菅井滋円 作品集

絵を始めて半世紀以上の歳月が流れた 絵に向かう時何時も満たされないモノがある その場がここになりつつある。

遠藤久仁子さんのこと

2015年12月25日 | 菅井滋円 作品集




遠藤久仁子さんのこと
遠藤久仁子さんとは偶然の機会に知り合いになり そして35年となった。 わたしはとうとう八十歳になってしまった。
イマにして思えば 八十年は一睡のうちであり わたしは浦島太郎になったようだ。
演劇のことには無知だったが 遠藤さんに連れて行って頂いたのだが それがそもそもの始めだが その場所が 何処であったか 霞がかかった遥か彼方で 演劇の内容もすっかり忘れた それが始めての記憶である その無知なわたくしに彼女は
「演劇では右側を上手(かみて)と云って 芝居は上手から始まり 下手(左しもて)へ展開するのですョ・・・」
わたしはその会場の二階の席からボンヤリ見ていた 不透明水彩で描かれた平板な舞台には 電柱とブルーの窓 その右に板塀 背後にミドリの樹木が描かれ その前で やがてカーテンが開かれる すると男が佇立している。
その男はいきなり なにか台詞を語りだした 台詞の言葉は忘れたが 驚いた 驚いた 率直なことだが この男酒も呑まず こんな言葉が話せるものだ・・・よくこんな台詞が語れたものだ!  酔いもせず というのが大きな驚きであった。

わたしは以後 それを機会に彼女の演劇を見ることになった つまりフアンになったのである。
会場はあちこちで開かれていたが 一番印象に残るのは 桂川の九条辺りの川沿い堤の下の工場の二階でご苦労をされていた とりわけ京都の町はずれの工場の二階。
これを知る人も極はめて少なくなった わたしにとっては懐かしいが ご本人はご自分に対面するトキであったろう 貴重な時間であったのであろうと思っている。
その努力に対して客はまことに貧弱で その貧弱な客の前で 変わることなく 堂々と一心に演技をされている様子は 背水の陣で変わらず熱演する なかなか出来るものではない 少ない観客の前でなかなか・・出来るモノではない。
イマ思うと言葉にならない  一つのことを一貫して持ち続けることは それは それは難しい。

わたしの個展に来てくれた 遠藤さんのことをわたしの女房殿は
「遠藤さんの後ろにオーラが出ている」
と云っていた 他者から見て当然のオーラも出ているのであろうと思っている。

ご一門には後継者にも恵まれ フアンの一人として確実な成長は楽しみである。




常滑 5

2015年12月18日 | 菅井滋円 作品集



常滑 5
予定通り入院して 予定を一日遅れの帰宅となった。 一日遅れはわたくしの横着な行動に因るものであり オペ後一日おいて次ぎの日 院内を歩きまわり 1階の喫茶室CRIÉへ行ったり 肌着を買いに行ったりしていた そのため あわや心臓が痛くなり 麻痺を引き起こしそうになった。
もう少し穏やかに 病を受け流すという精神がわたしには足りない と反省させられた。

病室では鈴木大拙の「座談集」と後藤朝太郎「支那の体臭」の二冊を読んだ。
ある日ヒルゲートの人見さんから 電話を頂いた 用旨は来年開く個展のことであり 話し合った結果 2016年1月25日(火)~31日(日)という日に決まった。
その他菅井滋円作品展に「形象(カタチ)の孤独」と云う言葉をサブタイトルで設けることとした。
わたしの描く絵コトなのだが いつも「形」が擬人的な影を帯びおり 余計な愛想をしない。

この度の展覧会では 海中を漂った漁具のプラスチックの「浮き」を若狭湾で拾い持ち帰ったことが そもそもの始めであり それをしばらくアトリエで眺めていた そこで気付いたことは この浮遊物にはストーリーがあり 物体の内部に時間が宿されている   それは海の響きであると 波の狭間を浮遊し削ぎ落すものは 削ぎ落した表情がある。

プラスチック割れた漁具は ある時はドルメンであり メンヒルであり ストンサークルのように見えた そこにはモノのもつストーリーが語られているのに気が付いた 時間が凝縮されている それがわたしの流儀では その形象にマリアを見たり 観音を見たり 人に寄り添い化(ばけ)て行く そしてイメージができるのである わたしが漁具のドロップアウトしたものを描いて 見る人の随意に任そうと思いだしてきた。

人は絵の前で夢想する それを頭に刻み込む。
無駄のモノを削ぎ落した形象はシヤ―プであり それは漁師から わたくしへの提言となった。

奥の収納庫が出来たことによって 40点程の作品を用意するのに至難なことではなくなった。
そう肩に力を入なければ 何とかなるだろう と楽観している。

「わたしの耳は貝の殻 海の響きを懐かしむ」
               読み人不知

病は治癒した訳ではない 退院はしたが 小康しているだけなのだが だから背負える以上の憂いはもたないことにした。