況に応じてレーンで足りない資材を準備します。「不安もありましたが、厳しい社会での経験を得て成長してほしかったので、就職を希望しました。同じ会社の女性の方が『基礎を教えてあげる!その代わり、自分の息子のように、時には厳しくしてもいいですか?』と言って本当に親切に教えてくださいました。」と母・恵子さん。

(写真:西村さんの作業スケジュールをチームリーダーと打ち合わせ 2015年2月 撮影=リー・サンス)

「チームで食品を製造していますので、西村君の役割もとても大事。他の社員と同じように頼りにしています」と工場長の平野達郎さん。

(写真:「僕と西村さんは同期入社なんですよ」と工場長の平野さん 撮影=リー・サンス) 

「楽団あぶあぶあ」&「ミュージカルチームLOVE」での活動
1982年4月、神戸市に住むダウン症や自閉傾向の青年達が中心になって結成。養護学校を卒業した後の長い人生の楽しみになればと、初給料で楽器を購入し、本格的な演奏を目指しました。

(写真:定期演奏会で 2014年11月撮影)
練習は、仕事を終えてからの夜や休日を利用。個人練習および全体練習の形でごく日常的に行っています。今年で活動33年目。育んだ友情のきずなの強さ、お互いを思いやる心の成長を実感しています。

 

(写真:母・恵子さんと 2015年3月撮影 撮影=リー・サンス)

自分の好きなこと、仲間づくりをたくさん
経験させて欲しい。母・恵子さんの話子育てで大事なのは、興味のある好きなことを時間をかけて楽しむことや、仲間づくりをたくさん経験させてあげることだと思っています。体力づくりも大事。自分で自分のことができる、伝えたいことが言えるのが大切。ダウン症の方の明るさを伸ばしてあげてください!
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《プロフィール》1970年6月、神戸市生まれ。地元の小学校、中学校を経て、神戸市立青陽養護学校高等部卒。1989年にケンコーマヨネーズ株式会社(本社・東京)入社し、神戸工場に勤続27年。「楽団あぶあぶあ」&「ミュージカルチームLOVE」でも活動。

記事=江藤恵美(JDS大阪支部 『ダウン症ニュースWeb』編集部)

【成人期の先輩を訪ねて】グループホームで暮らすという選択 松本大介さん(22歳)

2015年09月26日 | 取材報告

(写真:枚方市のグループホームで楽しい夕食 2015年2月12日撮影)


20歳の春に実家を出て、年齢も障がいもそれぞれ違う3人の仲間とグループホームで共同生活をはじめました。実家の家族以外にも、心から親身になってくれるもうひとつの家族ができました。

(写真:作業所の支援員のみなさんと)


作業所では焼菓子の販売を担当 

松本さんは、平日の9時から16時まで枚方市にある作業所で働いています。同作業所・生活介護サービス管理責任者のIさんは「当法人の主力事業はクッキーやパイなど焼菓子の自主製造販売です。松本さんの担当はお菓子の販売です。毎日、契約先のスーパーや学校など所定の売場に出向き、販売業務にあたってもらっています。とても気持ちの良い笑顔でお客様からの評判が良いですよ」と仕事ぶりを教えてくれました。取材させていただいた日は、市役所のバザーにお店を出していたそうです。


20歳で独立、平日はケアホーム、週末は実家へ

松本さんが暮らす障がい者グループホームは、2013年3月にオープンしたました。松本さんは20歳になってすぐに、障がいも年齢も違う3人の男性と一緒に、こちらの一戸建ての家で暮らし始めました。世話人のKさんは「大介さんは、初日の夜、ひとりで涙を流していたようです。まだ20歳ですものね。でもそれが最初で最後でしたよ」と振り返ってくれました。夕食は世話人さんも一緒に1日の出来事を話したりしながら、和やかに食卓を囲みます。生活支援員のHさんは「この家が、仲間と暮らす憩いの場になればいいですね」と話します。そして仕事が休みの週末は実家に帰り、家族水入らずでのんびりと過ごします。

(写真:グループホーム支援員のHさんと)

 

できることがグンと増えて、大きく成長しました 

グループホームに来てから松本さんは、できることがグンと増えたそうです。なかでも、特に大きな成長を感じられることが2つあります。1つ目は、作業所からグループホームまで徒歩20分程ある道のりを、ひとりで帰れるようになったことです。支援員さんが徐々に、付き添う距離を減らしていき、昨年の暮れ頃には、不安なくひとりで帰れるようになりました。2つ目は、初対面の人にも自分から話しかけるようになったことです。松本さんはそれまで、慣れない人には自発的に話しかけることはありませんでしたが、物怖じせずに色々な方と積極的に話すようになったそうです。この日、初めてお会いした筆者にも、「晩ご飯食べてないんか~?」と、愛嬌のある笑顔で話しかけてくれました。同行してくださった母・ルミ子さんも、成長ぶりに驚きを隠せない様子です。

 


大切なことを自分で決断するという経験をして欲しい

ルミ子さんに当時の気持ちをお聞きしました。「大介が生まれてからずっと、彼の歩む道を私が選んで、決めてきました。レールを敷いてきたように思います。でも、グループホーム入居のお話をいただいた時に、私は初めて決断を大介に委ねてみようと思いました。彼に『大切なことを、自分で決断する』という経験をしてもらいたかったのです。無理だったらすぐに止めればいいという気持ちで、グループホームでの暮らしを始めました。大介は自分の気持ちを相手になかなかうまく伝えられません。だから、大介の今の気持ちを理解したい、もし『嫌だ』と思っていのるなら、ちゃんとその気持ちをくみ取って、代弁してあげなければいけないと思っていました。週末帰ってくる度に、表情や様子を見ながら家族で接していると、グループホームでの生活を一番反対していた弟が、『大ちゃん楽しそうやなぁ!』と言ってくるのです。帰ってくる度に大介は『グループホームのご飯美味しいで』と笑顔いっぱい。一緒に暮らす仲間のこともたくさん話してくれました。大介は『ここで暮らす』と決めたんだ!と私は思いました。彼は態度でそう伝えてくれました。実はその時、『帰る』と言って欲しかった。それが、その時の私の本心です。複雑な思いで相当な時間苦しみました。でも、大介が自分で決めたことですからね、全力で応援します。土日に帰ってくるのが楽しみです」と笑顔で話してくれました。

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 《プロフィール》1992年8月、門真市生まれ。3人兄弟の長男。2011年、大阪府交野支援学校高等部を卒業。同年から枚方市の社会福祉法人が運営する作業所に。20歳の春に枚方市のグループホームに入居。趣味はビデオ鑑賞。

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記事・写真=上村直美(JDS大阪支部 『ダウン症ニュースWeb』編集部)


【成人期の先輩を訪ねて】グループホームでペースをつかんだ 出海優さん(29歳)

2015年09月22日 | 取材報告

一時、しんどい時期がありましたが、4年前にグループホームに入って生活のペースができました。夜8時。仕事から帰ると、好きなテレビを見て、セーラームーンや嵐の松潤クンにかこまれるほっこりタイムです。

(写真:堺市南区のグループホームで 2015年3月 撮影=住田鉱一)


仲間とキーパーさんに支えられ

小さいときから朝が弱く、“重役出勤”と学校時代は言われたことも。18歳ごろ、体調はピークだったけれど、20歳を前にしんどい時期があった。大学病院の小児科にかかって、ビタミン剤、昇圧剤、入眠剤などを試したけれど目に見える効果はありませんでした。大阪府立大学人間社会学部の里見恵子准教授(障害者福祉)から、「ショートステイで環境を変えてみてはどうか」と助言を受けたのです。

22歳ぐらいから、2年ほどは朝起きられなくなって、月に2、3日しか作業所に行けなかったことも。「このまま家にこもりきりになったらどうしようと思った」と、母・朋子さん(60)。ショートステイの経験はあったものの、心配だった朋子さん。自宅のリフォームをきっかけに、思い切って「お泊まり、行ってみる?」と、心を鬼にしてグループホームの「体験生活」に送り出しました。

(写真:ホームの仲間とキーパーさんが誕生会を開いてくれました 2014年10月 グループホーム提供)

最初は泣いてばかりだった優さんですが、2ヶ月して帰ってきて、「どうするホームにする?」と聞いたら、「ホームに行く」。「親としては、うれしいような、悲しいような」と母・朋子さん。

キーパーさんが根気よく支援してくれたおかげで、生活のリズムは数ヶ月でつかめました。いまでは、公営住宅を改装したホームで5人の知的障がいのある女性と暮らし、月に2回の週末は実家に帰る生活です。一番年下なので、みんなが優さんの面倒を見てくれます。

 

パン工房で大切なお仕事

グループホームと同じ地域にある、パン工房で働く出海さん。月曜から金曜は午前9時半から午後3時半まで勤務。パンを入れる袋に、食品表示のラベルを貼る、大切な仕事です。

(写真:ラベルをていねいに貼っていく 堺市南区のパン工房で 2014年12月 撮影=住田鉱一)

袋の決まった場所に、ゆっくり、でもきっちりとラベルを貼っていきます。月に6500円ほどの収入と、平均1万5000円くらいのボーナスが年2回あります。給料は能力により、ボーナスは作業の業績によります。「職員と仲間とのボーナス交渉のやり取りなどからも、仕事への意欲が増すようです」と、母・朋子さんは言います。

(写真:家族で出かけた沖縄旅行 2014年6月 家族提供)


「自立した生活を送ってほしい」

「私が元気な間に、自立した生活を送ってほしかった」と話す母・朋子さん。病気やケガで長期入院したときに、“親亡き後”を考えるようになりました。優さんが、18歳で作業所、25歳でグループホームに入れたのは幸運だったといいます。地域を選び、施設を探して、仲間との相性をみて…。自分にあったホームに入所するまでには、時間がかかる。だから、早いうちに計画をたててほしい、と朋子さんは助言してくれました。

第1土曜と、第3土曜は、運営する社会福祉法人の本部で、地域の人と交流したり、カラオケをしたり、などのレクリエーションがあります。毎年、秋には、職場の仲間と一泊旅行にでかける楽しみもあります。

 

《プロフィール》1985年(昭和60年)10月生まれ。堺市立浜寺中央保育所に4年間通う。堺市立浜寺小学校、同浜寺南中学の支援学級を経て、大阪府立和泉養護学校(現・和泉支援学校)卒。18歳から、社会福祉法人の運営するパン工房で働く。25歳のときに、公営住宅を改装して開設したグループホーム(堺市南区)に入所。

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 記事=住田鉱一(JDS大阪支部 『ダウン症ニュースWeb』編集部)

【成人期の先輩を訪ねて】さをり織作家・講師、そしてダンサー 杉本明子さん(39歳)

2015年06月01日 | 取材報告

 

(写真:大阪市北区のSAORI豊崎長屋で  撮影・江藤恵美 2014年10月9日)

織っていると図柄のイメージが「ぽっ、ぽっ、ふわっ、ふわっ、バーンッ!」と浮かんできます。音楽を奏でるように感じるまま。「これっ!」と思う糸を手に取り、どんどん、どんどん紡きます。最初に指導してくださった城英二さん(さをりひろば代表)から、思いのままに織る楽しさを教わりました。沢山、褒めてくれて、作品が仕上がるごとに教室の皆がともに喜んでくれました。

楽しくて夢中になり、一緒に習い始めた母・美子さん(69)をあっという間に突きぬけ、今ではさをり織作家として、また講師として活動の場が広がっています。

 

寄り添うように声をかけます

上から教えるのではなく、様子を見ながら寄り添うように声を掛けます。教室の生徒さんからも「アドバイスが的確」「迷った時にすかさず声を掛けてくれる」と頼りにされる存在です。

「明子さんは周囲にすっと溶け込んでいくので、ゆったりした優しさに包まれる」とさをりひろば事務局長の城哲也さん。

明子さんが大阪府立成城高校で講師をしていた時もそれは同じ。最初は女子高校生の前で緊張しましたが、いつものように「ふわっ、ふわっと自由にね」とアドバイス。誰かの真似ではなく、自分自身の感じるままに。最初は戸惑っていた生徒さんたちも次第に明子さんの意図を理解し、自分たちなりの個性的な作品を仕上げていきました。

 

(写真:さをり織り仲間の堀佐知子さんと  撮影・江藤恵美 2014年10月9日)

集中して織っている堀さんからは「エネルギーがブワ~ッ!と出ています」という明子さん。お互いに認め合う仲です。

 

(写真:織った作品は裁断して、こうなります。 撮影・江藤恵美 2014年10月9日)

「それが欲しい!」と言われることも。けれど、全く同じものは出来ないのです。その瞬間、瞬間の思いを糸に託しているからです。明子さんの作品を通して人柄にも魅了されるファンが沢山います。お手紙をもらうこともあるんですよ。

養護学校卒業後はすし店に勤務。赤だしを作ったり食器を洗ったり立ったままの仕事。夜遅くなることもありましたが一度も「しんどい」と言うことなく、休むこともありませんでした。しかし、閉店に伴う退職後、次の職を決める面接では「もう、ゆっくりしたいです」と口にしました。次に通うことになった作業所では「背もたれのある椅子に座っていられるところがいい」と伝えました。「勤めていたころは何も言わないから大丈夫だと思っていたけど本当は疲れていたし頑張りすぎていたのかもしれない」とお母さんの美子さんは、この頃を振り返ります。ただ、このことが きっかけで大阪市立中央授産場のミシン科に通い、一緒になった友人の「さをりは楽しいよ」との誘いから、12年前、27歳の時、さをり織と出会いました。

 

(写真:「とっておきのさをり展」のステージで 撮影・江藤恵美 2014年11月16日)


ダンスと太鼓とタンバリン!

さをり織を通してトルコ、アメリカなどにも交流の輪が広がりました。浮かんだことを即、表現するのはダンスも同じ。交流会では音楽にのせて思わずダンス!めいいっぱい表現している姿をカメラがとらえ、大型スクリーンにドーンッ!と映し出されました。あまりの弾けっぷりに、こんな一面も表現できたらと、支えている人のアイデアでダンスチーム「カラフルズ&カロリズム」が結成されました。定期的にステージも開いています。ほかにも趣味で始めた「大阪チャチャチャバンド」で太鼓、タンバリンを担当と、日々を楽しんでいます。これからも、どんどんどんどん!のびのびと自由に。表現したい思いは尽きません。

 

(写真:さをり広場事務局長の城哲也さん<右>、母・美子さん<左>と。大阪市北区のSAORI豊崎長屋で 撮影・江藤恵美 2014年10月9日)


「さをり織りを通じての成長を感じます」

「明子さんは周囲にすっと溶け込んでいくので、ゆったりした優しさに包まれる」と、さをり広場事務局長の城哲也さん。母・美子さんは「家ではほとんど話さないけど、ここに来ると話しているし、電車に一人で乗り、通うようにもなった」と言います。「しめつけないように のびのびと 自然体で。これからは特に私はなるべく後ろへ隠れていようと思います」。

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《プロフィール》1975年9月大阪市生まれ。地域の公立小学校・中学校に通う。小学校3年生から養護学級へ。大阪市立生野養護学校高等部卒。大阪市立中央授産場ミシン科を経て、さをり織り室。大阪府立成城高校での講師の後、現在は手織適塾「SAORI豊崎長屋」(大阪市)で講師。

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記事=周藤裕子(JDS大阪支部 『ダウン症ニュースWeb』編集部)/江藤恵美


村上喜美子さんが講演 支部総会の記念講演会

2015年05月29日 | 勉強会/講演会

 昨年、NHKハート展に入選した村上有香さん(15)の母・村上喜美子さんの講演が、5月24日開催されました。手作り教材についてや、実際に詩が書けるようになるまで、詩吟の効果など、これまでの成長記録を動画で振り返りながら、有香さんの語りも交えての講演でした。詩を通して、ともに暮らす親にさえ分からなかった、豊かで美しい世界が内面にあることを語りました。

 村上喜美子さんの講演「娘の成長記録:YUKAのおもちゃ箱を通して伝えたいこと」は、JDS大阪支部総会の記念講演会として、5月24日(日)、大阪府社会福祉協議会で開催されました。


 お菓子の容器やペットボトルのキャップ、CDケースなど身近にある素材で作られた色とりどりの教材が並べられた会場での講演会。はじめにダウン症のある村上有香さん(15)の自己紹介があり、母・喜美子さんから、日々の生活や言葉がけで大切にしていることなどが話されました。

《手作り教材について》
 有香さんが通っていた療育教室がきっかけで教材を作り始め、先生のアドバイスで更に工夫を凝らしていきました。制作に夢中になることで、自身も前向きな気持ちでいられました。成長するにつれて数字の概念を理解することが、いかに生活と密接にかかわっているか、それを理解して使えるようにするために、教材で遊びながら勉強の要素を取り入れてきました。一方で算数などの学習は、教えるタイミングが分かっている専門家にまかせることの大切さも話しました。

《詩が書けるようになるまで》
 小学校2年生から絵日記を日課としました。当初は「楽しかった」「嬉しかった」と同じ言葉が続くなか、専門家からの「身近なものをタイトルにすると良い」とのアドバイスで、タイトルを決めることに。たとえば犬の「こうちゃん」、「赤ちゃん」など。これにより有香さんから生き生きとした言葉があふれてきました。
 母・喜美子さんも気付かなかった有香さんの豊かな内面に出会います。まわりの同級生からも詩についての感想が寄せられ、詩を通しての交流が生まれます。そのことが有香さんの自信のみなもととなっていったことを、入選作品や有香さんの朗読、テレビ出演の際の映像も交えながら解説されました。

《詩吟の効果について》
 小学校5年生から始めた詩吟により、発声、発音の基本練習を積んできました。しっかりとした口の形をつくること、口を閉じること、お腹から声を出すことが身につきました。ただし発音練習はコミュニケーションを楽しめるようになってから始めたほうが良いそうです。有香さんが実際に朗々と詩吟を披露すると参加者から拍手がわきました。


 最後に会場から質問が寄せられたあと、母・喜美子さんから手作り教材についての説明がありました。
 講演会が終わって参加した人達は教材を手にしたり、喜美子さんに作り方を聞いたりしていました。
 大東市から参加した4歳のダウン症児の母親は、「YUKAさんのホームページを以前から見ていた。とても興味があって参加しました。」「実際に手に取り、話を聞くことで娘の今後がイメージできた。特に有香さんの明朗な話し方に引き込まれました」と話していました。


JDS日本ダウン症協会大阪支部の第9回総会が行われました。

2015年05月29日 | 取材報告

日本ダウン症協会大阪支部の第9回総会が、2015年5月24日午後2時から、大阪市中央区の大阪社会福祉指導センターで開かれました。
 支部会員152家族のうち、25家族が会場に訪れ、56家族が委任状を提出し開催されました。

 まず玉井浩支部長が2014年度の活動を報告。石川会計担当が会計決算を報告。いずれも拍手で承認されました。

《2014(平成26)年度 JDS大阪支部活動報告》
▽5月11日 第8回大阪支部総会。講演会『知的障がい者の企業就労を考えよう:最近の動向を実例を交えて』エル・おおさかで開催。
▽6月22日 日本ダウン症協会本部の新理事に玉井大阪支部長が就任。
▽6月27日~29日 近畿大学で行われた第38回日本遺伝カウンセリング学会学術集会で「日本ダウン症協会」のブース設置。
▽8月17日 NPO法人日本障害者競技支援協会主催の「フットサル&サイクルフェスタ2014」を後援。
▽11月9日 秋の勉強会『知的障がい者の企業就労について:多様な社会参加の選択肢の一つ、企業就労について実例をあげて検討します』ドーン・センターで開催。
▽3月21日~29日 梅田スカイビル空中庭園展望台ギャラリーで『世界ダウン症の日写真展』開催。

 このあと2015(平成27)年度の活動計画案について、玉井支部長が説明。3月の『世界ダウン症の日写真展』について、「この2年、プロのデザイナーやカメラマンの参画で、レベルの高い展示になっている。次回以降も、多くの方の協力をいただきたい」と述べました。
 また、秋ごろに予定している勉強会について、テーマなど希望があればどんどん伝えて欲しい、とも述べました。
 このあと、2015年度の会計予算案を拍手で承認。今年度は役員改選はなく、午後2時20分に閉会しました。

 総会の後は、講演会「娘の成長記録:YUKAのおもちゃ箱を通して伝えたいこと」が行われました。

 


きょう午後、村上喜美子さんの講演会「娘の成長記録を通して」 JDS大阪支部総会で/当日参加も可能

2015年05月24日 | 勉強会/講演会

JDS日本ダウン症協会大阪支部の2015年度総会が、5月24日(日)14時から中央区の大阪社会福祉指導センターで開催されます。総会終了後は、ダウン症のある高校生の母である村上喜美子さんの講演会「娘の成長記録:YUKAのおもちゃ箱を通して伝えたいこと」も開催。会員は無料、非会員は資料代1000円。当日参加も可能です。

総会終了後は、ダウン症のある高校生の母である村上喜美子さんの講演会「娘の成長記録:YUKAのおもちゃ箱を通して伝えたいこと」も開催。会員は無料、非会員は資料代1000円。

 総会では、活動報告や収支報告、新年度の活動計画案や予算案などを話し合います。  
 また、総会の後は講演会「娘の成長記録:YUKAのおもちゃ箱を通して伝えたいこと」を開催します。講師は、平成26年9月のNHKハート展に入選した村上有香さんのお母さん、村上喜美子さん。有香さんが出演したEテレ『ハートネットTV』でのことや、手作りのたくさんの教材、おもちゃのことなどを話していただきます。ともに暮らす親にさえ分からなかった、豊かで美しい世界が内面にあることを伝えたいとおっしゃっています。

《日本ダウン症協会大阪支部総会 第一部 2015年度総会》
●日時=2015年5月24日(日)14:00~(受付13:30から)
●場所=大阪社会福祉指導センター 大阪市中央区中寺1-1-54 TEL:06-6762-9471http://osakafusyakyo.or.jp/index.html
 [地図]
●アクセス=▽地下鉄谷町線・長堀鶴見緑地線「谷町六丁目」駅下車、4番出口から南西へ徒歩5分。▽地下鉄谷町線・千日前線「谷町九丁目」駅下車、2番出口から北西へ徒歩7分。

《日本ダウン症協会大阪支部総会 第二部 総会特別講演》
●日時=2015年5月24日(日)14:30~15:30(予定)。
●演題=「娘の成長記録:YUKAのおもちゃ箱を通して伝えたいこと」。
●講師=村上喜美子さん(ダウン症のある高校生、村上有香さんのお母さん)。
●参加費=JDS会員は無料、非会員は資料代1000円。※当日入会も可能
●問い合わせ先=日本ダウン症協会大阪支部 電話090-8129-1201、メール jds.osk@gmail.comまで。


『成人期の先輩を訪ねて』を連載します 3月の「世界ダウン症の日写真展」展示パネル/JDS大阪支部

2015年05月24日 | 支部役員のコメント

今年3月の「世界ダウン症の日写真展2015」で展示された

成人期のダウン症者の暮らしを取材したパネル展示を

JDS日本ダウン症協会大阪支部のブログで公開します。

ダウン症児の親御さんから、

20歳をすぎた先輩達はどんな暮らしをしているのか知りたい

という要望に応えて、

『ダウン症ニュースWeb』編集部員が

関西に暮らす5人の成人期のダウン症者を取材しました。

 

 


日本ダウン症協会大阪支部総会を開催します。

2015年05月11日 | 年度総会

JDS日本ダウン症協会大阪支部の2015年度総会が、5月24日(日)14時から中央区の大阪社会福祉指導センターで開催されます。2014年度の活動報告や収支報告、今年度の活動計画案や予算案など話し合います。

総会終了後は、ダウン症のある高校生の母である村上喜美子さんの講演会「娘の成長記録:YUKAのおもちゃ箱を通して伝えたいこと」も開催。会員は無料、非会員は資料代1000円。

 総会では、活動報告や収支報告、新年度の活動計画案や予算案などを話し合います。  
 また、総会の後は講演会「娘の成長記録:YUKAのおもちゃ箱を通して伝えたいこと」を開催します。講師は、平成26年9月のNHKハート展に入選した村上有香さんのお母さん、村上喜美子さん。有香さんが出演したEテレ『ハートネットTV』でのことや、手作りのたくさんの教材、おもちゃのことなどを話していただきます。ともに暮らす親にさえ分からなかった、豊かで美しい世界が内面にあることを伝えたいとおっしゃっています。

《日本ダウン症協会大阪支部総会 第一部 2015年度総会》
●日時=2015年5月24日(日)14:00~(受付13:30から)
●場所=大阪社会福祉指導センター 大阪市中央区中寺1-1-54 TEL:06-6762-9471http://osakafusyakyo.or.jp/index.html
 [地図]
●アクセス=▽地下鉄谷町線・長堀鶴見緑地線「谷町六丁目」駅下車、4番出口から南西へ徒歩5分。▽地下鉄谷町線・千日前線「谷町九丁目」駅下車、2番出口から北西へ徒歩7分。

《日本ダウン症協会大阪支部総会 第二部 総会特別講演》
●日時=2015年5月24日(日)14:30~15:30(予定)。
●演題=「娘の成長記録:YUKAのおもちゃ箱を通して伝えたいこと」。
●講師=村上喜美子さん(ダウン症のある高校生、村上有香さんのお母さん)。
●参加費=JDS会員は無料、非会員は資料代1000円。※当日入会も可能
●問い合わせ先=日本ダウン症協会大阪支部 電話090-8129-1201、メール jds.osk@gmail.comまで。


ご来場ありがとうございました 『世界ダウン症の日写真展 in 大阪』が閉幕しました

2015年03月29日 | 写真展

5回目を迎えた『世界ダウン症の日写真展 in 大阪』は、

今年も無事、きょう会期を終えることができました。

ご来場頂いた皆さまに、実行委員一同感謝いたします。

 

展示された公募写真は、これまでで最も多い120点でした。

関西はもちろん、北海道、東京、愛知、奈良、滋賀、

岡山、香川、徳島、福岡などから写真が寄せられました。

 

3月21日(土)から29日(日)までの会期の間に

東京、岐阜、福岡からなど多くの方が

来場下さいました。

そして、受付のアドレスノート(芳名録)には、

500人のお名前が残りました。

段ボールでつくったキリンのオブジェの

メッセージボードには253のメッセージが

寄せられました。

オーストラリアやイスラエルの方の

コメントもありました。

 

今回初めての企画だった、

成人期の皆さんを訪ねてのルポを掲載したパネルには

「将来の見通しができた」と

多くの方が関心を寄せてくださいました。

ダウン症のある方の普段の暮らしを知っていただく

良い機会となりました。



21日(祝)には、

ミニコンサートが行われ、

出演者、来場者の約200人が一体になって、

ヘルマンハープや太鼓、ギターなどの音楽を楽しみ

いっしょになって踊りました。

梅田スカイビル40階の

「空中庭園展望台ギャラリー」では

開催中に多くの家族が交流し、

多くの市民がダウン症のある人たちのことを

受け止めてくださいました。

この写真展をぜひ来年も開催したいと考えています。



主催の日本ダウン症協会大阪支部を始め、

実行委員メンバーより

心から御礼申し上げます。

そして、運営にお力添えいただいた

空中庭園展望台、さをりひろばのみなさまをはじめ、

ご後援、ご協賛、ご寄付、

ご協力いただいたみなさま、

そしてご来場いただいたみなさまに、

心より感謝いたします。

今後とも、みなさんの街で

学び、働き、暮らすダウン症児者に

ご理解とご支援をたまわりますよう

よろしくおねがいいたします。

 

日本ダウン症協会 大阪支部
 支部長 玉井浩
世界ダウン症の日写真展in大阪
 実行委員会 スタッフ一同

 

   最終日、閉幕の時間。朝からの雨が上がり、青空が広がりました。

   (2015年3月29日午後4時5分 撮影)