菅井滋円 作品集

絵を始めて半世紀以上の歳月が流れた 絵に向かう時何時も満たされないモノがある その場がここになりつつある。

ダンシャリ(断捨離)

2015年07月31日 | 菅井滋円 作品集
ダンシャリ


Fさんのよく使う言葉だが 思い切ってモノを整理し 捨てることをダンシャリと云っている 彼女はしばしばこの言葉を使い またその実践者である。
このダンシャリをわたしもやりだした 以前この家を改装したときも 和洋の箪笥6棹を捨てた 当然のことだが一杯入っていた衣類も捨てた・・使はない多くの無駄を手元に置いていたかと呆れたが まだまだ十分でなかったのだろう。

ダンシャリはものに未練を持たない、潔く捨てる、判断が難しいモノは捨てる その結果 すこし身辺が清々しくなった。

この度は写真と紙類である よく無用なものの中で住んできたことだとしみじみ思う 無駄がわたしと同居して 大切な空間を奪ってきたことと実感させられた。



  




京盆地

2015年07月24日 | 菅井滋円 作品集
京盆地

京盆地に連日の暑さがやってきた 盆地独特の蒸し暑さ 連日続く35度を超える暑さには閉口する その中で祇園祭りが始まり 終わった。
この夏を惰眠で終わりたいと思う 朝のうち豆腐でも買い 夕食の菜にしよう 酷暑を避けあさましく踏ん張るのは止した。

わたしのささやかなブログをご高覧くださる方へ 経字本に描いた 京盆地の蘆山寺(ろさんじ)の墨絵をご高覧いただき 忘暑のお見舞いと致します。

           2015年 盛夏



   

                         蘆山寺


御室 八十八ヶ所

2015年07月10日 | 菅井滋円 作品集
御室 八十八ヶ所

OFF TIMEのカウンターでコーヒーを呑んでいた 何気なく これから御室仁和寺の八十八ヶ所へ 行ってみようと思いついた。
そこで市バスに乗り 「仁和寺」でバスを降りた 山門の前を過り西へ そして山へ向かって歩いた やがて案内看板に「八十八ヶ所 一番札所」とある 数段の階段を登ると 草相撲(くさずもう)の土俵くらいの広場があり 一隅には大きな芭蕉が生えている 御室八十八ヶ所の一番の祠があった。
径の脇に誰が造ったのか ブロンズの弘法大師の立像がある ここからいよいよ参道へとさしかかる  ここは御室仁和寺の裏山にある 胎蔵界である  つまり 仏陀の体内になぞらえた ところへ入り込んだコトを意味する。
弘法大師は四国では四国八十八ヶ所 都では御室八十八ヶ所 ともに真言密教 の修行の場であった。

径は前日の雨で水分を たっぷり含んだ登り径である 所々「道が壊れています 注意をして下さい」などと看板が掲げられていた。
以前より通い慣れた林間の径である。  ここには自分の過去が埋められているようなところで この近辺で 若い日から何枚もの絵を描き続けてきた。

病の後であり 自らの身体に負担をかけないよう 問いかけ乍らの散策となった。  わたしは行程の半ばまでに止め 脇道から仁和寺の西門へ 仁和寺の山内には観光客は少なく 金堂・経堂を拝して帰路に着いた。

帰路は嵐電(らんでん)に乗ってみようと思い 嵐電「御室駅」へ行った 駅には人気はなく ほどなく電車は来た 車内は適当な空席もあり 衣笠山を眺めながらの 4ツばかりの駅を過ぎ白梅町へ わたしは旅人となっていた。

須叟の間に 孤客は遠い日への旅をした。


 


 


 


 


 


 


 


 

 

船岡山

2015年07月03日 | 菅井滋円 作品集
船岡山

梅雨の晴れ間に 船岡山に登ろうと・・
市バス「船岡山」で降り なだらかな北側の登り口から ゆっくりと歩み始めた。

船岡山の中腹の亭に老人たちが屯していた。
比叡山から連なる東山を一望 眼下に大徳寺 大徳寺の塔頭の背後 低い緑の山並み 「妙法」の文字が刻まれていた。

山頂は東西100mほどあるだろうか?・・・屋根のように長く平たい 船岡山の名前の由来ではないか?・・・ 船の形に譬えたのに因るのだろう。

日差しが眩いが この至福のひと時と 景観をわたしのブログを 楽しんで呉れている方々と分かち合おう。

東と左の二つの大文字や 風化して自然に返ろうとする磨崖仏 草間に眠る石仏たち わがまち西陣をも紹介したい。

帰路は西の径を下る 爽快なひと時。

























散策

2015年07月03日 | 菅井滋円 作品集
散策

近くを散策した 住み慣れたところで いろいろ・・カメラは拾った 泡の一滴がカメラに残った。

流れ
鴨長明の父は 糺の森にある河合神社の宮司であった 長明の「方丈記」の冒頭の「流れ」の言葉は 御祖(おいそ)の杜を流れる細流で その泡沫は 瀬見(せみ)の小川の呟きであった。

瀬見の小川を流れ下り・・ 加茂の岸辺を・・