常滑 4
先頃の検査でMRIとエコーを受けた 後日その結果の説明が医師から告げられた 腫瘍は以前より肝臓の中で大きくなっており この時期に処置をしなければならないと。
そして入院を言い渡されたが わたしの
「どうでしょう・・間もなく菅井丸は沈没するでしょうか・・?」
云う質問に 医師は 検査のフイルムをボールペンの先で示しながら
「この辺りの腫瘍が 前回より大きくなってきました ここらで入院して それで前回同様の処置をしなければならないでしょう」
ということで 前回のオペでは鼠蹊部(そけいぶ)から長いカテーテルを指し込み モニターを伺い肝臓の腫瘍に薬物を注入し 腫瘍を抑えるという治療であった。
今回もその治療を受けることとなった。
菅井丸の舳先はマダマダ 崖へ到達するまで 時間があるようで 医師は言葉を次いで
「それは大丈夫です(菅井丸沈没)・・入院して処置をしましょう・・帰りに胸部レントゲンを撮っておいて下さい それと入院の手続きをしておいて下さい」
と云った わたしは指示通りレントゲン室へゆき レントゲンを受け また入院の手続きを終え 病院をあとにした。
12月初頭が入院だが だから菅井丸はまだ些か浸水はしているが 沈没まで時間が残されているのだ これからの貴重なトキを大切にしたいものだと思った。
この先・・・この先のことは予想もつかないが フト想ったコトは わたしはこれまで何をして来たのだろうか・・・?
絵はビジアルに姿を現す 夢中になって追い掛ける 絵がわたしに見せる姿であり わたしの統合体である。 大きな影を見せてくれている その扉を開けるもう一度それを知るのには わたしの足跡を見詰めたいと思った。
入院までとその後なのだ それにはどのようにトキを過ごすかだ・・・これがわたしの最後の最後だろう八十歳になって この愚行をするバカは沢山はおるまい。沢山は居ないが・・・バカはいるだろう。
多くの作品は描きっぱなしにして あちこちに仕舞い込んだ絵を 一丈に集めトータルで自分を見つめよう それには・・・躊躇うコトはない。
そこでわたしは秋田氏に電話した 収納庫を作らなければならないと思った 自らが見えないのである それには適当と思える部屋があった 最近使っていない部屋である 階下部屋を改装しようと決断した。
それには前に進むより今日までの足跡をみつめることにした。
秋田氏は現場を見て 数日後わたしに図面を起こして改装のプランニングをして持って来てくれた。
改装のことは大変だったが割愛する 順序よく10日くらいで出来た。
改装は思いの外立派な出来映えで わたしは満足した 同時にこれからする仕事が脳裏に描いた。
整理はまだまだだが 大胆な一枚がなかにあり――海で得たプラスチックの「浮き」なのだが それは「生命の門」のように思える一枚だった。
これから入院という このペシミストの男に嫌な日が始まるが 小さいことは成ゆきに任せ 日捲りを一枚めくる 後はその日その日だ カレンダーに任せ わたしは日を送ろうと 逃れようのないことは成ゆきに任せ 鷹揚に受け止めようと思へた。
太陽が登る大文字の上から
そんな朝を病院の7階で迎えよう。