遠藤久仁子さんのこと
遠藤久仁子さんとは偶然の機会に知り合いになり そして35年となった。 わたしはとうとう八十歳になってしまった。
イマにして思えば 八十年は一睡のうちであり わたしは浦島太郎になったようだ。
演劇のことには無知だったが 遠藤さんに連れて行って頂いたのだが それがそもそもの始めだが その場所が 何処であったか 霞がかかった遥か彼方で 演劇の内容もすっかり忘れた それが始めての記憶である その無知なわたくしに彼女は
「演劇では右側を上手(かみて)と云って 芝居は上手から始まり 下手(左しもて)へ展開するのですョ・・・」
わたしはその会場の二階の席からボンヤリ見ていた 不透明水彩で描かれた平板な舞台には 電柱とブルーの窓 その右に板塀 背後にミドリの樹木が描かれ その前で やがてカーテンが開かれる すると男が佇立している。
その男はいきなり なにか台詞を語りだした 台詞の言葉は忘れたが 驚いた 驚いた 率直なことだが この男酒も呑まず こんな言葉が話せるものだ・・・よくこんな台詞が語れたものだ! 酔いもせず というのが大きな驚きであった。
わたしは以後 それを機会に彼女の演劇を見ることになった つまりフアンになったのである。
会場はあちこちで開かれていたが 一番印象に残るのは 桂川の九条辺りの川沿い堤の下の工場の二階でご苦労をされていた とりわけ京都の町はずれの工場の二階。
これを知る人も極はめて少なくなった わたしにとっては懐かしいが ご本人はご自分に対面するトキであったろう 貴重な時間であったのであろうと思っている。
その努力に対して客はまことに貧弱で その貧弱な客の前で 変わることなく 堂々と一心に演技をされている様子は 背水の陣で変わらず熱演する なかなか出来るものではない 少ない観客の前でなかなか・・出来るモノではない。
イマ思うと言葉にならない 一つのことを一貫して持ち続けることは それは それは難しい。
わたしの個展に来てくれた 遠藤さんのことをわたしの女房殿は
「遠藤さんの後ろにオーラが出ている」
と云っていた 他者から見て当然のオーラも出ているのであろうと思っている。
ご一門には後継者にも恵まれ フアンの一人として確実な成長は楽しみである。