菅井滋円 作品集

絵を始めて半世紀以上の歳月が流れた 絵に向かう時何時も満たされないモノがある その場がここになりつつある。

常滑 4

2015年11月27日 | 菅井滋円 作品集


常滑 4
先頃の検査でMRIとエコーを受けた 後日その結果の説明が医師から告げられた 腫瘍は以前より肝臓の中で大きくなっており この時期に処置をしなければならないと。
そして入院を言い渡されたが わたしの
「どうでしょう・・間もなく菅井丸は沈没するでしょうか・・?」
云う質問に 医師は 検査のフイルムをボールペンの先で示しながら
「この辺りの腫瘍が 前回より大きくなってきました ここらで入院して それで前回同様の処置をしなければならないでしょう」
ということで 前回のオペでは鼠蹊部(そけいぶ)から長いカテーテルを指し込み モニターを伺い肝臓の腫瘍に薬物を注入し 腫瘍を抑えるという治療であった。
今回もその治療を受けることとなった。
菅井丸の舳先はマダマダ 崖へ到達するまで 時間があるようで 医師は言葉を次いで
「それは大丈夫です(菅井丸沈没)・・入院して処置をしましょう・・帰りに胸部レントゲンを撮っておいて下さい それと入院の手続きをしておいて下さい」
と云った わたしは指示通りレントゲン室へゆき レントゲンを受け また入院の手続きを終え 病院をあとにした。

12月初頭が入院だが だから菅井丸はまだ些か浸水はしているが 沈没まで時間が残されているのだ これからの貴重なトキを大切にしたいものだと思った。

この先・・・この先のことは予想もつかないが フト想ったコトは わたしはこれまで何をして来たのだろうか・・・?
絵はビジアルに姿を現す 夢中になって追い掛ける  絵がわたしに見せる姿であり わたしの統合体である。  大きな影を見せてくれている その扉を開けるもう一度それを知るのには わたしの足跡を見詰めたいと思った。

入院までとその後なのだ それにはどのようにトキを過ごすかだ・・・これがわたしの最後の最後だろう八十歳になって この愚行をするバカは沢山はおるまい。沢山は居ないが・・・バカはいるだろう。

多くの作品は描きっぱなしにして あちこちに仕舞い込んだ絵を 一丈に集めトータルで自分を見つめよう それには・・・躊躇うコトはない。

そこでわたしは秋田氏に電話した 収納庫を作らなければならないと思った 自らが見えないのである それには適当と思える部屋があった 最近使っていない部屋である 階下部屋を改装しようと決断した。
それには前に進むより今日までの足跡をみつめることにした。

秋田氏は現場を見て 数日後わたしに図面を起こして改装のプランニングをして持って来てくれた。

改装のことは大変だったが割愛する 順序よく10日くらいで出来た。
改装は思いの外立派な出来映えで わたしは満足した 同時にこれからする仕事が脳裏に描いた。
整理はまだまだだが 大胆な一枚がなかにあり――海で得たプラスチックの「浮き」なのだが それは「生命の門」のように思える一枚だった。

これから入院という このペシミストの男に嫌な日が始まるが 小さいことは成ゆきに任せ 日捲りを一枚めくる 後はその日その日だ カレンダーに任せ わたしは日を送ろうと 逃れようのないことは成ゆきに任せ 鷹揚に受け止めようと思へた。

太陽が登る大文字の上から 
そんな朝を病院の7階で迎えよう。




常滑 3

2015年11月20日 | 菅井滋円 作品集



常滑 3
散歩の足を伸ばしてユニクロへ行った 知恵光院中立売なのだが 京都の地図に詳しくない人 京都の人でも難しい 堀川戻り橋にやゝ近いのだが 説明は困難だから省く。

肌着と靴下を買い 帰路を久しく通らない道を歩いた 高校生のトキの先生の家の前で ちょっと気になり表札を確かめたが黒くて読めない 同級生のK君の家は・・これも表札の名前が変わっていた。
街の様相の変化は当然だろう。
変わらないモノもあった 地蔵堂である 古い友人に会ったような懐かしさを覚えた。

この辺り一円は平安京の御所北辺にあたり 栄枯盛衰 また2~30年まえには 力織機が立ち並び その音がケタタマシイところであった。
イマは昔 同級生O君の下宿していたところでもある よく訪れたが いわゆる平安京の禁裏であった。
斑になった建物 木造とコンクリートがその対比を造っていた 不協和音の解消はこれからだろう 夫々の家に 夫々の生活がある。
わたしは一軒路地の魅力に惹きつけられているが 一軒路地とは一軒だけに設けられた その家のための細い道をもった路地である 路地は持ち主の家へと導いていくのだが・・・まことに悩ましい家であり路地である。
ところでいまわたしが歩いている道は・・・たしか・・上長者町(かみちょうじゃまち)であっただろう・・その路傍に赤い標識がある・・「本屋」と書いてある・・咄嗟に中へ入ってみようと思い 細路を入って行くと 丁度その一軒路地だ・・両手を広げるとイッパイくらいの幅 奥は6~7mわたしはその奥の「不思議の国」へと入ていった。

入り口にはダンボール一杯の見慣れた本 中にある本も若い日に読んだ本である これらの一冊 一冊はわたしの過ぎ去った日々であった。
中には女性がいた 
「拝見してもよろしいですか・・?」
と断りながら その神秘の世界に入った。
ここでは ただ置かれている処が「不思議の国」なのだ まぼろしのように去って行った日々が具現化されている。

部屋の内部 鈍い光が微妙であり 並べ方が・・・いや・・わたしのもつ言葉では書けない空間の在り方が マニヤックなのだろう。
部屋の中程には四角形の窓があり 窓の外は庭一杯の葉蘭がところ狭しと ジャングル状態に生えている  窓イッパイがミドリに蓋われていた。
客はわたし一人・・・だがそこには買う本がない 現実となれば おじさんとしての・・わたしはなにも買うモノがないのである 
「アリガトウ なにも買わずにゴメン」
と云って店を後にした 20分ほどの白昼夢となった。

上長者町の千本通り西にを横切ると むかし廓跡の街・・水上勉著「五番街夕霧楼」の夕子が・・・立ってはいない・・しかしそれと想わせる 佇まいがあちこちに・・
空しい夢の跡がある・・・
わたしは現実とまぼろしの狭間を散歩していたようだ。

あゝなにだ・・面白 可笑しの・・散歩となった。




常滑 2

2015年11月06日 | 菅井滋円 作品集


常滑 2
八十歳になったらバイクを卒業しとうと思っていた だが半年前倒しにして早々と卒業した。
当初は自転車に乗ろうか・・・?  などと考えていたのだが それも止そうとも思いだした。
買い物の帰り道 交差点にさしかかった 向かいの信号を待っている人がいる 町内のK氏である 信号が変わる それを合図に交差点の中央で会釈を交わした K氏はニコヤカニ手を上げる 言葉を交した 背後で何か音がした 振り返るとK氏が押していた自転車とともに倒れていた 急いで起こしに駆けよった 若い人と接触した模様である。

彼はわたしより4~5歳年上であり八十半ばであろう  これからわたしの入って行くゾーンの人である。

自らバイクを放棄したのは正解であったが 自転車を買うことについては ちょっと考えさせられた。





常滑 1

2015年11月06日 | 菅井滋円 作品集


常滑 1
わが家の前に常滑の水瓶が置かれている 室町時代のものだときいているが 大きく口が欠け落ちている。
水瓶の幅は両手を軽く広げたくらいで 高さはベルトまではない 水瓶は縦に割れ目が入っており 少し水が漏れる 土の重さに耐えきれず出来たヤマ傷である 愛して止まないモノだ。
惚れてしまえば アバタもエクボと云う言葉がある ビーナスの手が欠落しているのとよく似ているからだ。  欠け落ちた水瓶の残余は 何処へ行ったのだろう。
戦時中にバケツで水を汲みだすために 口を叩き壊し 用水として爆弾投下に備えていたと云う話である だから用あって口を砕いたのである。

その瓶にメダカを飼いだして 十年くらいになる  メダカには心地よい住処であり 長年 子々孫々 春には水草に金色の卵を生みつけ コドモを残してきた これより少し小さな瓶が2個半(半はちょっと小さい)コドモ養育用のモノ併せて4個となる。

この秋も「苹展」を友人達が開き わたしにもお声がかゝり ゲストで「かぼちゃ」(4F)を出品した 胴体がくびれた鹿ケ谷南瓜である。
展覧会にはわたしの友人も多く駆けつけてくれた ご来場頂いた全ての方々に 心より感謝申し上げたい。

わたしにとって 制作の前にきまってする作法がある それはエチュードとデッサンである 手の内のカードを示すことであるから 通常見せないが 若い日にヘンリー・ムーアのデッサンを見て感動したことが思い起こされ これはこれも面白いものである。

紙の質 大きさ 色等・・・デッサンもエチュードもその人を示す大切なこころの表示であり 積み上げられたデッサンのヤマは 精神の軌跡のヤマであると思っている それらのモノを開陳したのをブログに掲載したいと思っている。

ご高覧頂ければ幸甚である。